さて、二号店オープンと最近の新成人職員について。(僕は卑怯が嫌いだから、悪意なく書く)
さて我がパーラー山と田んぼ二号店が、大橋のテナントでにオープンした。
東北の紅茶キタハあります!!
お花の方もたくさんいただきありがたい。
販売の方もありがたく、おかげさまで名物のフルーツサンドが一日100個以上売れる計算になる。
Facebook↓
https://m.facebook.com/yamatotambo/
うちの社長が就労B型として一号店の本店を前谷地に開くために2500万以上借金をして店をオープンをしたかいがあった。
社長もいきいきしているし、奥さんも、障害を持った職員も、よくしている。
さて、前谷地のくだりがでたあたりで、少しこの「パーラー山と田んぼの歴史」を少し話しておきたい。
もとは2017年11月に前谷地の本店がオープンした。
これは石巻河北さんの猫の目だったかな?に記録が残り、後でURLを貼る。(調べたけど無かった(^_^;))
石巻というか宮城県北で初めてできたカフェ型の就労支援施設だった。
だが、カフェの形式上運営は難しく、当時の職員も出入りが激しく、パン作りのチーフと呼ばれたスタッフはもういないんだよなぁ。
なにより僕が当時談を聞いたときに、コーラ1服200円という値段はちょっと反抗した。
僕が入ったのは2018年7月。
当時は仕事がなく、カフェは優秀な大学卒員の方が収め、障害者は2名ほど常駐、パン作りには今のシェフという障がい職員がいる程度でみんな薄給料だった。
僕の主な仕事もやすりきりで、正直働く価値のないところと思っていた。(20時間労働で給料は3千円以下)
僕もだまされていた。当時僕が初めてあったときに社長が給料のことをきいてきたとおぼえていたが、そもそも給料は明示されず、しかも三ヶ月ごとに時給は50円アップと言われたが、2020年になるまでに200円程度の時給しかなく、また会社の経営は危なく、そのことを問うて色々発言した。
昔は時給200円でも自由時間というものがあって、自由時間は時給に100円から150円の手当があった。もちろん寝ていては活動時間に入らなかったが、僕は当座麻雀のことを書いてキンドルで売り、社会貢献と売上を東日本大震災の支援に当てたかった。
さてそうしている間に、うちのパーラー山と田んぼに増設があり、カフェの前に、木造の小屋というか入り口が設置され好評となった。
これは2019年から2020年の間にあった。コロナの前と覚えているが、ログを漁ればパーラー山と田んぼのFacebookを見れば良い。とりあえずあった。ログはご自分でおさがしください。
そして2021年8月。パーラー山と田んぼキッチン部門開設。
石巻の新聞のURL↓
https://kahoku.news/articles/20210821khn000036.html
そして僕はキッチンのデリバリー部門で働くのであった。
さてさて、今回の件。うちの若手がやめたがっていて。の話をしたい。
もともと当の若手は、もう二十歳を数年過ぎた人材。
大学は出ず、高校卒業から家で暮らしていたらしい。
高卒。
社会に出る願望はあったが、一回の就職に落ちて無職したらしい。
勉強もできず、こちらも困っている。
何よりの困りは向上心の、、なんというか理解力がない点。
話をしても若いため自分の話に変換しないとだめらしい。話をしても一回一回に途切れがあり、、僕の昔もこうだったからわかるものの。やはり指導は難しい。(あんまり指導するつもり無いけど)
さてさてと今いる正職員の事務員に。
「パーラー山と田んぼは就労支援事業だから、支援事業として、読み書き経理の基礎知識、その他諸々の社会常識おしえるべきじゃないの?」(意訳)「履歴書の書き方くらい教えたら?」というと。
「パーラー山と田んぼは支援事業だけども(意訳)、私達職員は事業の(倉庫管理などの)仕事を請け負っているだけで、履歴書の書き方の指導員ではない。
指導員はパーラー山と田んぼではなくて、パーラー山と田んぼの次のステップにいる(役所の人が準備した)その若手の担当者がすることで、私達は今ある乗務で手一杯です。」
とことで、話が付かない。
もちろん事務員さんの業務と支援という名の指導で忙しいのもわかるし、元々の事務員さんは事務員さんだし、かと言ってカフェの運営で雇われた日も来て3日のスタッフに問うわけも行かず、管理人の名になった社長に聞くわけも行かずに困った。
また話を続けるが、等の若手は最近原付一種の免許を取り立てで、田舎社会の必須科目の普通自動車免許も持っていなかった。僕はこれを若手にとうと、若手は車の値段も知らなかった。しかも当の就職したい施設も利用したこともなく、仕方がなく、施設というか会社の社会関係も話すと、納得がいかず、こちらも困った。
しかし、自分の預金だけはわかっていて。
僕が、そんなに勉強したかったら専門学校行きな!と話すと、専門学校の年間にかかる単位の基本のうん百万円も理解せず、困ったの一言に尽きる。
これでは経歴書のアナウメにも当施設は使えないし、そもそも障がい者がパートなどにつくことも容易ではない。
そこで障がい者の施設としてのこちら側のパーラーとしての社会関係をメモしておく。
元々のパーラー山と田んぼは就労B型としたある。しかし社会支援事業であると同時に(就労支援事業なので)、パーラー山と田んぼは「カフェと事務所の倉庫管理、やすりきり、キッチンや厨房の調理など」が仕事であり、社会参加はできるが、社会の復帰や就労のエンドやつなぎではない。それを、エンドやつなぎを問うならば就労A型や障害雇用がある。
そちらならば雇用契約という法で守られた、障害雇用がある。しかし雇用契約がないとういことは時給が百円でも文句は言えない。その代わりに障害年金の時給要件の年収に関わらないためと、「就労A型B型につとめる障がい者は、障害年金一級または二級に(よく感じを覚えてないけど)含めるや値するなどの表現が含まれる」そのため障がい者は就労支援事業に求めやすい。
またが続く、就労支援事業を離れる障害者は主に雇用契約を結ぶ介護事業に当たる。しかしながらよくよく雇用契約をみると。契約書に(もし職員の過失により、利用者の(ご老人が)ケガなどの障害になった際は、職員の(最悪100%の)責任と費用を請求する)とあり、障害雇用は障害雇用として成り立たず、これもまた困るという表現である。このあたりを話すとなるとメモするとなると、国の補償制度であった年金と国家予算による直接のご老人の介護と、なぜそれを介護の雇用と利用者の拡大で、国が投げ、サービス業種として成り立ったのかの歴史とサービス業種としたサービス業種の会社の説明となり、こちらの身が持たない。それこそ福祉関係の大学のような社会的権威を持つところでしか話せないところの話を、就労支援事業として話すわけには格として無理なものである。少なくてもネットにはかけない。
当の若手はその手の常識はなく、また昔である平成から昭和にかけてのバブルとの社会的な関係もこちらとして話をすることもできない。もしお客様としてカフェをお金払って接客業としてならばネットに書かず口頭でとならばできるのであるが、それは地権団体に直接なにかしている県の関係との相談であるが、お客でもない職員にそこまですることはできない。これも話を後日するが、そうなるとなぜ客に対してカフェは話をごにゃごにゃできるのに就労支援事業の職員は、となりこちらも困る。
それこそ一般に言う社会経験である。そのことも管理者に話した。すると社長は「若手はまだまだ若者だし千葉くんと違う。若者にはあと一ヶ月頑張ったらやめてもいいと伝えた。社会経験はこれから」と事と。僕が教育する必要までもないといった。しかし当の若手は、勉強するためにお金を投げるのも否定し、カフェで働くためのリクルートスーツを買うお金にも、ズボンを買うお金にも疑問を持った。これには困る。
僕らのスタッフはこの手の人は少ない。社会的に働けず仕方がなくうちに来た人は多い。そのため社会的に弾かれた感はあるが常識のある気の小さい人が多い。勉強はできないかもとうつが、穏やかな人が多い職場で、少なくてもパートさんは働きやすいところである。
しかしながら、社会的になにか教えるには刺激がなく、またといういつもの表現になるが、社会的差別はないところである。そのため時給は安いが。
その手の人が来ると困る。
現に困っている社会弱者もおり、こちらは社長が保護しているということもある。穏便に伝えたいが、僕はこの手の話はしなくない。しかしこのような令和の子がいる以上、いつかは昔ばなしとして話さねばならぬとしておく。
もちろん当のの若手にはこれを伝える。もしわからなかったらもう一度聞けばいいし、社会の常識は「一度言ったことは暗記しろ」の一言になるため。僕ももうできない技能であるため略する。
パーラー山と田んぼは、社長が悩み事を気軽に話せる場所として石巻に開設した事業所である、カフェではない。
さて、パーラー山と田んぼはどうしたらいいのだろうか?僕も困る。
(2022年3月22日午後10時40分追記)
パーラー山と田んぼはカフェである。
フルーツケーキはじめの販売所でも就労移行事業の代理店でもない。これについて言う。
パーラーは人によってはやまたんだが。僕はこれについて夜18時から今まで考えたので、一応僕の意見として書いておく。
パーラー山と田んぼはカフェである。カフェは最近のスタイルだが、パーラーという言葉は旧式である。パーラーは今はパチンコ屋さんの意味に取る人もいるが、昔のパーラーはカフェである。
カフェは軽食の意味でもあったはずだし、カフェにはマスターがいて、それに従う女性スタッフがいた。
うちの社長もそういう感じで、話をよく聞く店長と話をよく聞いてくれる女性店員さんがいて、ときに軽食としてパルフェを食べ、厨房のスタッフはフルーツサンドや持ち帰りのケーキを作り、ランチは昼食でいまどきのコーヒーでドリップしたコーヒーとパンとサラダと副食が付き、営んでいくのがうちの理想のような気がする。ランチが終われば通常営業で色々なお客さんとときに政治や経済の話をするサロンになり、昔の床屋のようにコーヒーを入れながら雑談する。そのような施設がうちと見たい。
べつにほかの会社の製品でも魚や野菜を売るのでも良い。だが話をしたいお客さまが話をしやすい時間帯は取りたい。
それは社長の意向もあって。
もともと社長も就労施設に正社員として入っていた。一般の就労施設の正社員は、昔の言い方ならば窓際、または追い出し部屋で。
うちの社長もそういうやめたいけどほかに働き手のない障がい者をみて、就労施設を研究してできたのが「パーラー山と田んぼ」であり、そこからできたのが「森のキャビア」である。
僕の友達のkくんやskくんももとは農業に従事していた。しかし農業の従事はかなり特殊という。今の農業は無農薬高付加値商品を作る。しかし無農薬は農薬をつかわないわけで雑草は手で取るし、水は機械で移動しないという想像もできた。とくにkくんは今でもムキムキの筋肉でじゃれあっても肉の弾け具合を触っている。笑
その代わりkくんは発達障害で漢字も書けない。そのため能力的に農業で機会も使えなかったので水も他の障害者と同じくバケツリレーだったかもしれない。そんな中働いているのでkくんはよく「しあわせだなぁ」としみじみいうのだ。
ギャグとして言っているのかわからないけど、よく聞きながら、どこかのワンちゃんみたくボディタッチすると無茶反応してくれるkくんはやっぱり良いやつだなぁと思う。
パーラー山と田んぼはそういう人も働いている。しかしカフェは、昔ながらの個人店舗に、今回大橋というテナントだが、焼き菓子も売り場所が狭く、社長も直さないとなぁとぼそり。僕はそれを見ると、パーラー山と田んぼは何が足りないのかなぁと見る。
ケーキは最近売れてきたし、パンもこの頃惣菜パンが残っているけど、ギフトもうれてきて。うーん在庫がない?まぁそれもある。
ならば外的資金援助を得るために、おいしいものを販売する、はどうだろうか?
べつに特別なものを作るのではなく、今ある資産で惣菜を大橋や前谷地に、今ある石巻のアンテナショップの協力として前谷地に販売支援所を。としたらパーラー山と田んぼ はもっとばけるのではないか?
イベントもいいかもしれない。それ社長に言ってみるか!
カフェは是非したい。僕も販売をして、調整をして、将来社労士の資格と社会しゅじ?短大出るだけで取れる資格を取って、パーラー山と田んぼで活動したい。うーん名前はクラフトマンかな?いまは特別広報だけど名前も変えたい。
イートインだね。パーラー山と田んぼは、お得とおしゃべりが好きな人が集まるカフェがいい。そのようなお客様お待ちしてます!!
とにかくイートインが自由にできる社会に復帰したときに、美味しいものをこちらは届けて、食べてもらう。コスパが大事、パーラー山と田んぼは、多い、遅い、おいしいが売りである。無農薬野菜ででアレルギーなどある人が、むしゃむしゃ食べて元気になれる、そういう食品を届けるのがうちであるはずだ。
だが問題はコスパである。コスパは安い食材を使えば良い、しかし安い食品を就労施設を使用してもわかる。味はどう作ろう?試食を職員グループでシェアするといいか。今の職員食券制度か。他の意見もほしい。皆さんがいるか。うーんむずかしいかも汗。
地域と協力してみる?
今はこのみちか。となるとイベントですね。イオンと生協と東松島市があった。
アンケートが必要。営業か。うむ難題だね。
とりあえず店に出るかそうすっぺ。話かける人になればからかな。
当分店にいまーす。大橋店よろしくです。