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雑誌を作っていたころ074

ネットブック、ブームになる

 2008年7月10日、台湾での発表から約1カ月遅れて、日本市場向けのネットブック、「アスパイア・ワン」が発表された。すでにIT系のメディアでは新コンセプトのパソコンであるネットブックについて、「使える」「使えない」といった議論が白熱していた。

 発表の舞台になったのは、六本木の東京ミッドタウン。5台のテレビカメラをはじめ、報道陣がカメラの砲列を敷く中、日本エイサー社長のボブ・セン氏の挨拶で発表会は幕を開けた。メインゲストは「ブログの女王」こと人気ブロガーの眞鍋かをりさん。アスパイア・ワンが女性ユーザーをターゲットにしていることを如実に表していた。

 ぼくはその模様を、会場の片隅で取材していた。日本エイサーのPR誌である「tell acer」は12ページしかないが、ライターはぼく1人なので、表紙から裏表紙まですべての文字をぼくのキーボードから紡ぎ出す必要がある。ほんの小さなコラムも、メインのインタビュー記事も、すべて書くのだ。それは、ある意味ではライター冥利に尽きると言えた。

 そのほかにも「tell acer」の仕事には余録があった。それは、知らない世界に取材で入っていけることだ。たとえば「tell acer」の創刊号では、京都の日本写真印刷を訪問して「転写フィルム」の取材をしている。これは、パソコンや携帯電話、自動車のインパネなどの表面を飾る技術で、従来の塗装やメッキに代わるものだ。

 プラスチック製品の表面を美しく仕上げる場合、従来は射出成形後に別工程として塗装やメッキを施す必要があった。だが日本写真印刷の「IMD」は、あらかじめ金属光沢や塗装部分をフィルムに「印刷」しておき、そのフィルムを射出成形時に鋳型に挟み込むことで、一気に表面の加飾を済ませてしまう。危険な薬品を使うメッキや、溶剤を使う塗装が不要になるため、公害問題も無縁になるという技術だ。

 その取材記事を、「tell acer」創刊号から再録してみよう。

 京都市に本社のある日本写真印刷株式会社(NISSHA)は、1929年創業の歴史ある印刷会社だ。しかしこの会社が得意とするのは、紙への印刷だけではない。ゲーム機やカーナビなどに使われる「タッチパネル」や、プラスチック製品の表面を美しく装う「加飾フイルム」の分野では、同社は世界的に知られた企業なのだ。
「タッチパネル」はまだしも、「加飾フイルム」とは聞き慣れない言葉だが、これは従来からあった転写フイルム(写し絵)を高度に発展させたもので、多色刷りであらかじめフイルムに印刷しておいた絵柄を製品に転写することにより、従来の塗装やメッキ、シルク印刷に代わる表面加工を可能にするもの。
 特にNISSHA IMDという技術は、プラスチック製品を金型で成形する際に、同時に転写をしてしまう。金型から出てきた製品は、塗装などの後工程を経ることなく、そのまま組み立てに回される。この技術により、生産現場から塗装、メッキといった有害物質を削減することができ、生産工程が短縮できる。
 すでに世界中の携帯電話やノートブックにこの技術は使われており、エイサーの「ジェムストン・ブルー」ことアスパイア6920やアスパイア・ワンの美しい天板もNISSHA IMDによる加飾で装われている。深みのあるグラデーションや独特の光沢、金属の質感など目に見えるもののほとんどが「印刷」で実現されているのには、驚くほかない。
 ほかにも化粧品容器やオーディオ機器、家電製品、自動車部品など、一般消費者の知らないところでNISSHA IMDが活躍しているのだ。
 NISSHAとエイサーのなれそめについて、上席執行役員で国際本部長の三田村正幸さんにうかがった。
「最初にエイサーさんとおつきあいができたのは、今から6、7年前。携帯電話用の加飾フイルムからでした。それがノートブックに広がったのは、『ジェムストン・ブルー』からです。エイサーさんから『こういうものをやりたい』とお話がありました」
 日本で今年の6月から販売されている「ジェムストン・ブルー」ことアスパイア6920の天板加飾にNISSHA IMDが採用されたわけだが、その仕事は簡単なものではなかった。
「透明樹脂の表面にIMDでグラデーションとロゴを入れ、裏からは塗装するという凝ったデザインでした。普通のメーカーでは、そういうアイデアが出たとしてもトップが採用しないでしょう。ところがエイサーさんはあっという間に決断して、量産体制を立ち上げました。世界企業の規模で、そういうことができるところは、なかなかないと思います。私たちも『受けた仕事は絶対に最後までやる』をモットーにしていますから、困難を克服しました」
 NISSHAの特徴は、フイルムを納品したら終わりというのではなく、金型成形の工程までスーパーバイズするところにある。このため、NISSHAのエンジニア30名が、台湾のエイサー本社や中国の生産拠点に張り付いた。
「おかげで技術的にも勉強になりましたし、世界企業であるエイサーさんとの深い信頼関係が構築できました。今ではトップ同士がアイデアの交換をするまでに到っています。このパートナーシップを、さらに進めていきたいですね」
 その結果、「ジェムストン・ブルー」に続いてアスパイア・ワンの天板にも、NISSHA IMDが採用された。同製品の独特の光沢は、NISSHA IMDならではの美しさだ。
「エイサーさんは、台湾企業の特徴とグローバル企業の特徴をあわせ持った会社だと思います。私たちもエイサーさんに学び、日本の京都の特徴を持ったグローバル企業を目指したいと思っています」
 世界に誇る日本の技術が、エイサーの製品にも活かされている。それを知った瞬間に、「ジェムストン・ブルー」やアスパイア・ワンが身近に感じられてくるから不思議だ。

「tell acer」創刊号より

 量販店でのアスパイア・ワンの発売開始日、ぼくは有楽町のビックカメラでアスパイア・ワンのホワイトボディを購入した。前から「持ち歩けるフルキーボードつきマシン」が欲しかったのと、「tell acer」のメインライターとしての矜持からだ。PR誌のライターなのだから、取材には当然、クライアントの主力商品を使うべきだと思ったのだ。

 それからしばらくの間、IT系の記者発表会では、ぼくのアスパイア・ワンがよく目立った。多くの記者はフルサイズのノートPCまたはモバイルノートを使っていて、小さくてかわいいアスパイア・ワンが机に載っていると、遠くからでもぼくの席がすぐわかった。そのうち、エイサー製品やライバルメーカーのネットブックを使う記者が増えてきた。「あ、これはブームになるな」と確信した。


アスパイア・ワン初代機。

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