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連綿とした時間と空間がもたらす“美しさ”

昨日、ゼミのOBと久し振りに飲みました。Facebookなどで繋がってらっしゃる方からしたら意外に思われるかもしれませんが、卒業生に声をかけて飲みにいくということを、私はまずいたしません。

「みんな忙しいやろし、他に友人たちとかと楽しむ時間こそ大事なはず」という思いが、まず第一にあります。もちろん、声をかけてもらえたら、都合のつくかぎり行きます(笑)

ということで、珍しくお誘いをもらったんで、行ってきました。

あ、今日はその内容を書くわけではありません(笑)

OBが選んでくれた店が、まことに心地よい店だったので、そのことについて書きとめておきたくなって。

そのOBも今までに行ったことがあるわけではなく、当人と私の好みそうという基準で選んでくれた店でした。いちおう〈◯◯なび〉とか〈◇◇ログ〉とかには高評価とともに、いくつかの情報もありました。それらをわずかに念頭に置きつつ、そのお店にお邪魔しました。

そしたら。

店の内装は、ごく普通の個人居酒屋的でありながら無駄のない趣で、かつまた清潔感がある。大将はまったくの無口ながら、これまた無駄のない動きで、出てくる料理も気取りなく、好もしい風情。

加えて、大女将とおぼしい方の動きの間の絶妙さ。注文を取ってくださる間であったり、終わった皿などを下げてくださる間であったり。

ごてごてさ皆無。気取ってお高くとまる風情もまったくなく、さまざまな動きが連綿と繋がる景色は、何とも“美しい”感じがありました。

肩の凝るような気配の店ではまったくありません。その一方で、というか、同時に“そこにいる自分”の居住まいやふるまいも、自然とその景色に見合うものでありたいと思わせてくれるお店でした。

お店については、私も自分で探したわけではないので伏せておきます。ご容赦ください。


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