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「張り込みにはパンと牛乳を⑥」

午後11時の銀座8丁目。


高級店が賑わう昼間の華やかさとは違い、この時間は黒塗りの車や、街角に立つ屈強そうなスーツ姿の男性、そして着物やドレスを身に纏った女性が目立ち、重苦しいが煌びやかな世界を演出している。ここ数年の不況の影響を受け、昼間は以前のような旅行客で賑わうことは少なくなったが、その分、夜の顔が大きくなったように感じる。芸能人やテレビ関係者、そして政治家や大手企業の重役たちが、たまたま居合わせたのを装い密談を交わす。その姿を追いかけて記者たちが今日も銀座の街をウロウロしていた。



「奴らと俺たちは、何も変わらねえ」
ベテラン刑事の和さんが、少しかすれた声でそう言った。



「和さん、何言ってるんですか。我々は犯人を逮捕するため、奴らはスクープを撮って金を手に入れるのが目的なんですから全然違いますよ。しかも、こっちは命を張ることもあるし、奴らと一緒にしないでくださいよ」

和さんこと「木下和宏」は同じ刑事部捜査二科に所属するベテラン刑事。
ここ数ヶ月は一緒に張り込みをしながら事件の捜査をしているが、この銀座に関しては和さんなりの思い入れがあるらしく、今日はいつもよりも饒舌な気がする。


「そうだな、俺が上京してきた頃、ここらの居酒屋でバイトしていた。その時にな、色んな人間と出会い、表では立派そうにしている奴の裏の顔もたくさん見てきたんだ。その中には政治家連中もたくさんいたし、有名な企業の社長連中もたくさんいた。それを繋げる人間もいて、俺はこの社会は国民が見えるところでは何一つ決まっていないことを知ったんだ。国会の質疑応答なんて、そんなもんだろう」

聞いたところによると、和さんは大学のために上京し、生活のためにここ銀座でバイトしていたが、ひょんなことで知り合ったラウンジのオーナーに気に入られ、運転手や店の手伝いをするようになったらしい。その時に知り合った人達が、これまでも数回、情報提供をしてくれることがあった。

「聖也、お前は俺のようになるなよ」
和さんは両腕を組みながら、何かを噛み締めながら一点を見つめ、そう言った。

「まあまあ、和さん、和さんが今もこうして刑事として第一線に立ち、多くの容疑者を逮捕してきていることを知っていますし、そのおかげで事件を未然に防いで救われた人たちもたくさん居ると思います。私はそんな和さんを尊敬していますよ」

和さんに対する私の尊敬の姿勢は変わらない。どんな姿を見たとしても、困難な状況を生き抜いてきた強い意志や言葉にならない凄みがこの人にはあるからだ。


「お前も物好きだな」

和さんは呆れた表情を浮かべながら、噛んでいたガムを包み紙にくるんでそう言った。


「じゃあ聖也、悪いがそろそろ例のやつを用意してくれないか?」


「おあつらえ向きの展開になって来ましたね。分かりました、ちょっと仕入れてきますよ」

状況の変化は何も無かったが、和さんの言葉がきっかけとなり、私はいつもの台詞を言いながら、車から降りようとした。その瞬間、「コンコン」と窓ガラスを叩く音がした。


「あれ、和ちゃんじゃないの、どうしたの今日は?何かの事件の張り込み中?あら、素敵な男の子も一緒じゃないの。」

窓ガラスを叩いたのは、派手な着物を着た女性で、その手にはローズの花束を抱えている。


「おお、さつきじゃないか。相変わらず派手な着物を着てるな。今ちょっと忙しいから、また今度な。そこに居ると目立つから、さあさあ、仕事に行ってくれ」

和さんは照れ臭そうに「さつき」と呼ばれるその女性を追い払おうとしたが、その女性はドアを開けて後部座席に座り込んできた。その瞬間、ローズの香りが車内を包み込んだ。


「和ちゃん、お忙しいのは分かるけど、せっかく会ったんだから急かさないで。それに、うちのお店に顔を全然出さないのはどういうことなのよ。お店の女の子たちも寂しがっていたわ。それに、私だって和ちゃんに聞いてもらいたいことがたくさんあるのよ」

「さつき」さんと呼ばれるその女性が、すごい勢いで和さんに話しかけてる。


「あの、すみません、お二人はどういったご関係で?」

私は思わず二人の関係性を聞いた。


「あら、ごめんなさいね。私はさつき。ここの銀座でクラブのママをしているの。そうね、和ちゃんとは学生時代からの知り合いで、腐れ縁ってやつよね、和ちゃん」

「そうでしたか。と言うことは、和さんが銀座でバイトしている時に知り合ったとか?」

「そうね、あの頃は二人とも若かったから、必死だったのよ。和ちゃんにはいつも慰めてもらっていたわ」

さつきさんは軽く微笑みながら、和さんの後ろ姿を眺めている。


「おい、さつき、いつまで聖也に昔話をしているんだ。そろそろ帰れ」



「あら、こちらの方は、聖也さんと仰るのね?もしかして、玲ちゃんの息子さん?」

さつきさんは少し驚きながら、口元を緩ませて母・丸山玲子の名を口にした。


「え、母をご存知でしたか?」


「もちろんよ。和ちゃんと玲ちゃん、いつも3人でこの銀座を走り回っていたもの。玲ちゃんはいつも店の裏で厨房の人に怒られていたわね。そんな私たち2人を和ちゃんはいつも慰めてくれていたわ。懐かしいわね。ほんと、和ちゃんはあの頃と全然変わらないわね」

昔、母がバイトでお金を貯めて海外に行ったのは、『飲食店の厨房の人と喧嘩をして、その人の国に行ってもっと美味しい料理をマスターして見返してやる』といった経緯だったのを聞いたことがある。
そのきっかけはきっと、この頃のことだろうと確信した。


「さつきと玲子さんは、いつも路地裏で泣いていたな。もうあれも30年以上前の話か。そういう意味では、さつきは上手くやったな」


「あら、銀座でこうしてお店を持つことができたのも、それもこれも和ちゃんのおかげよ。あと、玲ちゃんが作ってきてくれるバナナブレッドとローズ紅茶ね。あれがあったから頑張れたのよね」


気持ちが揺れ動きやすい、緊張しやすい時におすすめ!簡単ローズ紅茶(3人分)


材料:ローズのドライハーブ 1.2g

   ブラックティー 6g

   オレンジピール 1g



イギリスで定番の親しみやすい全粒粉のバナナブレッド


材料:完熟バナナ 3〜4本

   全粒粉 300g

   無塩バター 50g

   ベーキングパウダー 15g

   卵 2個

   シナモン 5g

   豆乳 120ml

   きび糖 100g


「あの時期に3人でいなかったら、今もこうして会ったり出来なかったわね」


「そうだな。どちらかと言うと、玲子さんの負けず嫌いに振り回されただけだけどな」


二人は感慨深い表情を浮かべてはいるものの、学生時代のようなキラキラと目を輝かせている。人に歴史ありとよく言うが、シェイクスピアの言葉を借りると「All that glitters is not gold.(輝くもの必ずしも金ならず)」と言えるものかもしれない。


さつきさんは静かに車を降り、和さんに手を振りながら夜の街に消えていった。


車内にはまだ微かにローズの香りが漂っている。



「和さん、お二人はもしかして…」

私は2人の空気感から、ある予測を立てて確かめようとした。刑事としてよりも、和さんの過去を知りたいという好奇心の方が優ってしまったのだ。その瞬間、目の前のビルから容疑者らしき男が現れた。



「和さん、アイツです!」




つづく

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