3.11。震災の翌年に離婚したからまだパートナーと一緒にいた。思えば分岐点だった。被災中は一人が子供達の面倒をみてもう一人が水を汲みに並んだりと協力し合った。家族として最後の共同作業だった。いつ死ぬか分からない、そう震災で感じた。その時にこの人と一緒にいたいのか。答はノーだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?