映画「来る」の感想メモ
去年とかそのくらいに見て感想を書き散らしていたメモを発掘したので、記録のため残しておく。
映画「来る」を見た
弱い者を諦めて切り捨てて「仕方が無かった」と言うこと、つまり弱者の排斥を否定する話だったなあと私は感じた
弱さ 誰の中にでもあるけど、認めたくないもの
そういう「弱さ」を忌む心が「呪い」として機能していた印象
●田原秀樹の弱さ
集団への帰属欲求が強い 仲間はずれにされた経験がある?もしくは田舎特有の価値観で何度も虐げられた経験?「どう見られているか」だけでアイデンティティを構築している所が弱み でもそれは「愛されたさ」とも同じだと思うから、優しい人間だったのも本当なんだろうな「産んだくらいで偉そうに」「結婚してやった」「あんな母親に育てられたお前に、家族の何がわかる」という発言からも『正しい家族像』への強い執着が感じられる。『こうあるべき』を押しつけられて死んでしまった人。
●田原香奈の弱さ
家族像への強い憧れがある点は夫と同じ。その一致が結婚の後押しにもなったのだろうけど、理想とする形が夫と違っていたことが結婚後に発覚してしまったのが彼女の不幸だったのかも。「母親のようにはなりたくない」という気持ちが、徐々に「母親のようになりたくないのに、自分をそのようにさせてしまう周りが憎い」に変容していく様子が悲しい。母親への憎しみに囚われて死んでしまった人。気の弱さは、幼少期に母から言われた「あんたなんか産まなきゃ良かった」という言葉によって「他者から見た自分の命の価値」というものさしを獲得してしまったが故のものなのだろうな。
●津田大吾の弱さ
田原秀樹を馬鹿にしながらも離れられず、彼の全てを奪うことに執着したのはきっと「愛されるための振る舞い」を知らなかったからなのかな。裏切られるくらいなら自分から裏切るの精神を獲得しているのは、彼の「信じたさ」の強さであるよな・・・・・・。だから信仰を取り扱う民俗学を専攻したんだろうか?
田原秀樹を「空っぽの人間」と評価する彼は、多分「中身」にこそ意味があると嘯きながら、その実、田原秀樹が作り出していた「外側」への憧れが本当に強かったんだろうな。心も外面も孤独な自分と、自分と同じように心が孤独なくせに外面だけはいつも笑って楽しそうにして慕われているように見える田原秀樹のこと、うらやましかったのかな。恐がりな人だった。
登場人物がみんなだれかに許されたがっている映画だった。多分炭次郎がいたら全部解決だったんじゃねえかな。炭次郎は「赦し」の権化なので。神様か?
みんな誰から許されたかったのか?たぶん自分自身の中にある呪いから逃げたかったんだろうな。弱さを切り捨て、強くいなければという呪い。水子の呪い。
痛みだけがこの世との縁になる、という話がクライマックス辺りで出ていた。
呪いは実像ではなく、幻影だ。実像・実感を伴わない。自分自身が見出してしまうものだ。
見出すのをやめて、実存に目を向けて向き合うことが、呪いから逃れる術なのだというのはすごく納得だな・・・・・・。肉体と心と社会性の切り分けが、生存のために必要なのだろうなと最近思っているところなので、すごく身につまされるというか、わかる~ってなる話だった。
他者を傷つけること、己が傷つくことから逃げるのは、ほどほどにした方が良い。なぜなら、本当はそこには罪も罰もなくて、その事実があるだけなのだから。呪いの対処の話の時に出てた「なんで、ではなくて、どうするかが大事だ」みたいな台詞のもそれと通じる感じあるよね。
弱さを赦す強さというのはあって、そこを肯定する話であったが、実際そこまで行き着くのって難しいよなとも思う。余裕がないとできねえので・・・・・・。いやまあその余裕を喪わせているのは「呪い」であるので、そこを祓おうという話ではあるんじゃけども
生きるために誰かを切り捨てたり、自分の弱さを忌んでしまうこと、そのストレスや罪悪感が「呪い」となって顕現してしまったんだなあ という感じ
直後に呪術廻戦を見たのも良かったな
だれかの負の感情が「呪い」になるという世界観は同じなので。マンションの祓いに来てた女子高生たちはもしかしたら呪術高専の子達だったのかもしんねえよな。
人がなるべく誰かを呪わずにいられる世界になるといいよな・・・・・・・