喧嘩を「見せる」意味
どうも、センサールマンの山﨑仕事人でございます🐈
今日の記事は、「落とし所のない喧嘩も第三者に見せれば意味が生まれるよね!」みたいな、だいたいそんな感じの内容です。
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ネット上の喧嘩は無意味
Twitter上で知らん人同士の喧嘩(口論)を見るのが好きです。
「好き」とまで言うと少し語弊がありますが、なんか見ちゃうし、ずっと見てられます。
発端の2人だけじゃなくどんどん人が参加してリプライや引用リツイートが枝分かれしてたらそっちも延々見ちゃいます。
あの手この手を使って論破しようとしたり煽ってみたり頑張ってる様子が楽しいんですよね。
傍目から見たら完全に負けてる側が勝利宣言しているのとか最高に笑えてたまりません。
ただああいうのを見るたびに「無意味だなぁ」とは思います。
どちらが勝つとも負けるとも決着することはなくて、お互いに「自分が正しい/相手がおかしい」という想いを強めて終わるだけですし。
内心「自分が間違ってた…」と思う人もいるんでしょうか。
喧嘩を見世物にする
もしああいうネット上の喧嘩を自分自身がやる意味があるとしたらそのやりとりを「第三者に見せる」ことですね。
相手の意見を利用して自分の意見を「周りに見せる」とか、態度の悪い相手にちゃんと相手してあげているのを「周りに見せる」とか。
そうでなければ正直、「お前は俺より馬鹿なんだから黙ってろ!!」で終わればいい話ですもの。
実際にそういう人を利用させていただくことがたまにあります。
SNS上でやりとりすることもあれば、このnoteで記事にさせていただくこともしばしばです。
あと、過去あまりに態度の悪かった人(他のお客様に迷惑をかけてる)をライブ出禁にしてそれを周知したこともありますし、ライブ配信なら分かりやすく「ブロックしまーす」と宣言してからブロックします。
そうすることで抑止力となったり、今いる人達への信頼となったりするわけです。
悪い言葉で言えば「見せしめ」でしょうか。
ちなみに「信頼」という言葉を使いましたが、これはあくまで「この人はこういう人だ」と分かりやすく伝えるという意味です。
決して「僕が正義」とまでは思いあがっていません。
極論だと善悪は関係なくて、例えば「必ず暴言を吐く人」であれば「この人は暴言を吐く人だ」という信頼を得るわけです。
そういう意味で、頭のおかしい人に絡まれるのは好きだったりします。
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