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雑誌を作っていたころ020

等身大ヌードポスター


数日後、学研業務局生産管理部の中右さんから電話があった。
「やれますよ。印刷も、折りもOKです。苦労しましたが、テスト結果も上々です」

日本に一台しかないという「A4倍判」の印刷機を使って、等身大ポスターを縦に2枚並べて印刷。その印刷所が持っている断裁機で周囲とまん中をカットし、それを折り工場に運ぶ。
折り工場では畳表を折る機械でまずポスターを半分に折り、そのあとは普通の折り機でA4の雑誌に挟めるサイズにまで折るのだそうだ。
心配された「割れ」も、畳表を折る機械を使うことで回避できた。
さすがは学研。普通の出版社では、こういう発想は出てこない。

すぐに販売局と打ち合わせし、折ったポスターをビニールの袋に入れ、袋に雑誌名と雑誌コードを印刷することで、取次の了承を取ってもらう。あとは撮影の段取りだけだ。

編集プロダクションの社長とは、侃々諤々の議論となった。彼は編集よりもキャスティングと撮影が専門なので、こういう話になると熱が入る。
「用途を考えると、寝かせて撮りたいですね。真俯瞰の撮影ができるスタジオを探す必要があります。印刷の大きさを考えればカメラは4×5、レンズは360ミリ。だとすれば、撮影距離は10mはほしいですね」

探したところ、意外に近い場所に条件に合うスタジオが見つかった。天井が3階の高さにあり、屋上の小屋から天井に開いた穴を通して真俯瞰の撮影ができる。
すぐに機材を持って確認に行ったが、編集部員を寝かせて撮ったポラロイド写真は、歪みもなく撮れていた。

そして記念すべき第1回の撮影日。何が起るのか、よく飲み込めていない様子のAV嬢を台に寝かせ、左右を3台ずつの大型ストロボで挟み、撮影はスタートした。

モデルには恥じらいを含んだ驚きの表情をしてもらい、手の指を大きく広げ、脚はやや内股気味に。髪はふわっと周囲に広げる。何度も巻尺で寸法をチェックし、撮影終了。いい感じの写真が撮れた。

雑誌のレイアウトは原寸で指定するのが原則だが、等身大ポスターはそういうわけにはいかない。デザイナーのところには、そんな拡大率のトレーススコープがないからだ。
しかたがないのでレイアウトは実寸の6分の1で作ることにした。製版もそのサイズで行い、あとで「目のばし」をすることにした。

ところで、この時代はまだアンダーヘアが解禁になっていない。ところが撮影したフィルムにはヘアがばっちり。当然、製版時にモザイク処理をすることとなる。

それをどう指定したものか悩んでいたら、印刷所から「立ち会ってくれ」と連絡が入った。アンダーヘアのモザイク処理をやったことがないのだそうだ。

この時代に、それをしたことがないとは、どんな高貴な印刷所だろうと名前を聞いてびっくり。「東京印書館」という、平凡社の兄弟会社だったのだ。もちろん、「月刊太陽」「別冊太陽」でさんざんお世話になったところである。知り合いだってたくさんいる。

製版当日、デザイナーと東武東上線の成増駅で待ち合わせ、通い慣れた道を歩いて東京印書館へ。まず営業部に顔を出すと、学研担当の土師さん、平凡社担当の大友さん、ほか何人か知った顔がいる。

「山崎さん、今回はすごい仕事を持ってきてくれたんだって」
と大友さんが言う。新人のころ、彼にはずいぶん迷惑をかけた。原稿の分量を間違えて発注してしまい、一度打った写植が全部無駄になったこともある。
「すみません。原稿の文字組みを変更します」
と伝えたら、無駄になった写植の印画紙を「二度と間違えないように、これを持っていなさい」と渡されたのだった。

製版室からは、女子社員が全員外に出された。ヌード写真の加工なので、オペレーターの気が散らないようにするためだという。この会社は、いつでも本気の製版をしてくれるが、それにしてもすごい対応だ。

デザイナーと2人で製版オペレーターを挟み、サイテックス社のレスポンスでモザイク加工を進めていく。

今ならフォトショップで一発だが、当時はイスラエル製のこの機械でなければ、モザイク処理はできなかったのだ。登場したとき、「写真から電線が消せる」というので有名になった機械だ。

AV嬢のアンダーヘアは、普通の女の子よりかなり刈り込まれている。ハイレグに対応するためと、いろいろなポーズを取ってもヘアが写らないようにするためだ。

だから股間に縦に味付海苔が貼ってあるように見えてしまう。それをそのままモザイク処理すると、かなり不自然だ。そこでデザイナーと2人で、モザイクに色をつける注文を始めた。

「そこ、それは煉瓦色」
「もうちょっと暗く、どどめ色」
「ヘアの中にちらっとピンク色を見せましょう」
「このへんまではみだしているみたいに」
仕事なのだが、どうにも妙な気分だった。

数日後、またデザイナーと成増に行く。今度は印刷立会いだ。
三菱重工製のA4倍判試作印刷機は、輪転機が全盛になる前に作られたもの。多面付けでコストダウンを図ろうとしたものだが、現実には操作が難しく、色調整にも熟練の技が必要だったため、試作のみに終わった印刷機だ。

今までは駅貼りポスターの用途でかろうじて生き延びてきたのだが、ぼくらの妙な企画のおかげで、急に日の目を浴びたのだという。
最新の印刷機はコンピュータ制御なので、1人のオペレーターがコントロールするが、この機械はなんと8人で動かす。

4色の各シリンダーに1人ずつ、給紙と排紙に1人ずつ、油をさして回る人が1人、そして全体の指揮を執る班長だ。
「まるで小さな軍艦ですね」
と、ぼくが言ったら、班長さんは嬉しそうだった。

テスト刷りを始めるが、色むらがひどくて、とても見られたものじゃない。30分くらいたって、かなりマシになったが、写真原稿からはほど遠い。すると班長さんは刷版の現場に電話をかけ、版を作り替えることを指示した。巨大なアルミ板のオフセット刷版が4枚、無駄になったのだ。

そういう大がかりな作業を繰り返し、6時間後に満足できる刷り出しが得られた。ぼくは赤マジックで刷り出しに「OK。山崎」とサインして、印刷現場を後にした。

翌日、折りの現場に立会いに行く。今度はぼくと生産管理部の中右さんの2人だ。いかにも町工場然としたところに入っていくと、奥から見たようなおばさんが駆け寄ってきた。

「オサムちゃん、オサムちゃんね。まあ、立派になって」
板橋に住んでいたとき、隣の路地の奥に住んでいた矢野さんだった。「立派」とは言えないかもしれない仕事なのだが、昔なじみにこんなところで出会うとは思わなかった。

母と話がしたいという矢野さんに実家の電話番号を教え、折り機のところに向かう。
断裁が済んだ等身大ポスターは、みごとだった。それを職人さんたちが熟練の手つきで折り機にセットしていく。その作業は鮮やかだったが、それを見ているうちに、「折っていないポスターは、通販商品になるかも」とひらめいた。中右さんに、「予備のポスターは、折らないで全量青人社に送ってください」と伝える。
これが後日、ドル箱となる通販ビジネスにつながったのだ。

「雑誌界初の等身大ヌードポスター」を付録にした「おとこの遊び専科」は、完売した。そして毎号レギュラーの付録となり、この雑誌の黄金時代を迎える。苦労したが、達成感のほうがずっと大きかった。

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