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藤原氏の祖、中臣鎌足は669年、56歳で薨去した。墓所は定かでないが、『日本三代実録』天安2年(858年)条には「藤原鎌足の墓である『多武峰墓』を十陵四墓の例に入れる」という記述があり、平安時代中頃の成立と見られる『多武峯略記』などに「最初は摂津国安威(現在の大阪府茨木市大織冠神社か)に葬られたが、後に大和国の多武峯に改葬された」との説が見える。一方、『藤氏家伝』の記述に基づき、鎌足の墓は京都市山科区のどこかに存在するという説もある。
大学生の頃、それについて書かれた本を偶然読んで、即身仏に関心を持った。死体を保存する文化がない日本で、なぜ生身の肉体を崇める信仰が発生したのか。そしてまた、なぜ死を目的としたとも言える苦行の末に自らの肉体をこの世に留める選択をしたのか。いろいろ興味は尽きないが、今回は土中入定に焦点を絞りたい。