みんな気づいてる

おはよう日本

子どもたちは気づいている。呆れている。

大人たちはなんでこんなに争いあうのか。

それは争っているどっちかが合ってるとか正しいとかではない。

争う必要がないことに、無意味なことに気づいている。

そしてその影響を受ける。

理解に難しい言葉や仕組みを並べられたり、それを盾にされてもそんなもの関係ない。

そもそも争い自体が必要ないことを知っている。

そして難しい言葉や仕組みに当てはめられるように大人になっていく。

当てはめられた人生はどんどん狭くなっていく。

争いあった、整理されなかったものを、朽ち果てた遺跡として未来、後世に残し、自身は悔いの残った魂を残し、人生を終える。

いつまで続ける?繰り返す?

そして思い出さないといけないことは、争っている大人たち自身も子どもだったということ。

なんらかの主義、主張、意見、活動、行動なんだっていい。

それの原動力は何か?

それを常に考え、内省し、感じようとすることをやめてはいけない。

自分の奥底にある、いのちの源泉とも言うべきところから湧き上がってくるものなのか。

それを感じようとすることをやめてはいけない。

それを感じながら生きることが「いのち いきる」こと。

物や条件、言葉に取り憑かれてはいないか。

ただ自然に湧き上がるものに、知識や言葉で蓋をしていないか。

それでは肉体は生きているかもしれないが、意識は死んでいる。

一人ひとり、何かしらなものに対して、
「なぜなんのためにそれをやっているか?」
の質問の答えは
「なぜなんのために生きているか?」
の答えになる。

これは規模が大きいとかの話しではない。

深さの話し。

大きさとか規模とかの時代ではない。

今は深さの時代。

それは自分がどこを向いているかということ。

深さは自分の純粋さ。

純粋な世界のもの自身はそうじゃないものを純粋にできるが、ただ、そうじゃないもの自身は純粋な世界にはいけない。

ただそうゆう世界につき進む。

過去の整理、浄化と未来のための今の純化は同時にしなければいけない。
現代は各環境、フィールド、場でそれが必要。

ただそこをやってく。

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