「心理的安全性」と「大きい声」
やまたつです。
「心理的安全性」という言葉が、結構好きです。
「心理的安全性」とは、「この空間(この人・この人たち)ならどんなことを言っても聞き入れてくれる(怒られない・変な風に思われない)」という状況のことです(たぶん)。
某外資系企業G社の担当をしている時、G社の社員から「この会社は心理的安全性を大事にしている」と言われて、次のミーティングでめちゃくちゃ怒られたことがありました。どこが心理的安全性だよ。
G社担当の時はG社の社員にめちゃくちゃ怒られていた(というより詰められていた)ので、G社のことはとても嫌いになりました。打ち合わせでG社の話が出てくると、「ああ。あの英語しかできない無能集団」と言うことにしてます。
嫌いなものの話は気持ち良いものではないので、とりあえずやめます。
社会人を9年もやっていると、心理的安全性があったチーム(組織)と、そうじゃない組織と、いろんな組織に属してきました。
「心理的安全性がある」チームはどのようにして出来るのか、というのを考えますが、未だに答えは出ません。
例えば、2019年に自分が所属していた部署は、心理的安全性がかなりあったように思います。
部長が40歳。チームはだいたい30歳前後の人たちで構成されている。8人ぐらい。実はほとんど一緒には仕事はしていない。だが、同じような役割を担っている。それぞれがそれぞれに大変な思いをしている。
最初はそんなに仲良くなかったけど、後半は毎月全員で飲みに行くようになってました。おそらく、全員その部署のことが好きだったと思う。お揃いのストラップとか作ってたし。
部長が良かったのか?たしかにその部長は何でも受け入れてくれる性格だ。裏表もほとんどない。
チームメンバーが良かったのか?たしかに、誰も誰に対しても悪口・陰口を言わなかった。そもそも、悪口・陰口を言うほど悪い点がない人たちばっかりだった。仕事熱心だし、趣味も豊富な人たちばかりで、自分の人生を生きてる、っていう感じ(自分はそうでもないけど)。
翻(ひるがえ)って、心理的安全性がないチームとは?たとえば私が今の会社で最初に所属したチーム。
メンバーの間がギスギスしている。Top2/3どうしが陰口をお互いに言い合っている。部長に対しても不満ばかり。
先ほどの心理的安全性があった部署も、翌年には人数が5人ほど増えたのだが、その時以降、心理的安全性がなくなっていた。
まあ結局、「誰かへの悪口」を誰かが言っているのを聞いたら、いずれ自分もそう言われるのではないか?と疑心暗鬼になる。だから心理的安全性が保てない。
結構単純だけど、そういうことでしょう。
先ほど挙げた居心地の良かったチームは、たぶん悪口とか陰口とかがなかった。ただそれだけのことかなと。
そのチーム、翌年には人数が5人ほど増えたのだが、その時以降、心理的安全性がなくなっていた。なぜなら、増えた人たちが40~45歳ぐらいで、あんまり仕事をしない人たちで、その人たちへのヘイトがすごかったから。
やっぱり、以前のチームは奇跡だったんだなあ。
つまり、「心理的安全性」があるチームを作るには、悪口とか陰口を言わない人を集めれば良いだけ。怒ったり詰めたりするのは言語道断。
で、「大きい声」の話。
通っている養成所の同期が、「大きい声を出して人の話を遮る人が多い」と言っていました。
自分としては、実感がなく、うーん。という感じ。
ただ、打ち合わせの時にたまに喋らずに議論を聞いていると、たしかに、「大きい声」の人とそうじゃない人がいる。
大きい声というか、「声が聞きやすい人」?あるいは「主張が強い人」?
主張が強いというのは抽象的なのでもう少し具体化すると、「自分の主張をはっきり断定的に言える人」及び「自分と違う主張が出てきた時にわかりやすく嫌な反応をする人」という感じでしょうか。
たぶん、「大きい声」の人は無意識だけど、声が大きくない人からすると、「自分と違う主張が出てきた時にわかりやすく嫌な反応をする」これに面食らって、自分の意見がだんだん言えなくなってくる。ということだと思う。
これでは、心理的安全性が保てない。
なかなか難しい話だ。特にお笑いの企画で「何が面白いか」を議論するときに、正解はない。だから、時には「自分が面白いと思うこと」を突き通さないといけない。そうじゃないと、自分が面白いと思うことができない。
おそらく、否定の仕方が結構大事。明らかに不満そうな顔、嫌そうな顔をしてはいけない。
(内心どう思っていたとしても)「あ~~そうだね、それも面白いかもね」と一回受け止めつつ、「でも、自分はこっちの方がやっぱり面白いと思う」って言うのがベストか。
かなり面倒だけど。それをやらないと、「大きい声」の人ほど主張が強くなり、声が大きくない人は発言すらしなくなる。
「大きい声」の人ほどスクールカーストが高い、という仮説があるのですが、それはまた別の機会に。
大きい声の人の意見が正しいとか、良い、ということは決してない。
だから、声が大きくない人の意見も通るような雰囲気づくりをしないと、というのはもう少し心掛けたいなとは思います。