いい大根は、いい土から生まれる(たぶん)。#QUM_BLOCKS のこと。
ほんとは、もっと早くに書きたかったのですが、いろいろ慌ただしくて、今になってしまいました。やっと落ち着いてきた(のか?)ので、11月21日に開催された #QUM_BLOCKS のことを。
今年5月に東京で開催された #QUM の大阪イベント、#QUM_BLOCKS が11月21日に梅田の関西大学で開催されると聞き、参加してきました。
今回のテーマは「組む、そして地域から照らす未来の光へ」。〈地域〉に焦点を当てつつ、いかにしてサービスやお金を動かしていくのか、魅力を発見し、事業を具現化していくのか、その全体をいかにして動かしていくのかといったテーマで、4つのセッションが展開されました。
そのプロセスで、〈地域〉を議論しながら、実はそれは〈地域〉に限られたことではなく、「より豊かな生活 / 生とは何か」「それはいかにして可能か」を考えることに他ならないというところに、意図してか、あるいは意図せずかはともかくも、進んでいったというのが、きわめて興味深かったです。比喩的に言えば、「ビジネス(←価値の創造と交換という意味において)を地面からみる」という感じでしょうか。
そして、そこで大事になってくるのが「向き合う」ことなのかな、と。これは登壇者のご発言のなかにも何度か出てきてたように思います。そして、昔ながらの《地域》の維持可能性が問われるようになった今、〈個〉の重要性を考えなければならなくなってきているということではないか、と。ここで、〈個〉とは「孤立的な存在としての個人」ではなく、「関係性の束としての個人」として捉えるべきでしょう。関係性は、それぞれ異なります。その関係性のなかで、〈個〉は織りなされて、まさに〈個性的な存在〉となるわけです。「向き合う」というのは、その人が他者との関係をどう考え、またどう築いていくのかと営みであると言い換えることができます。セッション1で勝瀬博則さんが、「地方創生ではなく、個人創生だ」とおっしゃられていたのは、まさにそういった個人の活動が織りなされていく結果として〈地域〉が生まれていくということなのかなと思いながら聞いていました。
そして、もう一つ。これは私が研究テーマとして最近よく採り上げている概念なので、我田引水の譏を免れ得ないのですが、〈(価値の)循環〉、これがテーマとなっていたのは確かでしょう。これはセッション2とセッション4において、しばしば登場していたように思います。
さて、セッションごとに。
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セッション1〈地域×サービス〉
セッション1は〈地域×サービス〉。登壇者は長井伸晃さん(神戸市企画調整局産学連携課担当係長)&下村祐貴子さん(フェイスブックジャパン株式会社 執行役員 広報統括)、勝瀬博則さん(handy Japan株式会社 代表取締役)、近藤洋祐さん(株式会社電脳交通 代表取締役)、田村慎吾さん(関西電力株式会社経営企画室イノベーション推進ゼネラルマネージャー)、そしてモデレーターの角 勝さん(株式会社フィラメント代表取締役)。
ここでは、「地域でサービスを立ち上げていくこと」に議論の出発点がありました。そのなかで、Q_2:地域の人の反応は?という問いに対する登壇者のみなさんの答えが、おおむね〈他人事〉であったり、〈食いつきの悪さ〉であったりしたのは、ほぼ予想どおりではありました。いわば、当事者意識が稀薄であるということ。これは、地域に限らず、さまざまな局面で同様に生じる点といえましょう。
そのうえで、Q_3:地元のキーマンは必要か?という問いに、このセッションの山場が浮かび上がった感がありました。長井さん&下村さんの「(市役所のなかで)おもしろそうと感じたところからチームができあがっていく」、田村さんの「生活にメリットを感じる人を“やりながら”見つけていった」、近藤さんの「事業づくりにhands-onしてくれる人の重要性」といった発言、そして実は最初に出てきた勝瀬さんの「最初のフォロワーをいかにして(狙わずに)生み出すか」「そもそもキーマンを探すという魂胆が賤しい」という発言は、いずれもやろうとすることの〈おもしろさ〉〈ノリ〉〈祭り(勝瀬さんのご発言)〉によって、それに気づいた人たちが巻き込まれていくという点の重要さを浮き彫りにしていました。
そのうえで、先ほども書きましたが、〆に出てきた「地方創生は無理、個人創生ならできる」という勝瀬さんの発言は、きわめて重いものがありました。要は「あなたが、どこで、何をやりたいのか」なわけです。それを可能にするために、個人を成り立たしめているコミュニティの重要性も浮かび上がってきます。
21世紀も20年が終わろうとする今、〈地域〉を捉える際に〈個人〉という存在をどう位置づけていくのか、〈個人〉としてどう動いていくのかが課題となっていることを痛感させられます。
課題となっているということは、同時に昔ながらの性質も今なお濃厚に受け継がれている現実があることを見逃してはならないということでもあるように思います。
セッション2〈ローカルブロック経済〉
セッション2は〈ローカルブロック経済〉。
セッション2の登壇者は、もともと地域の〈中〉の人である古里圭史さん(飛驒信用組合)と、それ以外の境真良さん(国際大学、情報処理振興機構)、坊垣佳奈さん(マクアケ)、秋山瞬さん(ネットプロテクションズ)、そして司会のクロサカタツヤさん(企[くわだて])という組み合わせ。
飛驒信用組合の古里さんは、「さるぼぼコイン」という地域通貨のしくみを通じて、地域経済循環を構築しようとされています。事前にはボロカスの評価だったそうですが、やってみると50〜60代の女性の利用が一番多いとのこと。地元の買い回り店に根ざし得たところがポイントになったというご発言がありました。この世代に受け容れてもらえるかどうかというのは、後払い決済システムを長年にわたって構築・展開しておられる秋山さんからも同様のご指摘がありました。一方、プロダクトが前面に出てくるマクアケの場合は、男性がメインとのこと。このあたり、性別だけで判断するのは難しいところもありましょうけど、生活の様式あるいはリズムを考えることの重要性が浮かび上がってきたように思います。マクアケの坊垣さんが「文化や深層心理を理解しないと機能しない」とおっしゃられた点、サービスデザインの中心論点でもあります。これらのご発言をうけて、モデレーターのクロサカさんが「眼の前の人と経済行為をしているという感覚」の重要性を指摘されたのは、じつは価値の創造と交換の織りなしとしてのビジネスをデザインする際に、絶対に忘れてはならない視座でありましょう。その点で、ユーザーの生活像をもっと深く観察し、描き出し、いったいどのようなことに価値を認識するのかを把捉するという、いわば当然のことをしっかり実践していく必要があります。Q_2:圧力はない?という問いに対するみなさんのご発言のあとにクロサカさんが提示された共感の醸成と経済循環への参加という論点は、ひじょうに興味深く、個人的にも思索を深めたい論点です。
Q_3:地域のなかで経済が回っている感じはするか?という問いに対するみなさんの見解は、当座の雰囲気こそ和やかながら、なかなかスリリング。境さんが、そもそも「地域ってどの範囲なのか?」という問いを投げかけられ、多くの人が“何となく”感じている理解をいったん叩き壊す(←めちゃくちゃ肯定的な意味合いです)提唱をされました。秋山さんの後払い決済のシステムなどは、地域をはるかに超えたしくみである以上、その論点は〈後払いという信用によって成り立つ経済圏〉というところに逢着します。また、坊垣さんの場合も「そもそも、地域のなかだけで回す必要はない」というところに行き着くのは当然といえましょう。古里さんの場合は、信用組合という地域に局限されざるを得ない活動範囲に立脚している以上、そこの地域の人たちが「自律的な選択」として参画してくれるかどうかにポイントがあるというご発言でした。
〈地域経済循環〉(地域における価値循環、といってもいい。「における」がポイント)というとき、地域内での循環というところに焦点が集まります。たしかに、それは大事なことで、それをいかにして「動かしていく」かというのが、最大の課題であることは言うまでもありません。ただ、このセッションの議論でも浮かび上がったように、〈価値循環〉は内部だけで閉鎖的に成立するものではないという点を見過ごしてはならないでしょう。坊垣さんがおっしゃられていたように、外からお金やアイデアなどが入ることによってこそ、循環は健全に動いていくとみるべきではないかと、私も考えます。その意味で、〈地域をめぐる価値循環〉のデザインこそが重要になるのではないかと思います。
ただ、言うまでもなく、当該の地域が自ら考え、動かなければ、いかに循環がどうのと言ったところで意味はありません。その点が議論されたのが、セッション4〈自走する地域〉であったのかなと。
セッション4〈自走する地域〉
セッション4での登壇者は、生駒市の小紫雅史市長、石巻で「誰でもが気軽にITについて学べる」ことをめざしてイトナブ石巻を立ち上げ、運営されている古山隆幸さん、NTTサービスエボリューション研究所でUXデザイン / サービスデザインに携わっておられる木村篤信さん、インフォバーンデザインラボに所属され、サイクルリビング・ラボを率いておられる木継則幸さん、そして司会の村上臣さん(Linkedin&フィラメント)。
ここでは〈人〉に焦点が当たっていました。課題に向き合う際には、その内在的な動機にまでさかのぼって向かい合う必要があるという村上さんの総括的な指摘は、登壇者の方々の営みや見解の根幹を鮮やかに浮かび上がらせていたように思います。
小紫市長の発言のなかで印象的だったのが、〈シビックプライド〉〈行動力〉〈共汗力〉、そして「人を孤立させない」。ややもすると、地域を動かしていく際には行政依存が大きくなりがちです。これは、行政の側の問題でもあり、かつ住民の側の問題でもあります。結局のところ、住民自身が自ら動いていかなければ、何をしても効果をもたらすことはないという姿勢(言うまでもありませんが、行政が受け身でいていいということを意味しません)は、セッション1とも繋がってくるところでしょう。
古山さん、木村さん、木継さんは、いずれも地域を実際に動かしていく活動をされている方々。このお三方に共通しているように感じられたのは、「どこにどんな課題があるのか」にしかと向き合い、課題に直面している人々に「寄り添い、後押しする」かたちで、その課題解決を可能にするしくみをデザインしておられるという点でした。当日紹介された実践事例の紹介は省略しますが、モデレーターの村上さんが「課題を事象レベルだけで捉えることの危うさ」「内在的な動機まで掘り下げて、それに向き合うことの重要性」として総括しておられました。まことに、そのとおりだと思います。
それをさらに進めて考えると、木村さんが提唱された“person-centered design”(←この言葉を引用なさる方は、木村篤信さんの論文等をご確認ください)という考え方や、木継則幸さんの“流動のデザイン&集積のデザイン”という考え方などは、これからの思索や実践の手がかりとなりうるようにも思います。
セッション3〈地方の魅力発掘〉
さて、セッション3に触れていないというご指摘があるかと思います。
いや、このセッションも、すごくおもしろかったのです。11月21日の段階でFacebookに投稿した「白大根と泥大根」の比喩は、このセッションを聴きながら思い浮かんだものでした。ここに登場された方々は、それぞれの地域に足をしっかり着けて活動しておられる方々。その発言は、まことに活き活きしていて、変な表現ながら「健やか」なのです。
このセッションの登壇者は、鳴海禎造さん(grafit株式会社 代表取締役)、豊原弘恵さん(古都里 代表)、森平和歌子さん(株式会社 農業の未来研究所ゼネラルマネージャー)、安彦剛志さん(株式会社ソニー・ミュージックコミュニケーションズ舞台めぐり担当)。モデレーターは藤田功博さん(株式会社のぞみ 代表取締役)。
ここでは、他のセッション以上に、その土地に根ざすという感覚が濃厚でした。
私の場合、仕事柄〈概念〉を使ってものを考えるわけですが、それはさまざまな現実から抽象化された言葉です。もちろん、それは現実のありようを深くまで酌み取るためにあるわけで、だからこそ抽象化が必要なわけです。
その一方で、このセッションで語られた言葉たちは、まさに現実の場をその方々の言葉として表現したもの。ひじょうに生々しく、生気あふれる言葉たちだったのです。
そして、5月の #QUM での議論とも異なる趣を持っていました。5月の折は、東京という、いわば日本の〈ヘッドクォーター〉で展開された議論。もちろん、これはこれですごくおもしろく、得るところだらけでした。ただ、当然ながら、ヘッドクォーターで展開される議論は、現場でありつつも、各地域を統轄するというヘッドクォーターの性質上、磨きぬかれたものとならざるを得ません。
これに対して、今回の #QUM_BLOCKS では、経済やビジネスをそれとして切り分けることができない、つまり生活、もっと言えば、そこに住み、生きる一人ひとりの人と経済やビジネスが合体している(これを安彦さんは「人経済(ひとけいざい)」と表現しておられました)ところに眼を向けなければならない点が浮き彫りになっていたように思います。つまり、経済なりビジネスなりを捉え、また動かしていくためには、その土壌とセットで捉える必要がある、という点です。この点、セッション2で坊垣さんが「文化や深層心理を理解しないと、(ビジネスが)機能しない」という趣旨のことをおっしゃっておられたこととも重なり合います。
この点を考えるときに、白大根と泥大根という比喩が思い浮かんだのです。もちろん、どちらがいいとか、美醜を論じるための比喩ではまったくありません。もし、この比喩をお使いになられる方は、そういった評価基準的比喩としてお使いになられないように強く願います。なぜなら、白大根と泥大根に優劣などないからです。私が、この比喩で言いたかったのは、「ビジネスそのものとしてみるとき、それは白大根という磨きあげられた姿で捉えられる必要がある。ただ、その白大根は何らかの土壌のなかで生まれ育ってきたものである。つまり、泥大根として収穫されたものなのである。その土壌なくして、大根は生まれなかったのだ」という点なのです。
他にも、いろいろ学びを得た点は多々ありました。懇親会でもいろんな方とお話しさせてもらうことができて、ものすごく嬉しかったです。しかも、そのあとまで。
ちなみに、クロージングにアランを持ってこられたセンス、個人的に大喝采です。
簡単な〆
私自身は、地域経済などをテーマとして研究しているわけではありません。また、「ここ」という根ざした出自的地域を持っているわけでもありません。その分、ある程度の心理的距離をもって〈地域〉という存在を見ていることは否めません。正直に申して、外から見れば非合理にしか見えない風習(いわゆる“旧習”)に対して、否定的であるのも事実です。
ただし、そういった風習のなかにも、地域特有の合理性があったりするので、頭ごなしに否定するのではなく、なぜそういった風習が今なお受け継がれているのかを、能うかぎり、その地域に暮らす人たちの実生活に即して捉えなければならないとも思います。
今回の4セッションにおいては、そういった点を踏まえつつも、個人としていかに感じ、捉え、考え、動くのかが問われていたように思います。これは、地域に限らず、企業をはじめとするさまざまなBetrieb(目的志向的な協働態)においても同様でありましょう。無思考に「これまで、そうしていたから」という基準にのみ立脚して行動してしまうという事態は、どこにでもあることです(もちろん、私にも)。それをいかにして乗り越えるのか。ここにこそ、今、多くの人が直面している課題の根源をみてよいでしょう。
その意味で、いかにして持続可能であるように価値循環をデザインするのか(しつづけるのか)が問われているわけです。価値循環というと、閉鎖的な自給自足状態(アウタルキー)を想定される方もおられるかもしれません。しかし、閉じられた状態でアウタルキーが成り立ちつづけるというのは、残念ながら非現実的です。その意味で、“外”との接点、あるいは“外”とのあいだでの出入りを含み入れた価値循環をデザイする必要があります。もっと考えれば、“外”に限らず、“内”に存在する異質なアイデアなどに対しても誠実に向き合う必要があります。
畏友・宇田川元一先生(埼玉大学)に教えてもらったハイフェッツの『最前線のリーダーシップ』は、今回の #QUM_BLOCKS でのテーマを考えるうえで、ぜひとも読んでもらいたい文献です。私自身も、価値循環をデザインするという問題を考えていく際に、“誠実真摯に向き合う”という意味での〈対話〉を抜きにすることはできないという認識に到っています。
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以上、まことに雑駁ながら、今回の #QUM_BLOCKS の感想について書き連ねました。あくまでも、個人の印象と感想です。登壇者のご発言についても、私が誤解・曲解している可能性もあります。その節は、何とぞご容赦ください。
今回もほんとに楽しかったです。
この #QUM そして #QUM_BLOCKS 、きっと来年以降も続くと思います。できるかぎり、参加しつづけたいと考えてます。
いつもながら、角 勝さんはじめみなさまがたに心から感謝申し上げます。
ありがとうございます!!