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融合 意識のスペクトラム

トランスパーソナル心理学の理論モデルを構築した代表的思想家として、ケン・ウィルバー Kenneth Earl "Ken" Wilber Juniorがいます。
彼は1990年代に自らその枠組みから離れるまで、トランスパーソナル心理学のスポークスパーソンと目され、広い見識から組み上げたその理論と魅力を世界中に広めました。

ウィルバーは1949年オクラホマで生まれ、空軍兵だった父親とともにアメリカ各地を転々としながら育ちましたが、大学に入ってすぐに老子の『道徳経』と出会い、日本の禅やチベット仏教の修行に取り組むようになりました。
古今東西の哲学や宗教思想について学び、すべての宗教はその教義において深い構造を共有しているという「永遠の哲学」を思想的基盤としたウィルバーは、現代心理学ともその構造を共有できると考え、人間の意識を統合的にとらえる「スペクトラムモデル」を創りました。
23歳にして『意識のスペクトルThe Spectrum of Consciousness』を書き上げ、その原稿を20社以上の出版社に持ち込みましたが、資格も肩書きもないアルバイト青年でしかなかった彼の処女作は、尽く出版を断られたといいます。
4年後の1977年になってようやく世に出されたこの作品は、たちまちのうちに評判となり、ウィルバーは一躍、意識研究のパイオニアとして注目を集める存在となりました。

意識のスペクトラム理論でウィルバーは、人間の意識の階層を大まかに4段階に分け、世にある様々な自己探究法や心理分野の体系的な位置付けを試みました。
人類の歴史上に現れたあらゆる視点はどれも真実を内包しているという立場から、それらの視点がどのように関連し合っているかをまとめたところにこの理論の特徴があり、意識のメタ理論とも呼ぶべき内容を持っています。
ヒトのこころの世界の全体像を俯瞰する、地図およびガイドブックとして、これ以上網羅的なものは、おそらくそれまでに作られたことは無かったでしょう。
ウィルバーはこの著作の後にも、常に自身の思想をデベロップし続けていきますが、スペクトラム理論は彼のこころの概念の根本的立ち位置となっています。

スペクトラム理論では、ヒトの本性は統一意識にあるとしますが、我々は様々な意識内の境界を設けることで本性から遠ざかり、その結果として葛藤や苦悩が引き起こされることになるといいます。
胎児の意識はまだ生命体として未分化な状態にあり、この世に生まれ落ちて周りの世界の認識ができるようになることで、まず自己と非自己が分離されます。
この最も根本的な「原初の二元論」は、有機体としての身体を周りの環境世界から分離させる原因となり、これが「第二の二元論」となります。
手足や身体の動きをコントロールできるようになった乳児は、精神的な自我を自分自身であると思い、身体は自分の一部分と見なすようになります。
また自我が成長して大きくなってくると、その中にある望ましくない部分(シャドー)を抑圧してこころの奥に仕舞い込み、好ましい部分(ペルソナ)だけを自分自身だと思い込むようになります。
こうして「自己/非自己」「身体/環境」「精神/身体」「ペルソナ/シャドー」という4段階の境界が作られ、それぞれのレベルでの二項対立が生じます。

これらの対立を解消させ、自己の本性を取り戻すためには、同一化している自分自身を脱同一化し、その結果として意識内に浮上してくる上位構造の存在と再度同一化させるという作業を何度も繰り返しながら、意識を統合さていくことが必要となります。
そしてこの作業は、成長段階を踏むことで新しく生まれたペルソナレベルでの対立解消から始め、ここを折り返し点として反転し引き返していくことで、より深いレベルの対立を解消させることができるようになります。
人類の歴史の中で現れた数々の修行法や治療法は、みなこの再統合過程の中の特定のレベルに対応しており、正しい位置付けにおいて施されることによって、初めて効果的なセラピーとして機能します。

「ペルソナ/シャドー」レベルにある人々は、自らの影(シャドー)を否定し、それを疎外して外向けの仮面(ペルソナ)を被ることで、社会を生きています。
職業や社会的立場の仮面は、我々が社会的環境と付き合うための適応反応として作られるものですが、その仮面と同一化したアイデンティティを持ってしまうところに危険があります。
社会的な立場は一時的なものであり、退職等で本来の自分に戻ろうとした時に、戻るべき場所を失い自己喪失を招くことになってしまうからです。
影の存在を自己のものとして認め、ペルソナとシャドーの再統合を図ることがこのレベルにおいてのセラピーとなり、精神分析やカウンセリング、交流分析などの精神医学的治療法は、主にこのレベルに対応するものとして有効です。

自らの影を統合した上位構造である「精神/身体」レベルでは、自我が統制可能な行動に対して同一化しており、コントロール不能な強い感情や感覚を有する身体性については、その埒外に置こうとします。
肉体は罪の源泉として恐怖の対象となり、「死」と隣り合わせにイメージされることも多く、しばしば社会的タブーとして認識されています。
このレベルのセラピーには、ハタ・ヨーガやロルフィング、フォーカシング 、ゲシュタルト・セラピーなどがあり、こころとからだが調和した全有機体としてのアイデンティティを持つことで、身体感覚を覚醒し、生きることの喜びを増幅させ、「死」に対する恐怖を和らげます。
ウィルバーはこのこころとからだの統合した状態を、獣の身体と人間の心を持つものとして「ケンタウロス」と呼び、「個」としての完成形であるとしています。

「身体/環境」レベルの統合は、個であることを超越したトランスパーソナルな体験となります。
自己の存在基盤が時空間内から離れ、霊性(魂soul)的存在へと移行する段階で、西洋の科学の対象として取り扱われることはほとんどなく、東洋の伝統宗教や神秘家の領域となります。
ユングの言う集合的無意識や元型を実感するこころのレベルでもあり、ユング派のセラピーやサイコシンセシス、超越瞑想、タントラ、マントラ瞑想などが対応します。
ウィルバーはこの超個的こころのレベルをサトル(微細)領域と呼んでいます。

「自己/非自己」レベルの統合では、いかなる分離分裂も二元論もない無境界の状態に達し、究極のリアリティである統一意識が実現します。
この絶対的主体性の領域では、時間や空間の限界に縛られず、生死の支配も受けず、ただ永遠なる現在に「在る」のみです。
この状態は歴史上、神、仏(仏性)、解脱、悟り、道、ニルヴァーナ、モクシャ、アートマン等様々な呼び方で表現され、対応するセラピーとしては、大乗仏教、ヴェーダーンタ、タオイズム、スーフィズム、キリスト教神秘主義の一部などがあります。
ウィルバーはこの統一意識をコーザル(元因)領域と呼び、黙想の眼で観ることによってしか知覚されず、そこへ至る方法は、瞑想の実践による意識レベルの進化の外にはないと言います。
「意識のスペクトラム」はここにおいて融合し、一元的な存在として完成するのです。

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