全員、おじさん。が始まった当初と今。
タイトルどうも、センサールマンの山﨑仕事人(何一つミスをしない人になりたいマン)です。
よろしくお願いします。
🐈全員、おじさん。が始まった時の話。
昨日の記事で『全員、おじさん。』のことを書きました。
このライブは一年ほど前に、にぼしいわしのいわしに「おじさん集めてライブしたいんで出てもらえませんか?」というギリギリ失礼なオファーを受けて出ることになりました。
ただその時は一回こっきりのライブだと思ってたんです。
そしたらどうもユニットライブとして続けていく感じで。
「あ、そうなんだ。」と。
正直その時の僕の気持ちはそこまで前向きではなく、「ええ~どうしようかなぁ…。」でした。
更に一回目のライブ終わりに改めて「マジでどうしようかなぁ…。」となりました。
と言うのも、ライブの平場があまりにも大平場過ぎて(※変な日本語)、「これは僕の知ってるお笑いじゃないぞ…。」と。
ライブ後に出演者同士で「(色んな意味で)このライブヤバいなぁ…。」と言い合ったのを覚えています。
その時の自分の気持ちをもっと端的に言い表すと、「嫌だなぁ…。」だった気がします。
🐈「嫌」の種類。
ぶっちゃけ、ライブを抜けさせてもらおうかなとも考えました。
この中に自分がいたところで流派が違い過ぎてやれることがないし、いる意味もない気がしたので。
ただ、なんとなく、抜けるのは違う気がするなとも思ったんです。
今自分が感じている「嫌」は悪い「嫌」ではないんじゃないかと。
決して「嫌い」というような意味での「嫌」ではなく、何かしら反射的な拒絶反応のようなものな気がしました。
例えば、筋トレをする前の嫌さと言いますか。
例えば、勉強をする前の嫌さと言いますか。
例えば、旅行の準備をする時の嫌さと言いますか。
例えば、大掃除の前の嫌さと言いますか。
例えば、ネタ合わせの前の嫌さと言いますか。
どれもこれも「そこを抜けたらええことあるで!」っていう嫌さ(面倒臭さ)です。
それに近しい物なんじゃないかと。
間違いなくエネルギーが溢れている場ではあったので、「なんかええ匂いがする!」というセンサーが働いて、結果的には抜けるのを留まったような気がします。
🐈一年後の現在。
で、一年が経った今、抜けなくて良かったなぁと思っています。
それが本音なのは昨日の記事を読んでもらえれば分かるんじゃないでしょうか(そもそも二日連続で全おじのことを記事にしてる時点で言わずもがな
)。
ただ、このライブを通じて自分自身が何か成長したかと言えば、特になにも変わっていない気がしています(笑)。
ひとつあるとすれば、初期にあった「自分も何かしなきゃ…!!」という変なプレッシャーみたいなものはほぼ無くなって、「なんにもできないから後ろで笑っとこ!」と開き直れるようになったくらいでしょうか。
あの渦の中に飛び込んでいったってどうせ何もできやしないのでそれくらいのスタンスでええと思ってます。
ただし、「自分に何ができるかなぁ?」と考えるのは止めないし、突然スポットライトを当てられた時に最低限の仕事ができるよう気は張っておきますが。
と言うわけで(?)、『全員、おじさん。』面白いので是非お越しください!!