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即身仏について④

【即身仏を志した学僧・秀快上人】
新潟県の真珠院に、秀快上人の即身仏が祀られている。秀快上人は奈良・長谷寺で真言教学を学んだ高僧である。弘法大師と同じ62歳で入定することを志し、阿字観法を実践するため石室を構築して入定した。学僧の即身仏として稀有な例である。下記は、概ね『日本のミイラ仏』(松本昭著、臨川書店)から再構成したものである。
秀快上人の入定については、寺に残る記録からおおよそのことは判明していたが、石室に調査のメスが入れられたことはなかった。平成に入り、日本ミイラ研究グループによる学術調査で全容が判明し、日本で唯一の、阿字観入定の現存例であることがわかった。ただ、遺体は白骨化しており、木棺内に無造作に入れられていたほか、頭蓋骨が壁面の阿字と反対方向を向いているなど不自然な点があった。

秀快上人入定所

その後の研究で、ときの住職が記録から秀快上人の入定を知り、石室を開けるとミイラ化していたので、即身仏として出開帳などをしているうちに遺体が傷んでしまい、バラバラになった遺骨を木棺に詰めて石室に戻したものらしい(投げ込んだという表現を松本昭氏は使っている)。秀快上人の遺骨はいったん甕に納め直されたが、現在は遺骨を組み立てて座禅を組む姿に復元し、再び石室内に戻されている。秀快上人は現在も阿字観法に基づく瞑想を続けているのである。
なお、秀快上人の即身仏は一度公開されたのみで、厳重な秘仏である(入定所への参詣は自由)。

【即身仏になれなかった観海上人】
湯殿山系即身仏として、もしかすると新たに現存する即身仏に数えられていたかもしれない観海上人について書く。即身仏になることを志し、明治11年に土中入定したが、刑法の墳墓発掘罪に引っかかり掘り出すことができなかった。
昭和51年に学術調査として掘り出されたが、白骨化していた。入定墓があったのは信濃川に近い湿地であり、土質などが原因でミイラ化しなかったと考えられる。現在、観海上人が住職を勤めた大円寺に遺骨が祀られ、遺骨を元に胸像が作られている。
明治時代に入ってから即身仏になった僧は他に鉄竜海上人、仏海上人がいる(ともに入滅後埋葬、鉄竜海上人は秘密裏に処置が行われ、仏海上人は学術調査として後年発掘された)。
観海上人の発掘調査の件、詳細を知りたいのだが、報告書などは出ているのだろうか?

【おまけ】
即身仏に関連して、中国では肉身菩薩と称し、高僧の肉体を保存する風習があった。有名なのが禅宗の第六祖・慧能で、衣を着た状態で上から漆を塗り固めている。中国では各時代を通じて作られたようで、文化大革命時に破壊されたものも多いが、明清代のものが多く残っているようだ。

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