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大山エンリコイサム『アゲインスト・リテラシー』と見田宗介『現代社会はどこに向かうか』(15)

「いきなり前人未到」だなんて大げさなテキストが帯に書かれている。グラフィティ文化論という未知の領域に対して、いとうせいこうが言うなら、そうなのだろうと思いこんでいたが、実際にはその思い込みがより強まったというのが読後感である。日常的に目に入っていたグラフィティがいったいどういう経緯で、なぜ、背後にあるもの、どのように解読すればいいのか、それ以上にグラフィティは理解しうるものだという可能性を提示してくれた。ただのラクガキではないのだ。

その中でも、グラフィティ文化の解説において、環境管理型の権力と規律訓練型の権力という今の自分にとって関心の高いワードが出てくる。そこからスタートしたい。どこにたどり着くかはわからない。

後者が道徳や規範の内面化を通じて人々を規律するとすれば、前者はそのような内面化を介さず、環境を直接管理することで即物的に人々の振る舞いを操る。その際、権力は環境に埋めこまれており、精緻な情報技術によって作動するため、管理されている意識が発生しづらいことで特徴づけられる。この環境管理型権力は、現代都市にも蔓延している。

これらの考えは目新しいものではないが、バンクシーを解読し、現代のストリートアートの意味を理解するうえで欠かせない認識である。学校教育は規範の内面化のために存在する組織であり、そこから逸脱した学校外の環境は管理がそこまで行き届いていなかった。しかし、監視カメラ等の整備により、今では学校外のパブリックなエリアでは直接管理がなされている。これを息苦しいと考える人、安全・安心と考える人がいるが、先達はほぼ確実に後者を選択して、現在の状況にいたっている。

しかし、すでに安全・安心も経済的成長も一定程度が達成された中で、次はどの道に進むのだろうか。このような問いが出てきたのは、見田宗介の『現代社会はどこに向かうか』を読んだことに起因する。これについて、今後の考えを深めていくが、三田は20世紀の革命の破綻の理由から、新しい実践的な公準を3つ導き出している。

20世紀の革命破綻の理由

否定主義 negativism   「とりあえず打倒!」
全体主義 totalitarianism   三位一体という錯覚
手段主義 instrumentalism  「終わりよければすべてよし」

新しい世界を創造する時のわれわれの実践的な公準

Positive(肯定的であるということ)
Diverse(多様であること)
Consummatory(現在を楽しむ、ということ)

グラフィティ文化そのものには、革命から未来を導き出すなどという、目的をもって活動しているわけではないだろう。しかし、彼らの活動は多様であり、現在を楽しんでいる。肯定的であるかは一概には名言できないが、グラフィティで何かが打倒できるわけではないから否定主義ではないだろう。肯定的か否定的かは、受け手が決めることなのだろう。(きっと続く)



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