未来のために現在があると信じた平成、そして令和(16)
本を読んでいて、ときに内臓が震えるときがある。寒気に近い感覚だ。それが起こるのは、自分が無意識に信じていたものが否定され、そしてその否定の論理に自分が納得してしまっているときだ。
頭はNO、体はYES。
この分離した状況を内臓、特に胃が察知するのだ。たまにこれが体調不良につながることさえある。そのほか、前頭葉が破裂しそうになる感覚もあるが、それはまた別の機会に読書の身体感覚みたいなテーマで書こうと思う。
今回、そのような感覚を与えてくれた本は見田宗介の『現代社会はどこに向かうか』である。まだ、この本を読んでいない人がいるなら、全力でオススメしたい。これから書いていく内容は本を買ってくれ、という文章は書くつもりはないので、これより下を読んでも決して購買意欲は掻き立てられないだろう。ただ、自分の胃が受けた衝撃を記していく。
そもそも、僕は未来のことを考えることが好きなタイプだ。だから、この本も手にとった。しかし、この本でもっとも大切なコンセプトはconsummatoryなのだ。訳すと、今を楽しむ、ということ。そもそも、これは未来を考えることが好きな自分には衝撃であった。なぜ、自分が未来を考えることが好きなのかを改めて問わざるをえなくなった。
1.未来を考えることで今やるべきことが明確になると思っていること
2.人と違うことや新しさを考え、議論する、あわよくば発明することが好き
3.答えのない未来は探究しがいがあるテーマであること
そんなあたりがある。しかし、見田は柔らかにこれらの考えを退ける。
まず、そもそも、未来のために現在を犠牲にしていないか、現在を未来のための手段にしているのではないかと。図星である。まさにそのように考えている自分がいた。そして、琴線に響いたのは、それは違うんじゃないかとずっと心の底で感じていたからだ。それがはっきりと言語化された。これにより、1の考えは粉々に打ち砕かれた。
次に、新しさについて。見田は痛烈な考えを示し、現代アートの新しさへの強迫観念を分析する。
アートとモード、ファッションの領域における、20世紀までの「新しさ」という価値の自己目的化、常により「新しいもの」を求め続ける強迫は、人間の歴史の第二の局面の、とりわけその最終のスパートであった近代という短い沸騰期、加速し続ける「進歩」と「発展」と「成長」を追い求めてきたステージに特有の価値観であり、感覚であり、美意識であった。
全面的にこの考えを受け入れることはできやしないが、無意識に囚われていたことが言語化されたことにより、認識ができるようになったことは個人的にインパクトが大きかった。未来には、今にない新しさがあると信じ、議論し、(便利なものの)の発明の可能性を探ってきたことは一つの時代の雰囲気で、それが変わってゆくのかもしれない。発明そのものは今を生き、没頭できる行為だが、それによってもたらされるかもしれない経済的かつ社会的なインパクトは未来の予測で、常にそこに成長ストーリーを求められる風潮には嫌気がさしていた。そういった意味で、その嫌気に決定打が放たれたということである。
いっぽう、3つ目、未来そのものが不確実で余地、余白のあるものだからこそ、探究しがいのあるテーマで学習教材としても適しているのではないか、という面白さについて。
見田は未来を目的に現在を手段にしてきた第二の局面の終わりを告げている。その中で、未来をあえて教材に使うことは、未来を手段化し現在を充実させるという反転が行われていることに気がついた。未来を素材に、物語を創造する。その創造自体がより面白いものを目指せば良いが、役に立つという感覚を増長させすぎては良くないと思った。なぜなら、未来の解像度を高めることでキャリアや進路を考えることなは役立つとなれば、結果、未来が目的として再び崇められ、現在を手段として合理化する思考回路にに接続してしまう可能性があるからだ。
ここまで、なぜ未来を考えることが好きなのかを問い直しつつ、それに見田の主張を重ね、考えを深めてきた。他人の意見に流されやすい私であるが、身体に訴えかけられるほどの衝撃は流されるというよりも、埋め込まれたという感覚に近く、未だ戸惑いは残っている。間に受けすぎると、現在の生活に困ってしまいそうである。
それぐらいに現在を未来の手段とするアイデアそのものはシステムと私たちの思考に深く根ざしているため、容易に変えることはできないだろうし、変えるというより揺り戻されながら変わっていくものなのだろう。
平成が終わり、新しい年号になる。テクノロジーの進歩に随分と注目が集まった平成でありこれからもしばらくは変わりそうにないが、価値観も随分と変化したわけだ。調査をもとにその価値観の最も根底にあるものを掘り起こし、振り返る。一つの新しい時代のはじまりの準備としては悪くないだろう。
学びや教育関係の本の購入にあて、よりよい発信をするためのインプットに活用します。