企業行動論講義note[03]「相手に価値をもたらすことで、自分も価値を手に入れる:価値創造とは何か」
みなさん、おはこんばんちわ。やまがたです。
今回は、[02]「どんだけ欲望が充たされたか、それが価値である:欲望充足の主観的強度としての価値」の続編です。
[02]では、「価値とは何か」という点について架空の事例なども用いながらお話ししました。概念の定義だけ復習しておきましょう。
前回の話では、「そのひとがどれだけ充たされたのか」というところに話を絞りました。〈価値〉という概念が意味するところについて、まずはわかっていただきたかったからです。
今回は、この講義、というか山縣の講義やゼミでめちゃくちゃよく出てくるキーワードの一つである〈価値創造〉について考えます。〈価値創造〉という言葉は、ビジネスの世界ではけっこうよく出てきます。ただ、その意味するところは多様すぎるくらい多様です。余談的に申しますと、ドイツでは2018年にこんな本(日本語タイトル『経営経済学における価値創造』)が出たくらいです。この本でも、多様な定義がみられます。
さてさて、そろそろ本題に入りましょう。
ひとは、他者との支えあいなしには生きていけない=欲望を充たせない。
こういうふうに書くと、まことに美しい世界が広がってくるようです。
が。
きれいごととしてではなく、そもそも人間はひとりで生きていくことはできません。みなさんの身の回りにあるものを見てみてください。自分でゼロからつくり出したものってあります?私には、残念ながらないです。つまり、ひとが生きる=欲望を充たすためには、誰かと支えあわなければならないわけです。
「支えあう」というのを、もう少し別の言い方で考えてみましょう。
人間社会の特徴の一つは、そのひとの能力や資源などに応じて専門性がある程度まで分かれ、それらを相互に提供しあうことで成り立っているという点です。この点は、アリストテレス(古代ギリシアの哲学者)が『ニコマコス倫理学』という本のなかで「総じて異なった、しかも平等ではない人たちから共同関係は生まれる」(『ニコマコス倫理学』第5巻第5章)と述べて、医者や農夫、靴職人、大工などの関係性を例に挙げて、説明しています。
これは、[01]の最後「ひとは、いかにして欲望を充たそうとするのか」というタイトルのところで、(1)創造と(2)交換という2つの方法があると述べたのとつながっています。
ここで考えたいのは、「ひとは、自らが持つ資源や能力を活かして、他者の欲望を充たすようなモノやコトを生み出し対価を得ることで、自らの欲望を充たそうとする」という点です。これこそが、ビジネスの原点なのです。そして、これを一言で〈価値創造〉と呼びたいと思います。
ビジネスとは、〈価値を創造する〉ことである。
まだ覚えてらっしゃると思いますが、[02]では「欲望がどれだけ充たされたのか」の度合いを〈価値〉と呼ぶ、と説明しました。
そして、今述べたように、ひとが生きていくためには「他者の欲望を充たすことによって、自らの欲望を充たす」必要があります。
ということは。
他者にとって〈価値〉(=欲望が充たされた)を感じられるような効用給付を提案する必要があるわけです。もっといえば、提案にとどまらず、それが相手によって受け容れられ、自分自身がその提案への対価を相手から獲得できるということがポイントになるわけです。
このことを〈価値創造〉と呼ぶことにします。世の中にはさまざまな定義がありますが、ひとまずこの講義ではこの理解に立脚して話を進めます。
では、みなさん。ご自身がめちゃくちゃ愛用しているモノ(コトでもOKです)を一つ思い浮かべてください。手に取れるところにあるのであれば、出してみてください。
あなたにとって、そのモノ(コト)ってどんな「充たされ」をもたらしてくれるのでしょうか?
これに対する回答は一つではないかもしれません。全然問題ないです。むしろ、複数出てくるのがふつうかもしれません。私の例を下に書いておきましょう。
みなさんの場合も、おそらくそうだと思うのですが、何かを手に入れるときって、だいたいお金を払ってると思います(もちろん、贈られたモノやコトもあると思います)。生活に直結する場合もあれば、そうではない場合もあるでしょう。
いずれにしても、「それ、いい!!」って思って購入するとき、そこにつけられた価格を見て、自分が支払える範囲内であれば手に入れようとするわけです。そのとき、ひとはそのモノやコトに、少なくとも価格として表示された貨幣数値以上の「充たされ」を予感しているわけです。つまり、〈価値〉です。
〈価値〉そのものは、受け手(享受者)のなかで生じるものです。だから、発し手(提供者)が直接それを生み出すことはできません。じゃあ、どうすればいいのか。それは、モノやコトを通じてのみ生み出されます。例えば、万年筆で字を書いた時の快感それ自体を提供者である万年筆メーカーさんが私のなかに生み出せるわけではありません。万年筆メーカーさんが創り出す“滑らかな書き味の万年筆”というモノを通じて、書いた後の快感が私のなかに生まれるわけです。
となると、価格が高いかどうかというのは、万年筆をつくるために要したコスト(これを原価といいます)に対してのみ感じるのではないことがわかってもらえるのではないでしょうか。
別の例を出しましょう。みなさんのなかには、ライブに行くのが好きな方もいらっしゃると思います。では、そのチケット代が高いかどうかというのは、どのあたりで判断しているのでしょうか?もちろん、アーティストが借りている会場代とかを想定して、「あー、この値段やったら妥当」とか考える方もいらっしゃるかもしれません。が、そのアーティストがめちゃくちゃ好きなら、あまりそういうことは考えないでしょう。
これを〈ビジネス〉といった瞬間に、「きれいじゃない」みたいなイメージを持つ人もいるかもしれません。しかし、それは偏見です。
〈ビジネス〉とは、
(1)受け手(享受者)からみれば、「誰かの〈創造〉に対して価値を見出し、それを評価して、その評価に見合う対価を支払う」ことであり、
(2)発し手(提供者)からみれば、「誰かに〈価値〉をもたらしうるようなモノやコトを創り出し、それを評価してもらって対価を受け取る」ということなのです。
これが実現(うまく成し遂げられたという意味で「成就」と、あえて別の表現を用いることがあります)したとき、受け手にとっても発し手にとっても望ましい状態へと至ることが可能になります。それが、〈価値創造〉なのです。
ここまでお読みくださったうえで、冒頭にも掲げた〈価値創造〉の定義をもう一度みてみましょう。
具体的にどんな状態か、みなさんイメージできましたでしょうか?
〈価値創造の成就〉は創造と交換を含む!(←ややこしいねん!)
今回は、上までの内容を理解してくだされば、ひとまず十分です。
ただ、これからの講義の展開を考えて、先取り的に☝の点について触れておきたいと思います。
〈価値創造〉というとき、どうしても「つくる」という側面が強調されてしまいがちです。これはやむを得ないところです。しかし、今日の講義でお伝えしてきたように、〈価値〉は究極的に「受け手において生じる」ものなのです。となると、〈価値創造〉を発し手 / つくり手 / 売り手(提供者)だけで完了できると考えるのは、じつは「大間違い」なのです。
厳密にいうと、「つくられ(生産)」「つたえられ(流通・販売)」「つかわれ(消費・利用)」て初めて〈価値創造〉は成就するのです。
このプロセスに、〈創造〉だけでなく〈交換〉も含まれているというのは、おわかりいただけるのではないでしょうか。というのは、発し手から受け手へと効用給付(モノやコト)が渡っているからです。基本的に、その渡る流れと反対向きの流れとして〈対価〉が受け手から発し手へと渡されています。
後々の講義で、〈価値創造〉と〈価値交換〉という概念が登場しますが、概念としてはそれぞれ別々ながら、現実には〈価値創造〉と〈価値交換〉が絡み合いながら動いているという点を捉えていくことになります。
予告的な話ですが、先にお伝えしました。頭のどこかに置いといてもらえると嬉しいです。
おさらい。
今回は、前回の〈価値〉の話を引き継いで、企業行動論にとってものすごく重要な概念である〈価値創造〉について考えてきました。
繰り返しますが、〈価値創造〉とは「他者に〈価値〉をもたらすことで、自らも何らかの〈価値〉を得ることができている状態」をさします。これは、ビジネスにとっての基本中の基本です。ビジネス現象を対象とする企業行動論にとっても、基本中の基本なわけです。
上にも述べましたが、みなさんの身近なモノやコトを例にして、それがどんな価値創造を実現 / 成就しているのか、ぜひ考えてみてください!
次回は、この〈価値創造〉を実現するうえで、自由をベースとする社会経済であれば必ず生じる〈競争〉(と〈協働〉←これは[05]で)について考えていきます。
んじゃ、また次回に。
ばいちゃ!
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