「あ、結婚しよう」と思った日の話
結婚しようと思った日のことを書いてみる。
人生のターニングポイントとか、人が進む道を選んだ時の話を聞くのが昔から好きだ。結婚のきっかけもその一つだと思うが、照れなのかちゃんと話したがらない人も多い。人から聞かれることも案外少ない。
だから私がまず書いてみようと思った。
夫がどれだけ良い人かとか、何故夫を選んだのかなどはまた今度書くとして、私が「あ、結婚しよう」と思った瞬間の話だ。
当時、彼氏(現夫)とは1年半程交際していて「こういう人と結婚したら良いんだろうな」とは漠然と思っていたけど、結婚の必要性は感じていなかった。
歩く結婚願望だった20代前半の私はどこへやら、あの頃は一人暮らしの日々に結構満足し、31歳にして人生で初めて「私は一人でも生きられる」と思っていた。
仕事も充実していた。管理職としてそこそこの人数をまとめてプロジェクトを推し進め、バリバリと頑張っていた。給料も上がり、家賃7万の部屋から11万の部屋に引っ越すこともできた。
「東京でちゃんとやっていけている」という感覚を掴みかけ、やっと社会人として多少の自信がついた頃だった。
… 何だかまるでキリッとした出来る人みたいに書いてしまったが、もちろんそんなことはない。本当は「ちゃんとした大人のフリが上手くなった頃」と書くのが正しい。
そんな、季節が春に差しかかったある日の昼前のことだった。
在宅勤務をしていると部下の一人から業務チャットが飛んできた。
「妻が体調不良なので、早退して一緒に病院へ行って良いでしょうか。」
他社のことはあまり知らないが、うちの会社は基本的に社員に優しいので、詮索もしないしここぞとばかりに午後半休の申請を承認する。
「承知しました。是非すぐ病院に行ってあげてください。」
速攻でそう返信した。したのだが、何だろう。
心の底でコロコロと見知らぬ感情が転がるのを感じた。
そういえば私、大人になってから人に付き添われて病院に行ったことがないな。
テレビでよく見る、病院で愛する人の手をとり支える家族の姿。
その映像が即座に脳裏に浮かんだ。
その部下の男性は、私が面接して採用した人だった。
当時まだ独身の20代半ばで、地方都市から彼女と一緒に上京したいと応募してきた。そして入社して2年ほど経った頃、彼女と結婚したと報告を受けた。
随分前から、彼女は体が弱いと聞いていた。
だけど私が知る限り、結婚するまでは「病院に付き添いたい」と彼が早退をしたことはなかった。だからだろうか、「妻が体調不良で」と言われた時にそこはかとない衝撃を覚えた。
この、ふいに目が覚めたような感情は何だろう、と考えた。
そうか。
社会通念上、仕事を休んだり早抜けしてまで彼氏彼女の病院に付き添うことはあまりしない。するとしても上司にその旨伝えたりはあまりしない。
人によっては「恋愛相手にうつつを抜かすな」「仕事より大事なのか?」と言われかねない。
だけど、それが妻や夫となると事情が変わる。
かけがえのない家族だからだ。
家族って、こんな風に人と支え合って生きるということなんだな。
「この人と支え合って生きます」と決めることを結婚と呼ぶんだな。
あまりに初歩的なことだけど、何も分かってなかった私は急にそう教えられた気がした。
夢を追う一人の青年が上京し会社に入り、成長するのを確かに私は見てきた。だけどもちろん職場での彼しか知らず、彼は気づけば家庭を持ち、病弱な妻の世話までしている。
人生だな、と思った。美しいな、と。
人は儚く、いつまでも走り続けることはできない。
だけど、誰かの手を引き、時には引いてもらう生き方をすることはできる。
家族という静かな覚悟と責任を胸に、生きることができる。
今しか見ずに生きていた私の目の前を、突風のように「人生」が駆け抜けたように感じた。
そういうことだったんだ。
そういうことなのであれば、私も家族を持ちたい。
今思えば陳腐で浅はかで初心な考えだ。
でもその瞬間私は「家族」というものに強烈に憧れてしまった。
というか、結婚とは何なのか、願望や夢としてでなく、初めて地に足のついたものとして捉えることができたのかもしれない。
過去の「したい」が、いとも簡単に、あまりに自然に、形を変えた。
「あ、私も結婚しよう」