「あなた本当に素敵な人ね。未来もきっと素敵よ。」
「あなた本当に素敵な人ね。未来もきっと素敵よ。」
心に大切にしまい込んだ、宝石のような言葉がいくつかある。
その一つをくれた、名前も知らないおばあちゃんの話をしたい。
20代の頃、仕事でほんの少しだけ箱根の山奥に住んだ時期があった。
自然にあふれ、静かで、近所で唯一のスーパーが18時に閉まってしまうことと、バスがよく遅れることを除けばすごく住みやすい町だった。
私の住むマンションは、スキーで直滑降出来そうなほど急で、おそろしく長い坂のてっぺんにあった。先述のとおりバスは信用ならない。車移動が一般的なので歩道と呼べる歩道もない。車通りが多く自転車は危険だ。
だからペーパードライバーの私は、毎日「いつか車に轢かれて死ぬだろう」と考えながら、30分かけて緑生い茂る山中を車道すれすれに歩いて通勤するほかなかった。
そして仕事が終われば、また坂道をひたすら上る。
体力のない私はよく途中で息が上がり、休憩をはさんだりしていると10分くらいかかっただろうか。
そうは言いながら、昭和の東京オリンピック前に建てられたあの寂れたマンションも、たまにイノシシが出るあの坂道も本当は好きだったのだけど、仕事はどうしても合わなかった。次第に体調を崩し3か月ほどで退職を申し込んだが人手を失いたくない上司と揉め、ようやく退職が決まった頃のことだ。
「まだ引っ越してきたばかりなのに、ダメになっちゃったなぁ」
仕事帰り、うつむいて坂を上っていた。
あともう少しでマンションに着く、坂が一段ときつくなる分かれ道。
道に迷ったようなそぶりのおばあちゃんが一人、立っていた。
普段は歩行者に遭遇することなどない場所だ。ましてや、高齢者が気軽に登れるような坂ではないのに。
「この坂の上には何があるの?」
おばあちゃんに声をかけられた。
翌月には箱根を離れることを決め、自己嫌悪と不安でいっぱいだった私はさぞかし感じが悪かっただろう。
マンションや別荘が建っていることを伝えると、おばあちゃんはニコニコと「何があるのか気になって登ってきたの」と言うから驚いた。
そこからどう話が進んだのかは覚えていないが、気づくと1時間近く立ち話をしていた。おばあちゃんが人生の話をたくさん聞かせてくれたのだ。
おばあちゃんは90歳だと言った。
息子さんが数年前に定年退職して以降、一緒に神奈川の海が見える街に住んでいて、箱根へは旅行で来ているそうだ。90歳とは思えないほど背筋がしっかり伸び、ハキハキと明るく本当に楽しそうにしゃべる。
神田で育ち、若い頃は日本橋で働いていたらしい。
88歳まで生きたお父さんは、戦前からドイツに行くほどヨーロッパが好きなパイロットだったというから、育ちも相当良かったのだろう。
戦時中のことも教えてくれた。
女学校時代、敵国の言葉だからと英語は教えてくれなかったこと。東京大空襲の真っ只中、渋谷の防空壕で息をひそめていたこと。
ミサイルが風を切って落下してくる「ヒュルルル…」という音や、爆撃の振動で土がバラバラと落ちてくるのが怖かった。やっと静かになって外に出たら、通りをはさんだ向かいまですっかり焼け野原だった。
それでも、父親譲りの旅好きだったおばあちゃんは外国を恐れることはなく、一人でノルウェーでもハワイでもどこへでも行った。
日本人のいないような田舎町まで旅をして、スキューバダイビングやバードウォッチングをするのが大好きだった。しょっちゅう旅をしながら生きてきたけれど、さすがに85歳を超えると足腰が衰え海外旅行は引退。今回息子さんと箱根を訪れ明日には帰るのだと言う。
若い頃から国内旅行もたくさんして、伊豆諸島も制覇し北海道で行っていないのは利尻島くらい。青森では、まだ道路もない奥入瀬渓流で通りすがりの牛車に乗せてもらった。岩手の川辺ではあんずを山ほど拾って東京に持って帰った。
鹿児島の海にも潜った。だけどお母さんが心配するから、ダイビングのことは生涯お父さんとの間だけの秘密だったそうだ。
「90年はあっという間でしたか?」と聞いた。
「あっという間!北へ南へ飛び回って忙しかったんだから。」
即答された。旅好きは長生きするのよ、と笑っている。
私は自分の話はほとんどしなかった。
でも、人生がまだまだ続いていくことへの不安を、私の質問から感じ取ったのかもしれない。
「あなた本当に素敵な人ね。未来もきっと素敵よ。」
まっすぐに目を見て言われた。
私の人生に未来永劫、魔法をかける言葉だった。
今日のことは絶対に忘れてはいけないと、帰宅すると覚えている限りの内容をメモした。
未来に呪いをかけるような言葉ばかり、黒々とした石炭の山のように心の中で積み重なっていた。必死に山をかき分けて宝石箱を探し出し、おばあちゃんの言葉をそっとしまった。そしてとうに5年以上が過ぎた今も、あの時もらった宝石を手にとっては眺めている。
もう二度と会うことはないのだろうと分かっていても、今でもおばあちゃんのことをよく考える。
あれから今まで何とか生きてこられたのはあの言葉のおかげだと思うこともあるし、実はおばあちゃんは人間じゃなく狐か何かだったのではと冗談交じりに思う時すらある。
できるものなら会って感謝を伝えたいのだけど、私もいつか、空っぽの宝石箱を抱えた誰かに魔法をかけられる人になることで、お礼と代えさせていただこうと思っている。