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山崎2000→2001

現在の自分を作ってくれた過去の自分を振り返る。
そんな昔ばなし的なことをnoteにまとめたいと思います。

※山崎2000とは、2000年の時の思い出。っていう意味です。

2000年の山崎は19歳→20歳。まさに大人になる年ごろです。

大学2年生の時の私

ただ実際は、毎日何をするわけでもなくフラフラしている大学2年生。っていう感じでした。たいして授業にも出ないけど、両親の目を気にして学校には行くだけ行く。
そんな気持ちだからアメフト部の部室で漫画読んだり、ゲームしたり、学食でタバコの煙をぷかぷかさせながら、友達と談笑したり。
改めてしょうもない生活だったと思います(笑)
(結果5年大学に通ったのは、もう少し後にお話しします。。。)

先輩との再会

ちょうど2000年の今頃だったと思いますが、その後多くの刺激を受けることになるきっかけが急遽訪れます。

いつものように学食でぷかぷかしていたら、中学からの先輩K氏がフラッと現れ
『おう!ヤマ久しぶり!!
一緒に韓国行かない?タダで行けるよ??』
と。
普通ならこんな怪しい話に乗らないんですが、その時の私は
『え!?タダ??。それなら行きますよ』
と、返事をしてしまいます(笑)
シンプルに暇だったんですね・・・

ただし1つ条件を出されました
『毎週1回のMTGには参加するように』
と。
いよいよ怪しいですよね。普通ならついていきません。
でも、
『それくらいなら構いません』
これが、その時の山崎でしたwww

学生サミットとの出会い

こんな軽いのノリではあったのものの、なじみの先輩の紹介で参加したのが、【学生サミット実行委員会】(通称:学サミ)というインカレ団体でした。
活動理念は、【若者の視点から社会問題に対する解決策を見出す】ということで、私が参加したのは第2回サミットからでした。

メンバーは本当にいろいろな大学所属の方々で、私みたいなスポーツしかやったことない人もいれば、文科系のサークル、イベントサークル、無所属などなど、今思えば不思議なコミュニティだったと思います。

暇だったのも事実ですが、一方で当時の私は中学の時から大学の付属校に通い、多くの仲間に恵まれたものの変化の少ない生活に不安感がありました。
もうすぐ二十歳になるが、将来は大丈夫なのかと。
何かしたいことがあるわけでは無いけど、このままではだめそうだ。
そんな気持ちも背中を押していたのかもしれません。

こうして初めてのMTG@神田に行くことになります。

自分との違いを痛感した先輩たちの姿

軽い気持ちだったので、いつものようにロンT+スタジャンにジーパンを合わせるという、超カジュアルスタイルで臨んだところ、参加者の多くはスーツ又はそれに近いスタイルで、MTGの内容も半分以上何を言ってるかわからないレベル。めちゃくちゃ真面目。
ただ、どうやら韓国でやることを話しているようだ・・・
くらいしか理解できませんでした。

そして私は最初の刺激を受けます。
初めてのMTG以降、約束通り毎週顔を出すのですが、幹部メンバーのアグレッシブさがエグかったのです。

先に書いた通り、当時の私は変化の少ない日々を送っていますので、毎週会っても新しい話題なんてありません。
ところが学サミの幹部の方々は、1週間の間にいくつも語れるネタを作っている。(意識的か無意識かはわからない)
面白そうなところにはガンガン突っ込んでいくし、いつ寝てるんですか?っていうくらい時間削りまくって遊んでる。

というのも、この団体はもともとイベントサークルをやっていた人たちが発起人となり、イベントを推進するこの経験をもっと世の中に役立てられないか?ってことで始まった団体で、基本的にアグレッシブな人たちが多かったんです。こうした人たちを身近で見たのが初めてで、同じ大学生として素直に『すごい!面白い!!』と思ったし、『このままではいかん!自分もこうなりたい!!』という気持ちになりました。
※ちなみに初代代表の方は、大学卒業後には大手広告代理店を経て、今ではかなり有名なPR会社の代表をされています。

毎週会って話をするのが面白くて、活動以上に団体のメンバーが好きになり、興味を持つようになり、次第に活動そのものに対する本気度も上がっていったように思います。

じゃあその活動って何だったのかというと、、、
その当時は、2002年の日韓ワールドカップを控えていたものの
韓国に旅行に行く人なんて少なかったし、ましてや若い人が行く海外旅行はグアムやサイパン。韓国についていたイメージは
【近くて遠い国】
でした。

こんな状況で、ワールドカップは大丈夫なのか?ってことで
【若者の力で何とかしてワールドカップを盛り上げよう!】
という活動テーマを掲げ、日本と韓国の若者同士の国際交流イベントの企画をやっていたのです。
だから韓国に行こうぜ!だったわけです・・・

私が参加したのは、(記憶では)2000年11月あたり、開催は2001年3月で決まっていて、残り4か月。
ここから、その先の私の価値観を作っていく経験が始まるのです・・・


長くなってきたので、続きは次の投稿にしたいと思います。

それでは。

山崎


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ちゃんやま 山崎 雄司
仕事やプライベートの気づき、想いをつづっています。 励みになりますので、何か感じた方はリアクションをお願いいたします。