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雑誌を作っていたころ086

「tell acer」

「ザ・テルミー」の仕事を紹介してくれた坂本さんは、一人のカメラマンも引き合わせてくれた。mixiで風小僧というハンドルネームを持つ岡崎さんだ。京橋に事務所を持っていて、カメラマンとしては珍しく、編集プロダクション的な仕事をしていた。彼がリーダーになって、編集者やライター、デザイナーを集め、自分が受注してきた仕事をこなすのだ。

その岡崎さんから電話があった。「エイサーっていうパソコンメーカー、知ってる?」と。「名前は知っているけど、詳しくは知らない」と答えた。富士通やNECのパソコンの基板を作ったり、OEMで完成品を別ブランドで売ったりしているところだと記憶していた程度だったからだ。

岡崎さんの話は、そのエイサーの日本法人で、新たに定期刊行の広報誌を作るので、ライターとして参加しないかというものだった。面白そうなので、一も二もなく引き受けると返事をした。

エイサーというのは、台湾とイタリアに本拠のある国際的なパソコンメーカーだった。最近とみに力を付けて、ゲートウェイやパッカードベルというかつて一世を風靡したブランドを買収して、デルを抜いて世界第2位の規模になっていた。

日本法人がこのタイミングで広報誌を出すのは、まもなくエイサーから画期的な低価格で小型軽量のパソコンがデビューするからで、そのニュースもからめてエイサーの要人や業界の有名人のインタビューを掲載したいということだった。

すぐに創刊準備号を作ることになった。そして並行して創刊号の取材も進めた。創刊号では台湾で開かれるコンピューター展示会を取材し、そこでデビューする新製品「アスパイア・ワン」の詳しい紹介記事を載せることになっていた。「ドリブ」でスウェーデンに行って以来の海外取材である。そして、久しぶりの丸ごと関わる雑誌作りだった。血がたぎった。

アスパイア・ワンは「ネットブック」と呼ばれてそれから2年ほど、大ブームを巻き起こした携帯パソコンである。ノートパソコンと同じ本格的なWindows OSが動き、LANを備えてインターネットにすぐつながるのが特徴だった。イー・モバイルなどの移動体通信端末とバンドルされて、2年縛りの安価な販売キャンペーンが展開され、爆発的に売れた。

ネットブックのブームは、2012年に終わるが、「tell acer」は0号から15号まで続いた。それだけでなく、特別号や会社案内の仕事も受注できた。海外取材は、ぼくは台湾だけだったが、岡崎さんはイタリアにも行った。国内は沖縄から北海道まで全国を駆け巡った。

この仕事での収穫はいろいろあるが、メインライターとして全ページの原稿を書かせてもらったということが大きい。その後、いろいろな会報誌を作ったが、一人で文章も写真もデザインも印刷発注もやっている。それができるようになったのは、この仕事で1冊の全体が見渡す経験をしたからだ。


1号表紙。ワン会長(右)と日本法人のセン社長

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