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こかつりゆう

こんなに素晴らしい世界があるのに、
どうして誰も見つけないだろう?

こんなに素晴らしい物があるのに、
どうして誰も見に来ないのだろう?

そんな疑問を持ちながら、
僕は毎日この場所に立っている。

吉祥寺の商店街から一本外れた場所にある、
お洒落で上品な店が僕の言う素晴らしい世界だ。


たまに訪れる人は、僕がどうしてこの場所に立っているのか知りたがっているようで、僕はその人たちに何でここに居るのかを教えるようにしている。

ヘアサロンやネイルサロンのようなこのお店は、本当はカフェでお茶を飲むことができるスペースだ。


これまで経験してきた仕事を考えると、このお店に勤めるのはちょっとした冒険であり、でも、自分の帰る場所であったように思えたから不思議なものだ。


お店に来る人はなぜ僕がここに居るのか尋ねてきたとき、僕はここにいるつもりは最初は無かったことを伝える。

「元々は僕の大切な人をここに連れてきたのが始まりです」

「この場所は僕を必要としてくれて、僕はここに居ることにしました」

最初は僕の大切な人がここで働くのが良いのでは?と考えて連れて来たのだが、結局は僕が働いた方が良いと言うことになり働いてみることにした。

「僕の大切な人は、別な仕事を見つけてここには来なくなってしまいましたが、ここに居ることでたくさん自分を見つめることが出来たと思います」

「僕はそのことを伝えています」

「人のためにすることで、自分のためになることもあります。また、自分のためにすることが、人のためになることもあります」

「時には誰のためにもならないこともありますが、それを学ぶことが僕や周りのためにもなります」

「だからこれまで選んだことは間違いでは無かったと思っています」

人生とはそう言うもんだろうと僕は思いながら話をしている。

学ぶこと、実践すること、そしてまた学ぶこと。
人生は学びで一杯だと思う。


ただ、思ったような形にならないことや、期待したようにはならないこともある。
多くの場合、それは自分の受け取り方次第で変わることだと思っている。

いつものように僕がここに居る理由を説明しようとしたとき、僕はあることに気がついた。

「僕がここにいる理由は・・・」

僕はそこまで言って話すのを止めた。


今、大切な人はここには居ない。
どんなに呼んでもここに足を運ばない。

でも、どうして僕はここで訪れる人のためにこの話をしているのだろうか?

雷のような衝撃と、これまでの日々で語ってきた言葉が僕の脳裏をものすごい速度で駆け抜けていった。

そして、ガラガラ崩れていく自分のアイデンティティと共に、自分がここに立っているのは滑稽な姿のように思えた。

夕暮れが迫る何気ないひととき。

窓の外には笑顔で歩く親子や恋人たち、ふざけ合って笑っている学生もいる。
その姿をぼんやり見つめながら、僕は立つのをやめた。

「これまでの日々で、僕が得て来たものは何なのだろうか・・・」


もちろん何も無いわけではないが、こんな時は全てが無駄だったように思えるし、ガラガラと崩れ去った自分という存在は修復するのはもう難しいと思う。

僕の優先しているのはきっと人でも物でもなくて、「役割」なんだろうと思った。

それは「使命」と呼ぶのかもしれない。

僕にとってその「役割・使命」以外のものは簡単に手に入れることもできるのかもしれないが、
時々「夢」と混同してしまい、可能性の波にのまれて進む方向を見失ってしまうもことが多々あった。


だから、自分が過ごしてきた時間と場所の中に自分の功績やアイデンティティを求め、次の可能性へと進んでいいという勇気や称号を求めていたのかもしれない。

経験は大切なことではあるけれど、欠けていたものや勘違いの上に成り立った人生にどんな存在価値を見出していけばいいのかと途方に暮れる夜がきた。


自己否定ほど醜いものは無いのかもしれないが、
自己欺瞞で気持ち良い気分に浸っているのはどんなピエロよりも滑稽だという自責の念が夜の色と交わってその威力を増していく。

もうバラバラにしてください。

恥ずかしさのあまり降参を申し出たくなる一歩手前だった。

もう救われない。

できることなら異世界に転生させてくださいと願いそうにもなった。

流れ星は綺麗に夜空を駆け巡ったが、その願いは叶うことは無かった。


ついには夜が明け、この現実を受け止めながら、不安と波乱に満ちた新しい日々が始まるように感じた。

誰もが僕を滑稽なものを見るような気がして玄関を出るのを躊躇した。

ただ、世界は意外と僕に無関心であり、昨日と今日の僕の違いに気づく人はいなかった。
むしろ僕の声が上ずっていたり、緊張していることの方が不自然だった。


店に着いていつもの仕事に手をつけようとするが、思うように捗らない。

そして今日も誰も来ない。
大切な人も、もちろん来ない。

ただ、その日は仕事の資料の中に、大切な人の面影を感じ取るようなことがあった。

でも、こんな時は大切な人のことも拒絶したくなる。

そんなことふと思いながら、僕はあることに気がついた。
そして、自分を縛り付ける虚無感や閉塞感の理由がこのとき分かった。


僕が分かったのは、
「僕の思ったような愛情をかけられていない」
ということだった。

最初は良かった。
不慣れなことをするときは、様子を伺いにきたり心配してくれたりもした。
でも、ある程度経験を積んだり、順応して信頼も生まれたりするのだが、もう大丈夫と判子をつかれてしまい独り立ちする日が来る。
それが時には寂しい思いを生むきっかけにもなり、寂しさが募れば放置されていると感じることもある。


僕は大切な人が居れる場所を求めてここを見つけたことを思い出してしまった。



いや、初めから分かっていたのに、自分の可能性を信じることに夢中になり、本当に必要なものを見失っていた。

そして、僕の求める愛情が、どんどん不足していくことに気づいていなかった。


僕は純粋にもっと愛情が欲しいのだ。
もちろん、大切な人は僕に愛情を注いでくれているのだが、自分が理想とする自分への愛情を大切な人の愛情だと勘違いしてしまっていた。


正直、抱きしめて欲しいというつもりはないのだけど、心の中は灯りもない暗闇のようにガラ空き状態になり、入って来たものをあっという間に飲み込んでしまう虚無感がある。

お金よりも何よりも僕が欲しいのは「愛して欲しい」という幼い子どもが母親に求めるのと同じものなのかもしれない。

子どもを包むような愛情なら、もちろん母親でなくていいし、それを僕はいつも自分で補ってきたことになるのだと思う。

変な話、いつしか僕は理想の愛情を求め、自分自身のために自分でできる範囲の愛情を与え、求めている愛情を見失っていたようだった。

理想のような大きな愛情が来たとしても、スレた心は受け入れることに反発していた。


そんな自分に気がついたことで、僕はここから変わることができると思った。
長年、欠けていたピースを見つけることが出来たような気がした。

思い起こせば僕は幼少期から母子家庭で、母は仕事に出ていた。
母と過ごす時間は、僕の求めていた愛情を受け取るには短かったのかもしれない。

これまで注がれていた愛情に気づくことも出来なかったのかな?と思いつつ、自分のような愛に縁のない人のために立ち上がろうと思う。
待つのではなく、僕が届けるために。

そして聞いてあげよう。


「あなたはどうしてここに居るのですか?」と。


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