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「張り込みにはパンと牛乳を⑧」

午後3時の南青山。

私に襲いかかってきた男を所轄の警官に預け、和さんと私は青山通りを一本入った路地裏にある喫茶店に入ったのだが、そこにはなんと「母・丸山玲子」と和さんの元奥さん「高山つかさ」が奥の席に座っていた。



「あら、和ちゃん。あ、聖ちゃんも」


「あら聖也くん、大きくなったわね。元気そうで。あら和宏さん、あなたはいつもと変わらず冴えないのね」




二人に声をかけられた和さんと私の間に、さっきの出来事よりも胸を圧迫されるような緊張が走った。


「つかささん、ご無沙汰しています。あと、母さんも。二人はここで何をしているのですか?」

和さんが何も言おうとしないので、私は二人に挨拶をした。その間、和さんが二人と離れた席に座ろうとしたが、母・玲子がそれを許さなかった。



「和ちゃん、聖ちゃんも、せっかくだからこっちに来て一緒にお茶しましょうよ。ここのお茶とお菓子はお母さんがレシピを考えたものだから、おすすめを教えてあげるわ。ね、和ちゃん」


「和さんとつかささんを一緒にしたら気不味口なるのが何で分からないんだ!」と心の中で叫んだが、他のお客さんの邪魔になりそうだったので我々は仕方なく母・玲子とつかささんのいる席に着いた。



「和宏さん、おかげさまで梨奈の卒業式も終わりました。あの子はのんきに卒業旅行に行っていますけど、そのお金もあなたが出したようで。いつの間にか新しいノートパソコンも手に入れていたようだし、あまりあの子を甘やかさないでくださいね」

つかささんは数年前まで東京のテレビ局でアナウンサーをしていた経験があり、報道番組にも出演しているせいかはっきりとした物言が印象的だ。そして、言葉にやんわりと和さんに対する不満があるのを感じる。


「梨奈の好きなようにさせればいいさ。俺が口を挟んだって、アイツは自分のしたいようにするだろうし、社会人になれば嫌でも親の有難みが分かるだろう。聖也だってそうだったろう?」

和さんはつかささんとは目線を合わせずに、親としての自分のスタンスを話し、つかささんの怒りの矛先を私の方に向けるよう話題を振った。そして、それは二次災害を生む結果となった。


「え、それは、はい、そうですね、もちろん両親には感謝していますよ」


「あら、聖ちゃん、ママとパパのどちらに感謝しているの?ほとんど子育てしていないパパと、ずっと聖ちゃんと一緒にいたママとで同じってことはないわよね?」


「いや、それはそうだけど、感謝の量なんて測る物じゃないでしょ。感謝という気持ちは一つで、単位ではないいんだから、あの人よりもとかいうのはむしろ変な話だよ。大体にして二人がいなければこの世に存在していないのだから両方に感謝するのは当たり前でしょ」


「そう言うもんかしら。こっちはお腹を痛めて産んだ子なのに」


「そうよ、聖也くん、お腹を痛めて産んでくれたお母さんを大切にしなさいね」


「はあ、はい、もちろんですよ、感謝していますよ」

和さんのおかげで私は二人の母親から「母を大切にすること」を口うるさく言われ、少し不機嫌になった。そして、和さんはこの光景を呆れたように眺めている。


「ところで二人が喫茶店に入ってくるなんて、今日は何かあったのかしら?」

普段の我々の動向を知る母・玲子が聞いてきた。


「さっき、聖也がな、以前、逮捕した男に絡まれたんだよ。それで色々予定が狂ってしまい、ここで気を取り直そうと入ってきたんだ」


「あら、そうなの?聖ちゃん大丈夫だった?」

母・玲子が心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「ああ、大丈夫だよ。問題なかったよ」

私は詳細を告げるとこの状況が余計に混乱すると思い、何事もないような素振りで返事した。


「なら良いけど。あんまり危険な目に遭わないでね」


「ああ、和さんもいるし、大丈夫だよ」

心配を和らげようと口にしたことが裏目に出てしまった。



「聖也くん、和宏さんなんか当てにならないわよ。この人がいるから危険が寄ってくるのだし、そのせいで巻き込まれた人も大勢いるわ。この人が出世しないで今も現場に出ているのは、上役たちから疎まれているからでしょ。頑固で扱いづらいし、誰の言うことも聞かない。それを一匹狼みたいに良く言うけど、それって協調性が欠けているからでしょ。あの時だって一人で行動して危険な目にあったんだから」


つかささんの言うことはもっとだと思ったが、和さんの捜査の仕方や事件を解決に導く判断やスピード感は、他の刑事と共に行動すれば失われてしまうのを知っていたので、協調性だけが全てではないことを言おうとした。

「いや、和さんは自分のスタイルがあるからですよ。和さんのテンポに周りがついていけないから、一人だけ勝手に行動しているように見えるだけで、和さんの功績は周りの刑事の良いお手本になってます。確かに口数が少ないのと不器用なのはどうかと思いますが、その分、我々にも活躍するスペースを与えてくれていますし、何と言うか、完璧過ぎないところが和さんの魅力ですから」


「これじゃ、和ちゃんを褒めているのか貶しているのか分からないわね」

母・玲子が嬉しそうにちゃちゃを入れてきた。和さんは相変わらず呆れている。



「ちなみにつかささん、あの時というのは?」

私はつかささんの不満が爆発しないよう、和さんの話題でやんわりと吹き出し口になる話を振ることにした。


「その時って、そうね、私が当時勤めていたテレビ局で起きた立て篭もり事件の話よ。10年くらい前の話だけど、あの時のことがあったから、私はこの人と別れることにしたの」


「そうなんですか。その事件のことはあまり詳しくないのですが、ある女性タレントのファンの男が、テレビ局の関係者を装って近づき、控室に閉じこもった事件ですよね?」


「そうよ、私もあんなことになるなんて、思わなかったわ」

つかささんは思い返すように話を続けた。


「あの時、ちょうど私もお昼の番組収録で局にいたんだけど、突然大きな音が聞こえて、それが拳銃の発砲だってことは後で知ったわ。周りのスタッフもタレントもみんな最初はドラマの撮影の機材や小道具のトラブルと思ったけど、収録中にそんなことが起こるはずがないと騒ぎ出し、どうやら立て篭もり事件が起きたって話が流れてきたの。収録は全部ストップして、私は急いで事件を報道するためにニュース番組のチームがいる方に走ったの」


「少しずつ情報が入ってきって、どうやら人質になっているのは「女性タレントとマネージャーの女性の2人」で、その頃には和宏さんや警察関係の人たちも局に集まって、犯人に対して交渉をし始めた頃だったわ。たまたま廊下でこの人とすれ違って、『無理はしないでね』と伝えたの」


「控室には警官や局の報道関係者やスタッフで一杯だったんだけど、犯人から爆弾を持っていることを告げられてから、みんな2歩3歩と後退りしてその場から逃げようとしたの」

「そしたらこの人が…」

先ほどまで和さんが呆れた顔をしていたが、今度はつかささんは呆れたようにこう続けた。


「和宏さんがスタスタと控室の前に出たかと思うとこう言い出したの」



「おい、お前、何が目的だ。金か?そのタレントか?周りを巻き込むことか?それとも他に何かあるのか?お前、今の状況じゃ何にも手に入れられないぞ。逃げようたって、テレビ局を出てすぐ捕まるだけだ。大体にして、これから逃亡したいのならこの犯行の仕方は大失敗だぞ。このままだと、ただ捕まって終わるか、爆発して死ぬかだろ。お前、それで良いのか?」


「うるせえ、お前に何が分かるって言うんだ。俺はこの女と一緒に死ぬんだ。それだけが目的なんだ。だからお前らは黙っていろ」


「そうか、だったらその子と二人で好きなようにすればいいさ。何だったら俺が手伝ってやる。ただ、もう一人の女性も爆弾もいらないだろう?とりあえず、関係ない人は解放してやれよ」


「うるせえ、そんなことしたら、どうせお前ら入ってくるんだろう」


「いや、入らないよ。とりあえず、関係ない人は巻き込むなよ。俺は木下って言うんだ、お前が人質を解放してくれるんだったら、俺が逃げる手伝いをしてやるよ。なあ、お前が何でこんなことをするのか、何に対して怒っているのかは分からんが、これしか道は無いと思ってここまで来たんだろう?そして、こんな感じで上手くいかないってのも、本当は分かっていたんだろう?お前がしたかった本当の望みは何だ?何がしたいんだ?それを手伝ってやろうって俺は言っているんだ」


「くぅ、誰がお前のことを信用するか!黙れ!」



「分かった。俺はここにいる刑事を代表して言っているんだが、お前がこの提案に乗る気がないのなら仕方がない。本当に良いんだな」


「ちくしょう、どうしろって言うんだ。お前ら全員ぶっ飛ばしてやる」



「和さんもなかなか無茶しますね」

白熱した展開の中で、母・玲子も同じように感じたのか私の言葉に頷いている。



「防犯カメラで犯人の男を特定しました。容疑者は原田勝彦35歳、以前このテレビ局で警備員をしていた経歴があり、一月に退職し、現在は無職です」



「そうか、分かった。おい、原田、いや、原田くんよ、この前までここのテレビ局で働いていたんだってなあ。どうして辞めたんだ。辞めた理由とこの犯行と何か理由があるのかい?」


「うるさい、俺はこの女のせいで、この女の無茶な要求のせいでこの仕事を失ったんだ。そして、俺の大好きだった神山愛美も、この女のいじめのせいで芸能界を辞めて消えてしまった。だから俺はこの女に教えなきゃいけないんだ!」


「犯人の男はファンだった女性が、人質の女性タレントのいじめによって姿を消したことを恨んで犯行に及んだのよ。あの子もいじめするような感じには見えなかったけど、芸能界では良くあることなのよ」

つかささんは少しうんざりした表情で言葉を続けた。


「その時、和さんが何の前触れもなく控室のドアを打ち破って中に入ったの。周りの誰もがビックリして、唖然とする中で銃声がして」


「ガタガタとぶつかる音と何かが倒れる音がしたと思ったら、この人が犯人を取り押さえて出てきたの。よく見たら、この人の腕から血が流れているじゃない。私はそれを見て気絶しそうになったのよ」



この事件は、和さんが犯人を逮捕すると言う形で幕を閉じたのだが、犯人逮捕の方法が強引だとか、人質を危険に晒したなどとマスコミが騒ぎ立て、また、和さんも多くを語らないことにより、しばらくは話題になっていた。

後に、人質になっていた女性タレントが、他のタレントのこともいじめていたことが発覚し、和さんへの注目は次第に薄れっていた。



「もう終わった事だろう。聖也、ほら、さっさと注文しろ」

和さんが面倒臭そうに注文を急かした。


「結局ね、和ちゃんとつかさちゃんは、この後別れちゃうんだけど、別れの決め手は何だったの?」



重い沈黙が、4人を取り囲んだ。



「そうね、犯人を説得する姿はとても格好良かったし、多少強引だったかもしれないけど和宏さんのしたことは私も理解はしているの。でも…」


「この人がこの調子で刑事を続けていたら、同じようなことがまたあって、同じような感じで犯人を逮捕しようとするでしょ?そうしたら、いつかニュースでこの人の訃報を読み上げる日が来るかもしれないと思ったら、もう耐えられないと思ったの。だから、この人を一番近くで好きでいるよりも、遠くにいた方が良いかなって思ったのよ」



私と母・玲子は顔を見合わせて「つかささんは本当はまだ和さんのことを愛している」のだと、お互い理解するように軽く頷いた。




しばらくして外に出ると、夕暮れが光と影を鮮明に映し出していた。


「和さん、今日も色々ありましたね。あの事件の時、私はロンドンに留学していたので詳しくは知りませんでしたが、現役のニュースキャスターから解説してもらえるなんて、何だかラッキーな気がします」

私は少し皮肉を入れながら、和さんにそう言った。



「昔の話だ」

和さんは頭を掻きながら、面倒臭そうに言った。


「そうですか?もしかしたら、つかささんと復縁なんてことも、あるかもしれませんね」


「調子に乗るな、バカ野郎」

和さんはシャツの襟を直しながら、少し口元を緩ませてそう言った。



その時、目の前のビルから我々が追う容疑者らしき男が現れた。




「和さん、アイツです!」





つづく


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