食事は大事、ないがしろにしない
今日は久しぶりに焼き肉を食べた。焼き肉は別に作ることは難しくない。言うなれば名の通り肉を焼いて食べるだけである。作る工程が難しいわけではなくて、焼き肉を食べるまでの気持ちの持って行き方が難しい。
これはどことなく焼き肉というものを、高級な物、何かの祝い事で食べるもの、大きな仕事、行事が終わって食べるものというイメージが私の中でこびりついているからである。当然焼くだけでうまい肉をたらふく食べるわけであるから、素材そのものが良質であることが必然であるので、高価なものに区分されることはふつうである。
今日の私はというと特にイベントがあったわけではなく、年上の同期?にたまたま会って、「今日焼肉行こう」とまるでルフィに誘われたかの如く突然言われ、流れのままに行ったという次第である。こういう場合焼き肉という食事も普通の流れに組み込まれて、普通に晩御飯を食べたという感覚になるかと思いきや、満腹感と幸福感がいつも以上にのしかかってきた。
思い出補正という言葉がある。他人からしてみれば何も感じるようなことはなくても、その本人の経験からくるノスタルジーやエモさみたいなものはそう呼ばれる。私の経験上焼き肉はそう言ったノスタルジーからくるものが多くのウェイトを占めているものだと思っていたが、全くそんなことはなかった。
もちろん、そのシチュエーションが違えば、より満足感は高かったかもしれない。よく行っていた思い出の店で、よく一緒に行っていた友人と食べていればそうなっていたであろう。でも今日はそうではなかった。それでもかなり満足している。
最近のことを思い出すと、まともな食事をとっていなかった。乾麺、冷凍めん、カップ麺のルーチンを繰り返し、流し込むように食べる。栄養のバランスも気になっていたので、ビタミンドリンクを飲む。2週間ほどそんな感じである。久しぶりにまともな飯を食べたことももしかしたらこの満足感の原因かもしれない。
結局思ったことは、食事は大事という当たり前のことである。当たり前であるけれども意識しない限り適当に済ませることが多いのではないか?普段から食事を意識している人は非常に関心する。その人の一週間献立をぜひ見てみたいものだ(なんならそれをまねしたい、お金を払ってでも献立を買いたい!!!、それぐらい献立を考えることも筆者は苦手である。)
毎日が退屈だ、単調だ、そう思う人は一度食事を意識してみてほしい。そして、'イイ食事'を食べてなければ、ちょっと贅沢してみるといい。何かを達成した記念に豪華な食事にすることもご褒美として素晴らしいと思うが、食事の側から贅沢をすることもそこから先のモチベーションにつながったりするかもしれない。
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