味は忘れたけど、ケンタッキーより食べたいチキン!
高齢者との会話の中で、『あの味とはもう出会えない』『もう一度食べたい』なんて、ドラマや、映画のようなセリフが出てくる事もあります。
今回は私のどうしても、もう一度食べたい物を考えながらそれらを考察していきます。
1.忘れられないチキン
私は若き20代にワーキングホリデーをカナダでしておりました。トロントとバンクーバーに半年づつお世話になったのですが、ワーキングホリデーの醍醐味である仕事をしながら時々遊びます。
カナダの東海岸からはニューヨークへ、西海岸のバンクーバーからはロサンゼルスへ旅行しました。
今回、私が思い出しているのはロサンゼルスのリトルトーキョーで食べたおそらく素揚げのようなチキンです。数坪の路面店でした。
店の主人はおそらく日系人でした。なぜならば、60代くらいだったからです。あくまで憶測ですが。
本当に食べた事がないほどの美味しさに『おやっさん、これ、ケンタッキーより上手いじゃん』と言いました。
店の主人『当り前だよ!』と言われたのを覚えております。
帰国後、数年してから思い出して店を調べましたが、個人事業主でしょうか、よくわかりませんでした。勿論、英語サイトなのも理由としてあります。
とにもかくももう一度食べたくて仕方ありません。
海外とまでいかなくとも、人にはこのような、もう一度食べたいものというものは結構あると思うのです。
2. いつでも食べられる安堵感
では仮に、このチキンの詳細がわかったとします。勿論、私の場合、家族総出でロサンゼルス旅行に行くと思います。
そして、日本にこのチキンが広まったとします。永遠と食べているかもしれませんが、飽きが来る前に、いつでも食べられる安堵感から食べなくなると思うのです。
飽きれば必然的に食べなくなりますが、『いつでも食べられるんだから』とチェーン店何かを避けた経験は皆様もありませんでしょうか。
3. 高価だと余計食べたくなる
鰻が食べたい、鮨が食べたい、焼肉を食べたいと人は言いますが、何故でしょうか。あまり食べられないからです。
なぜあまり食べられないからと言えば高価だからです。
従って、物凄く食べたい理由は普段食べられないからです。食べられない理由として、高価であるだけです。
人は食べられなくて、美味しいと感じるものは無償に食べたくなります。私の場合は幸い高価なものではないですが、ロサンゼルスの路面店の詳細情報が17年も経った今でも食べたいです。正直、難しいです。結構ハードル高めです。
従ってより一層食べたくなります。
そう考えると、ビュッフェ等で高いものを選んで食べるのもありですが、普段食べられるか、今後食べられるかを考えるのも有効な考え方です。