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雑誌を作っていたころ079

アスキーで働く

 アスキーという会社は、その黎明期からぼくの視界の中でチラチラしていた。パソコン誌「RAM」のお手伝いをアルバイトでしていたときはライバル誌の会社だったし、青人社が曲がり角にさしかかったときには、流出した編集者たちの受け皿になってくれた。

 中でも最も大規模だったのは、「ドリブ」3代目編集長の渡邉直樹さんが扶桑社の「SPA!」「PANJA」を経てアスキーに移籍し、「週刊アスキー」を創刊したときだろう。たくさんの元青人社編集部員がアスキーに移籍し、一部の人は今も在職している。

「ネットショップ&アフィリ」をお手伝いしていたときには、アスキーはライバル誌「インターネットでお店やろうよ」の版元として君臨していた。ぼくはずっとサイビズ側の人間だったので、「インターネットでお店やろうよ」の記事を書くのは、サイビズが潰れて「ネットショップ&アフィリ」が消滅してからの話だ。

 そのアスキーに、サイビズから安藤くんが移籍したので、いよいよぼくも本格的にアスキーの仕事をするようになった。社内をうろうろしていると、青人社時代の仲間が通りかかり、びっくりしたような目でぼくを見る。「どうしてこんなところにいるんですか?」と。「いやちょっと、野暮用でね」とお茶を濁す。

 安藤くんに依頼されたのは、SaaSのムックだ。今ではクラウドという名称が一般的だが、ASPがSaaSという新しい名称でふたたび注目され始めたタイミングで、それを集大成したビジネスマン向けのムックを作り、あわよくば月刊誌化を狙おうという企画だった。ぼくは「ネットショップ&アフィリ」最後の編集長である浅井さんたちとともに取材チームを組んで都内を駆け回った。

 特筆すべきは編集会議で、なぜかアスキーの社内ではなく、九段の悠々社が会議室となった。理由は簡単で、アスキーでは煙草が吸えないし、悠々社なら会議の後すぐにビールと鍋で宴会に突入できるから。なにしろスタッフがみな「ネットショップ&アフィリ」のメンバーなので、気心が知れているのだ。ちょっと臨場感を味わうために、2007年12月19日のmixi日記から引用してみよう。

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アスキーのSaaSムック第2弾が始動した。
で、今日はわが社で編集会議。なぜアスキーでやらないのかというと、向こうの会議室はタバコが吸えないし、ビールも鍋も出てこないから。
というわけで、スタッフ5名でしかつめらしく打ち合わせをし、あとはおきまりの宴会となった。事前にあさいさんとポポヨさんが「クリスマスシーズンだから、シャンパンを」というメッセージを発していたのだが、主催者のモズさんは「冷えたのがなかったから」と一蹴。まあ、そうなるとは思っていたのだが。
面白いのは、5名のうち4名が相互マイミク関係であること。あとの1名のK氏は、自分がどれだけ疎外されているかを知る機会すらないのだ。と思ったら、途中からK氏が炸裂。ほぼオンステージ状態と相成った。
一般的に言うと、編集者の飲み会は面白い。話題が四方八方に飛び火するし、みんなが知らなくて白けるというシーンがほとんどないからだ。それに編集者は気遣いができないとやれない商売なので、唯我独尊タイプの人がいない。それがまた、独特の空気を生み出すのだ。
そんなわけで、悠々社特製の鍋と、そぼろご飯4合があっという間になくなった。これでいい本が作れるのなら、努力した甲斐があるというものだ。
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「やまさん-1号」のmixi日記より

 結局、アスキーでのムック制作は3冊で終わったが、その進行では久しぶりに痺れるような緊張感を味わった。毎日メールでデザイナーの悲鳴やライターの怒号が同報配信されてくる。昔の編集部ならリアルに怒鳴りあうところだが、それをメールでやるのもなかなかに迫力がある。メールというコミュニケーションツールが、じつは多彩な感情表現を伝えられるということに気づいたのは、このときだった。

 安藤くんは別部署に移り、ぼくの雑誌づくりはいよいよ終わったかに見えた。雑誌を作るには体力がいるし、チームワークで動くためにメンバーとはなるべく年齢が近いほうがいい。そういう意味では、「そろそろ潮時かな」なのであった。


アスキービジネスムック「すぐわかるSaas・ASP入門」表紙。

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