映画レビュー「ジョイランド わたしの願い」
生まれて初めて観たパキスタン映画。
描かれる世界が日本が舞台だとしても受け入れるのは簡単ではない。
理解は進みつつあるが、完全とは言い切れない。
それがパキスタンが舞台となると抵抗も強いだろう。
解説を読むと保守系団体の反発を受けて政府から上映禁止命令が出されたという。
何かといえばLGBTQに対する理解。
パキスタンの伝統や文化については無知だが、
家父長制の強い国だと映画から知ることはできる。
映画を通して外国の文化を知るのは重要。
特に最近は今まで公開のなかった海外作品に触れられる。
韓国映画のようにむやみやたらと入ってくるわけではないので、
自ずと選りすぐりの作品。
その国の代表が輸入される。
まだまだ鑑賞できる機会は少ないので、タイミングが合えばどのジャンルでも観たい。
本作は保守的な大家族の日常を描く。
家父長となるお爺さんを中心に長男家族、次男家族が同じ家に住む。
息子は仕事に出て、嫁は家庭を守り男児を産むことが望まれる。
昔の日本と同じだが、更に厳しい慣習を感じる。
大概、長男はしっかり者で次男はちょっと抜けている。
万国共通なのか・・・。
次男ハイダルは失業中で奥さんのムムターズが家計を支える。
しばらくしてバイタルに仕事が見つかるが、そこから家庭が揺るぎ始める。
冒頭の上映禁止命令に繋がっていくが、描く世界が誤っているわけではない。
自分らしく生きようとする行為が人を傷つけ関係性を壊していく。
日本にも同じような事象はあるはず。
抵抗感の強い国だからこそ目立ち、その分苦しい。
映画を観ながら1990年代か2000年代かと思ったが、普通にスマホを扱うので現代。
日本と比べれば何かと遅れており、お国事情は読み取れる。
それも映画からの学び。
パキスタンは南アジアか中東なのか。
海外事情に弱い僕は基本から覚える必要はあるが、映画はインドの香りも中東の香りもする。
バイクでヘルメットは被らないし、遊園地も一昔前の施設。
自分たちの世界が標準なんてことはない。
人の価値観も同様。
日本の標準もパキスタンの標準もない。
それそれが持つ価値観が全てといえる。
だから幸せにもなるし不幸にもなる。
ラストシーン、バイタルはどこへ向かうのだろう。
未来か、それとも別の世界か。
これも貴重な体験。
もっと海外作品を観る機会を増やしていきたい。