「感情を正しく表現する」について
やまたつです。割と今さら感もありますが、noteを始めました。
理由は、「おばたのお兄さん」という芸人さんが「アウトプットを欠かさない、思っていることをアウトプットするにはnoteが一番」みたいなことを言っていたので、それもそうだなあということで。
昔の私は、紛れもない「あまのじゃく」だったので、基本的に「何かを勧められたらやりたくなくなる」「みんながやっているものはやりたくない」という人間でした。だからmixiはやらなかったし、大学受験では東大を目指したのですが、それはまた別の機会に。
最近は「流行ってるものはとりあえずやってみよう」「人に言われたことは受け入れてみよう」というマインドに変わったので、noteを始めることも前述の「おばたのお兄さん」のお話を聞いてすんなりできました。
おそらく、新卒で入った会社の影響が大きいと思う。
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最近、コロナ禍のせいかわからないけど、「本当にその感情で合ってる?」と疑問に思うことが多くなってきました。
一番思ったのは、眞子さまと小室圭さんの結婚報道について。Twitterやヤフコメでは「ふざけんな!」「国民をなめてるのか!」みたいな”怒り”の投稿がやたら多いのですが、本当にあなたが持っている感情は"怒り"で合ってる??と。
それは小室圭さんに対してだと思うんだけど、小室圭さんのお母さんが元婚約者の方との金銭トラブルが解決していない。それで、小室圭さんが眞子さまと結婚することに対して"怒る"って、自分の中ではかなり遠い気がする。
①小室圭さんのお母さんの金銭トラブル→②お母さんが抱えるトラブルは息子も同罪だ(?)→③そのようなトラブルを抱える親子の家庭に皇族が嫁入りするのはけしからん(?)→④皇族が嫁入りするときにはその家族に税金からの莫大なお金がいくわけで、それが納得できない
論理的に考えるとこういうことでしょうか??
このように整理するとわかると思うのですが、まず②なわけはないし、③も眞子さまが小室さんのことを好きだって言ってるんだから第3者が何か言うべきことじゃない、というか、だとすると「小室圭さんのことを好きだって言う眞子さまはおかしい!洗脳されている!!」という言説ならまだわかるのですが、そういうことにはならない。
そして、④。これはまだわからなくもないのですが、こちらの記事のようにそれも眞子さま自身が断るらしい。
だとすると、一体Twitterやヤフコメで「怒っ」てる人たちは何に怒っているのか??という疑問が再燃してくる。
結局のところ、そういう意見の人たちは、「怒り」と「嫉妬」を間違って表現しているのではないかと思う。
元々、普段から「怒り」という感情を常にかかえている。コロナ禍でストレス発散ができない、家にいるばかりで面白くない、仕事も退屈、そんな日々の中でフラストレーションが溜まっていてその捌け口を探している。
一方、小室圭さんを見ると輝かしい。まだ弁護士ではないけど、海外に留学して司法試験を受けるレベルまでにはなった。イケメン。そして、皇族と結婚。何不自由なさそうな感じ。そしてちょっと話し方がいかにも頭が良い人の話し方で鼻につく(笑)
それは、紛れもない「嫉妬」。人生上手くいってそうな小室さんと、上手くいっていない自分。
本当は、「小室圭さん幸せそうでうらやましいな」じゃないんですか?
「うらやましい」という言葉は他の人が賛同してくれるかわからない。自分の内面をさらけ出しているような気がして、恥ずかしい。そもそも自分は「うらやましい」なんて思わない。だから、その感情は表には出さない。むしろ、自分が「うらやましい」という感情を持っていることに気づかない。
それが、日々茫漠と感じている「怒り」に誤認され、「小室圭さん、ふざけるな!」という意見に代わってしまったではないかと思う。
なんだかかわいそうだな、と思う。
「怒り」というネガティブな感情は、その原因や理由を特定できれば軽減できるけど、こうやって「感情を正しく表現できない」と、原因や理由を特定できなくなり、ずっと同じ負の感情を抱きつづけたままになる。
それが「嫉妬」だって気づければ、「ああ、自分もお金持ちと結婚しようかな」ぐらいに楽に考えられるはずなのに。
自分がその感情を本当に思っているのか?と内面に問いかけるのは、とても大事だと思う。
私は小室さんうらやましいなあ、と思うけど、別に怒ることは1mmもない。あと、せっかく結婚するなら、なるべく第3者の目を気にせず、悠々自適に幸せになってほしい。ただそれだけです。