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情けは誰かのためじゃないということ

社内で人材の育成についての議論をしているなかでふと思ったことがあったので、久々に筆を取ります。
ちなみに、考えるきっかけがこの議論だっただけで、この記事の論点は少し違うところにあります。

結論から書くと、「情けは人の為ならず」ということを改めて思ったというお話しです。

この言葉でたまに間違ったとらえ方としてあるのが、「情けをかけるのはその人の為にならないから情けをかけるのはよくないよ」というとらえ方ですが、これは間違いで、本当の意味は「情けをかけることは相手のためじゃなくて自分のためにかけるんだよ」といった意味です。

この言葉に「自分は変えられるけど他人は変えられない」という言葉を合わせて考えると何か一つの真理のようなものがみえてくる気がします。

こんなに期待していたのに裏切られた!みたいな話ってよくありますよね。手塩にかけて育てた部下があっさり転職しやがった!みたいな?

まあ、この部下の人の行動の是非はともかくとして、こういう感情って精神衛生上よくありませんよね。こう思うことがないようにするには、何にも期待しないというのも、一つの手かなとは思います。

しかし、それもちょっと悲しい話だし、同じことでももう少し前向きに捉える方法もないかなと。

そうです。
そこで「情けは人の為ならず」というわけです。

期待をかけるのは誰のためかと考えるということです。それは相手のためではなくて自分自身のために相手に期待するのだと考えます。さっきの部下の人の例だと、その人が転職することは自分自身には最終的にはどうすることも出来ません。

親子関係でも同じようなことはよくありますね。私はこんなに大変な思いをしてあなたのために尽くしたのに、なんでこんなことになってしまったの!みたいな。これも同じことです。子供と言えども別の人間であることに変わりはないので最終的にはどうすることも出来ません。

なので考え方としては、
わたしが期待したいから期待しているのであって、結果、相手がどういうふうに考えて、どういう行動に出るかはわからない。
といったふうに考えるといいのではないかという話です。

まあ身近な人だとすぐにこう考えるのは、難しいかも知れませんが、たとえば好きだった漫画のエンディングが期待はずれだったとしても、少し残念な気持ちにはなるかも知れませんが、なんでお金と時間をかけて追ってきたのに、こんな期待はずれなんだ!!とまでは思わないと思うので、この感覚に近いでしょうか。

まぁ今回はこんな話です。

ではまた!

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