第31回: 幸福感とキャッシュフロー (May.2019)

 ASEANで出会った知人が当地を初めて訪れた。展開を目論む製品の日系ユーザー候補を尋ねた際、私を含む3名が皆、中国・ASEAN・インドの開拓営業に携わっていたことが分かり、暫し盛り上がった。商材は異なれど、“インドは一筋縄にはいかない” が共通認識だった。

 同規模の人口を擁する中国は、唯一絶対権力や信仰対象とも言える価値観など、分かり易い統一的基準が存在する感がある。他方で当地は、民族や言語、信仰や信条、出身地や家族・個人の習慣、社会的身分や食の好みに至るまで、本人すら明確に意識しない価値基準が多数ある。日本人視点で類型化しても、断片的な理解は返って混乱の元。結局は目前の個人とどう向き合うか、自らとの相対感から測らざるを得ない。敢えて共通項を挙げれば、“皆がばらばらである分、他人にもとことん寛容” ということだろうか。Diversityはインドに学ぶ余地がある。

 外国人として接する上で最初に気を使うのは食事を共にする時だろう。私自身も当初は相手がVegか、飲酒はするか、いちいち気にして合わせていたが、今は一言断って好きなものを食するようにしている。中には “日本人はNon Vegだろ? 酒は嫌いなのか? ここでのお勧めは...” と自らは口にしないものをわざわざ勧めてくるビジネスパーソンもいる。

 かつて事業オーナー夫妻を東京に招いた際、会席コースの最後に牛ステーキが供されてしまった。こちらは不手際に焦ったが、海外経験豊富な彼は “美味いのに食べないのか? 日本にHinduの神はいないぞ” と奥さんの皿まで器用に箸を伸ばして平らげた。日本の地方部に本社を構える企業に提携先経営陣3名を招いた際、全員Vegだと判明。懇意の料亭に頼み込み、鰹だしすら使わない特別会席を用意して貰った。が、食後にこの地の名物だから、と供されたヒレ酒の炎と香りに興味が抑えきれず、結局はお替りまでして皆で回し飲みした。時と場合によって信条も変わるなら、尚更ややこしい。

 一定の所得がある層は自宅に複数の使用人を抱える。日本の非正規や最低賃金の議論に遠く及ばない月給で仕える彼ら・彼女らも家族・友人と日々を楽しく暮らし、常に不幸に苛まれているわけではない。目前の主人が住むのは別世界、憧れたり羨ましく思うどころか、むしろ金があるが故の心の汚さ・浅ましさが目に付くという。

 新興国でシャンプーが試供品のような使い切りパウチで売られているのは知られた話だろう。聞けばこれを5日かけて使うという。毎朝売りに来る屋台の野菜は驚くほど安い。絶対資本が限られていても日々の生活自体は何とかなる。ただ、家族の病気や子どもの学費などちょっと出費が嵩むと首が回らなくなり、給与の前借りを申し入れてくる。数万円程度でも数か月相当、当初は大いに惑わされたが、例え応じなくてもどうにか回っているようだ。

 普通預金でも数%がつき小切手ならサイトを稼げる。当社のスタッフを見ても現金の使い方には厳しい。Kiranaでいつでも何でも手に入るし食材は新鮮な方が良い。買い置きを頼んでもぎりぎりになって買いに出る。日本企業ですら催促しても何かと入金が遅らされる当地、確かに安定したキャッシュフローは幸福の実感につながる。

 初めてインドを訪れた際、Mumbaiの高級モールを視察した。トイレに寄った際、奥に6-7名の男がタムロしているのが薄気味悪く恐る恐る用を足したのだが、後で思い返せば彼らは清掃員。一歩外に出れば欧米ブランドが立ち並ぶ世界の中で、仲間と終日そこで過ごすのが仕事であり日課であった。見えない結界は厳然と、しかも何の感情も伴わずそこに存在している。使用人を食事に誘っても外国人が好む店には誰が制限するわけでなくても入らない・入れない。

 世の中は7%成長、少なくとも今の生活は大きな不安なく回っている。いくら金を積まれてもやりたくない仕事はやりたくないし、ありのままの自分を無条件で受け入れてくれる家族・友人がいつも周りにいる。見えない結界は反面、強固な紐帯として人々の幸福感を下支えしている。

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