今年のル・マン24時間は接近戦だった


初めに

耐久レースは酒を飲みながらずっと眺めているのに良いレースだと私は思う。
長時間の戦いではレースに大きな影響をもたらす、1回のインパクトが非常に大きいが、周回数を重ねていく中での小さな変化というものはあまり感じない。
その小さな変化というものを感じるためには、ゲームをしながらとか誰かと談笑しながらとか、「何かしながら」ということが重要であると感じている。
私の場合、残念ながらレース友達と呼べる人も全くいないので必然的にゲームをしながらというのがいつものセオリーだ。
しかし、ただ長時間レース観戦を片手間にゲームをしているのも中々飽きるものだ。
(幸いにも)レースは土日なので、酒を飲んでも影響はない。
時たまの開放ということで一人でしっぽりと酒を楽しむというのも中々乙である。

だが、耐久レースを戦っているドライバー自身は中々過酷である。
24時間を三人で戦うのだから。
24時間という枠を三人で割り振った時、一人8時間コースに出ることになる。
8時間ずっとは走ることはタイヤや燃料の持ちの観点からできないので、1回のスティントは短くてもでも1時間、平均2~3時間になる。
となると、一人のスティントは4回に分割される。(1回2時間として計算)

では走行中のドライバーはどのようなことをしているのか。
ル・マンのコースとなっているサルトサーキットは半公道の長距離コースである。
敷地も広大なので、天候の変化やマシンから脱落した物体などによる路面への変化が著しい。
コースのどの部分で雨が降っているだとかどこのコーナーでマシンがオーバーシュートしたかだとか常にコースの状態に気を気張っている必要がある。
また、他のマシンがコースのどの位置にいるかを正確に把握している必要があり、特に夜間での走行は街灯が全くない部分もあるため、マシンのヘッドライトのみで自身と相手の位置を常に図っている。

逆にピットにいるドライバーはどうなのか。マシンを降りた後から見ていく。
ドライバーがマシンから降車後、チーム関係者から走行後のフィードバックと現状のマシンの状態の確認を大体40分程度行う。
その後、他のチームの状況を観察し、軽い食事とシャワーを済ませる。
30分程度休息をした後レーシングスーツに着替え再びピットへ戻る。
といった具合に、チーム・ドライバーとしての業務に追われるため、睡眠すること自体が難しくなるため、必然的に夜更かし状態になる。
その間、ピットクルーは三交代もしくは二交代でシフトを入れ替え、業務をやり繰りしていく。(クルーを多く確保していないチームはそのまま交代せず勤務する)

このように我々ファンがテレビ越しで観戦している中、ドライバーは時間とも戦い、レースを生き延びていくのだ。

フリー走行では上々だったトヨタ、予選から不運に見舞われる

フリー走行では好調だったが・・・

フリー走行や予選終盤までは上々の結果を残しつつあり、盤石の体制で決勝を迎えるかと思われていたトヨタ。
特に8号車ブランドン・ハートレー、セバスチャン・ブエミ、平川亮組は2回のフリー走行ではトップの成績を残しており、予選でもその速さを見せつけていた。
しかし、ここから不運の連続に見舞われることとなる。
途中4番手につけていた7号車小林可夢偉、ニック・デ・フリース、ホセ・マリア・ロペス組はセクション終盤にコースオフ。
これが原因となり赤旗掲示がなされ、7号車はこれにより全タイム末梢という厳しい裁定が下され、最後尾スタートが決定。
8号車も途中ハイパーポール進出圏内に留まってはいたものの、セクション中のトラフィックに苦しみ、他チームの攻勢もあってか、11番手で予選を終えることとなり、両車ともにハイパーポール進出は叶わない苦しい結果と夏てしまった。

話はそれるが、元々WECに7号車のメンバーとして在籍していたマイク・コンウェイだったが、ル・マン開催直前にバイクトレーニング中の落車事故を引き起こし、ル・マンを欠場するという事件が起こった。
チーム代表である小林可夢偉はトヨタ会長である豊田章夫氏と電話で協議することとなり、その中でELMSに参戦する宮田莉朋を乗車させるという話が持ち上がった。
しかし、ELMS参戦初年度である宮田はル・マンでの走行経験がない事やテスト中の走行は降雨中が多く路面への対応が厳しいことから見送られることとなった。
代わりに昨年までWECチームに帯同し、今年からLMGT3クラスに在籍しているホセ・マリア・ロペスの名が上がり、ロペスを招集することとなった。
チームとしてはこれまでの結束力を維持できるということで招集が決まったとされるが、GR010での走行経験が再び活かされることになる。

小林可夢偉と豊田章夫の関係

2021、これまでのWECでの功績などからチーム代表に就任しトヨタとの関係性を強固にした。
その中で豊田氏との関係性も取り上げられ、小林代表がF1参戦中だったころから続いている。
今年のル・マンでは彼らとの関係がファンをざわつかせた。

それは豊田氏が小林代表を奮起させたというもの。

小林代表は予選セクションでの赤旗の原因を作ったことによる負い目を感じており、責任は自身にあると口々にしていた中で、日本にいる豊田氏との国際電話をした時だった。

小林代表が「予選でのミスは自身に責任がある」と話した途端、豊田氏は「自分のチームだから自由にやりなさい」と鼓舞する言葉を送った。
小林代表はその言葉に奮起され、自分が旗を掲げなければ誰がやるかと意気込んだ。

決勝後のインタビューでも「日本から多くの応援を貰った。一番はモリゾウさんからの応援を貰った」とし、貰った言葉を大切にしたル・マンになったことは間違いないだろう。

決勝直前にも不運が・・・

決勝直前に行われたウォームアップ走行に追突事故が発生した。
前方を走るLMGT3マシンにデ・フリースがドライブしていた7号車が追突してしまうというアクシデントだ。
LMGT3マシンは不幸にもLEXUS RC F GT3で、同じトヨタ車同士での接触となった。
この追突によってGR010はフロント部分を大破、決勝直前までピットで修復作業をすることに。
幸いにもマシンは決勝までに修復され、グリッドに並ぶことができた。
追突されたRC Fは修復作業を受けたが、安全策を取ってピットレーンスタート選択することとなった。

これまでの不運を払しょくできたか

いざ決勝、ロケットスタートを決めたトヨタ

決勝までに様々な不運に見舞われたトヨタだったが、持ち前の力強さで決勝ラウンドに立った。
フランス空軍による飛行や優勝トロフィーの返還、スタートフラッグの受け渡しといったル・マン伝統の開会式が執り行われ、いざ決勝へ。
フォーメーションラップを終え、フランス出身のサッカー選手ジネディーヌ・ジダン氏がスタートフラッグを振り決勝スタート。
24時間にわたる長期戦が始まった。

開始直後、フェラーリの調子がみるみる上がり、ポルシェとつばぜり合いを繰り広げていた。
トヨタは7号車がバツグンのスタートを決め、着々と順位を上げることに成功。8号車の近くにまで上り詰めてきた。
8号車もトラブルフリーで順位を伸ばしキャデラックやフェラーリなどと順位争いを展開。

決勝に強いトヨタはやはり存在したのだ。

スタートから1時間ほどで雨が降り始めた。
スタート直前にも雨が降っていたが、路面への影響はそこまで値しないとされていた。
しかしこの雨をきっかけに断続的な降雨が続いていくこととなる。

ナイトセクション間近、トヨタは他を退け気づけば1-3と表彰台圏内に繰り上がってきた。
突然の雨にもきちんと対応し、ルーティーンピットもそつなくこなした。
他チームは雨への対応の遅れやピットミスなどが起き始め、順位を落とし始めていた。
ナイトセクションはトヨタが上位を占める良い状態が続き、このままいけば表彰台に2台が入れるかもしれない状態になった。
しかし、ポルシェやフェラーリ勢がナイトセクション以降から順当に順位を上げ始め、特にフェラーリはトヨタと激しい戦いを見せ始めるようになる。

激しい戦いが繰り広げられる後半戦

スタートしてから1周以内に10台前後が入るという異例の競争率の高さが見えた今年。
特にフェラーリとトヨタの戦いは常に見物だった。
ナイトセクション以降、トヨタはピット戦略でのミスが少しずつ見え始め、逆にフェラーリは的確な戦力とピットワークで上位に返り咲き始める。

ナイトセクションでは断続的な降雨と事故が頻発。
セーフティーカーが導入されるタイミングが増える。
やはりル・マンはナイトセクションの事故が一番多い。
街灯がほとんどなく頼れるのはヘッドライトとピットからの指示だけという厳しい環境だ。

夜が明け、体力的にも厳しくなってくる朝方、トヨタは粘った走りで上位をキープしていた。
他マシンの追撃もありながらも必死に耐えた。
しかしフェラーリだけは勢いを緩めなかった。
常に上位を争い、厳しい環境になりながらもお互いに一歩も引かなかった。

最後の最後で勝利の女神がほほ笑んだのは

常に上位争いを繰り広げていた両チームだったが、終了まで2時間のところでトラブルフリーだった8号車とフェラーリ51号車が錯綜してしまう。
この影響で8号車は大きく順位を下げることとなってしまう。
フェラーリもトラブルに見舞われ、緊急ピットを余儀なくされてしまう中、好調だった7号車も途中スピンを喫し大きくタイムをロス。
燃料を温存していた50号車がトップに躍り出る。
トラブル後のトヨタはめげず懸命に走り続けることで7号車2番手、8号車5番手に返り咲いた。

そして最終盤、トップを走る50号車に異変が。
セーブしていた燃料が足りない可能性が出てきたのだ。
実況席の解説陣も「50号車はガス欠する可能性が」と驚いた表情だった。
これでトヨタ追撃できるかと思われたが、追撃するには時間が足りないとして順位をキープすることを選択。
「気をつけて。無事にお家に帰ろう。」とドライバーと交信した瞬間に、「勝つ」可能性への挑戦を自分たちから放棄した形となった。

結果、勝利の女神がほほ笑んだのは50号車フェラーリということで、ル・マン2連覇を果たした。
7号車が2位表彰台、8号車が5位という惜しい結果となった。

戦いを終えた選手の思い

常にトップ数台が1周圏内で争っていた今年のル・マンはどのチームも厳しい戦いを強いられてきた。
その中でも常にトップを走ってきたトヨタにとってはこれだけ悔しい結果はないだろう。

一番悔しさをにじませていたのは小林可夢偉チーム代表だった。

レースを終えた後のインタビューでは悔しい表情と共に、来年に向けた転機を狙うコメントを聞くことが出来た。

マイク・コンウェイの一時離脱に始まりレースウィークを通じて不運に見舞われたトヨタ陣営。
最後の最後に報われても良かったと思ったが、勝利の女神は彼らを見放した。

しかし、彼らは世界一のドライバーであり、メカニックでありエンジニアである。
彼らの誇りがこれからのシーズンを戦い抜くことができるのなら、勝ち星を挙げることが出来るのだと思う。

ル・マンは常にドラマの連続である。
ただ走り切ることだけがル・マンなのではなく、常に変わっていく状況に対処し、走りを追求していくこと、戦いを追求していくことが真のル・マンウィナーであると、私は考える。

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