アイドルマスターというコンテンツの素晴らしさとその下にある死骸とかについて
ありがとうアイドルマスター・・・・・・・・
昨夜のゆくマスくるマスで情報の洪水に巻き込まれて死んでしまいましたが、みなさん生きていますか?あれって現実?夢?どうやら現実らしい最高~~~~~~~!!!!!!!!!!!
この5事務所合同曲「なんどでも笑おう」を聞いてベソベソ泣きながら、アイドルマスターというコンテンツってほんとにすごいな、とか、あとそこにまつわる嫌なことについても色々考えたので記録として書き散らかします
アイマスシリーズ全部の詳細は知らないのだけど、一応全タイトル触れてきて、キャラクターの取扱についてのタイトルごとの違いがかなりあるのが面白いなあと思っているのでまずそれを。
765(ミリ含む)と876のキャラクター造形は、15年前に生まれた子たちとその後輩たち、ということで結構つくりが古めというか、近年発表されたタイトル内でキャラクターを人間として扱うような掘り下げがされているものの、どこか2次元ナイズされた「現実にはいないけどこういうキャラクターなので・・・」という印象を受ける造形。逆に言うと「現実にいたとすれば、このキャラクターの違和感は目につくだろうな」というか。キャラクターなのでそりゃそうだし、多くの名作アニメ・マンガにおけるキャラクターというのは「現実の縮小版」でありわかりやすいストーリー構成にするために必然なデフォルメなのでそれが悪いというわけでなく、むしろだからこそ、あの世界観のなかでは歪みなく常に平和で優しい世界が実現できているな、と思う。だからこそキャラクターは救いになるし、現実が襲いかかっても彼女たちはずっと強く美しく立ち上がり続けてくれるという信頼が生まれるんだよなと思う。
その辺り、わりとsideMも「平和でやさしい世界」に振っている感じがあるな。彼らは「過去に重たいものを持っている」という前提があるので、おおむね全員が「立ち止まる痛み」とか「諦める痛み」「離別の痛み」「進めない痛み」などを抱えているが故に、お互いを思いやれる人間という属性を共通して持たせることができていて、だから幼さ故のぶつかりとかそういうストーリーの刺激になるようなドラマが起きにくいし、シナリオも過去エピソードに触れるようなもの以外は、基本的にそういう波の少ないやさしい雰囲気で描かれているものがほとんどに思う。・・・ここまで書いて、SideMのすごいのは男性のジェンダー規範をキャラ造形の前提段階で一度壊してあげられていることだなと思った。「前に進むには休むことや負けることも必要」みたいなことを全員が知っているので、「男なんだから泣かない」とか「女ってさあ」とか「負けたら終わり」みたいなホモソーシャルの圧力のにおいが取り払われている。男性キャラクターがいっぱいいるのに「やさしさ」や「親愛」をかっこわるいものだと思っているキャラクターがここまで少ないのは結構希有だと思う。身の回りにSideMの男性Pもいるのだけど、彼らはこういうところに惹かれてSideMのアイドルたちを応援しているのかもしれないな。その内の1人の友人はすみッコぐらしも愛好している男性なので「弱さが前提にある優しさ」がキーになっていて、そこが魅力なのかも。
346は結構特殊な気がしていて、アイドルたちから良くも悪くも「現実にいる女の子たち」の香りがする。特に夢見りあむ含む2019年に追加されたアイドル達が顕著だけど「一部の人間にはひどく嫌われたり仲良くできなくても仕方ないだろうなと思われる人間」が結構な数いる。
多分これは初期に大人数のアイドルを生成するにあたって、振れ幅を作っておかないとキャラかぶりがとんでもないことになってしまうという実利的な部分で生まれたものでしかないと思うのだけど、おかげで「現実を綺麗に切り取る」ようなストーリーが生まれる土壌ができたんじゃないかしら。「フィクションが生む永遠の美しさ」とは違う「現実のなかの一瞬の美しさ」を扱うような話が多いと思う。
その分その美しさは儚いので「この子とこの子を絡ませたら本当にヤバいし仲良くなれないだろ」みたいな組み合わせもあるし多分デレの世界にはバリバリ悪意なども存在するので、ハラハラさせられることも多い。
そこを乗り越えるシナリオの力があるのが本当にありがたい・・・ありがとう・・・私はアイドル達がマジの喧嘩をして雰囲気が最悪になっても、最終的にお互いの違いを認めて共存する方向になる流れが大好き・・・。
シャニに関してはその強化版というか、それこそSideMの「ほぼ全員が傷ついた経験がある優しい人間」である部分とシンデレラの「現実の中の一瞬の美しさ」のいいとこどりをした上で、765や876の持つ「キャラクター性」をリライトした子達だと感じていて、本当に今の時代に合った新しくて強いコンテンツだな~~~!と思う。すごい。シャニは文学をやっている。神話でも紡いでいるのか?その通りです。
こんな違う世界観の中なのに、アイドルマスターシリーズ共通の「夢に向かって歩むことの尊さ」とか「過去を抱えて前に進む勇気」とか「変化を恐れないで新しいステージへ飛び込むことの素晴らしさ」とかがちゃんとどの事務所でも貫かれているの本当にすごいし、すごいな・・・すごい・・・はあ・・・。
その共通テーマが続いていく限り、彼・彼女達は多面的な人格を持った「人間」として立ち上がっていくし、それがユーザーの心を長く確実につかんでゆくんだよな。心臓をバンダイナムコに持っていかれてんだオタクは。助けてくれ。
・・・っていうところを愛好するのが趣味なオタクは良いんですよ。そういう性癖のニーズは死ぬほど満たされていて幸せだし、こっちに来てくれている運営本当にありがとう。
でも、ここにくるまでに蹴りを入れられこのでっかいアイマスシリーズの船から救命胴衣なしで海にブチ落とされているオタクもいるということを考えると、業が深いコンテンツよなと思う。船内でぬくぬく豪勢な飯を食って感涙しているオタクが書くことか?とは思うけど、書く。この豪勢な飯は多分ifの世界で海にブチ落とされた私の死骸からできているので。
どういうオタクが今冷たい海に落とされているかというと、一番はアイマスシリーズを恋愛シュミレーションとして愛好していたオタクだと思う。アイマスは元々、アイドルとPの「信頼関係」の皮をかぶった恋愛ゲーであったことは間違いないはずだ。もちろん今だってその文脈はしっかり残っている。ほとんどのアイドルたちは「プロデューサー」へ信頼とも思慕ともつかない感情を向けている。もちろんそういうニーズを満たすために。
でも、そのアイドルとPの一対一の関係、蜜月の日々は「みんなまとめてアイドルマスター」を大事にすればするほど否定されていってしまうのではないかしら。仲間のこと、アイドルとしての真摯さ、他事務所にいる異性との交流、ファンへの対応・・・それがそのキャラクターの「揺るぎない側面」として認められてしまうと、とたんに恋愛感情は矛盾をはらんだ不義理として、断罪されてしまうようになっていく。実際、恋愛感情というものは定義も人によって曖昧なものであり、脳がバグって相手以外見えなくなるという辺りも「みんな」という一対一の外側から見ることで「悪いもの」という扱になってしまうことが、現実でも多く見られる。
別に相手は創作物の世界の人間なのでその辺り好きにやってもいいはずなのだが、アイドルマスターの世界の人間達は創作物でありながらほぼ実存なので中々そうもいかない。現行タイトルのシナリオがソーシャルゲームの中で更新され続けている以上、彼・彼女たちは現実の人間と変わりなく向こうの世界で「今」を生きていているといってもいい。常に変化しつづける彼・彼女たちの変化を、恋愛感情のために一部否定し見ないようにすることは「人間」であることを否定することでもあり・・・というヤッバイ業となって襲いかかってくる。切り分けて楽しめる人間ならそれが一番なのだけど、オタクは繊細なのでそうもいかない。公式と解釈違いを起こしてアナフィラキシーショックで死んでいく。冷たい海へブチ落とされる。
なにがひどいって乗船した時はむしろそれを肯定されていたことだ。アイドルのこと好きになって良いってルールだったのに、急に海に落とされるの怖くない?私もそうなっていたかもしれんと思うと、背筋が凍る。
でも、コンテンツは前に進まなければならず、停滞は許されない。今向かっている「みんなまとめてアイドルマスター」のニーズが高まり、それがブランドイメージとして求めていきたい場所ならば、最初に乗ってきたオタクを殺してでも前に進むのは正解でしかないのだよな。
船上のパーティーに参加しながら、そういうことを思った。あと、デレマスにはまだ声が聞こえづらい女の子たち(いわゆる声なし)がいっぱいいて、こういう子たちは今のアイマスのリアルイベント志向からはおいて行かれてしまうし、どうしても同列に喜べないよな、とか、876プロが事務所として名前を連ねてないのは大人の事情なんだろうけど、やっぱり「みんなで」から自然に外されているのつらいな・・・とか・・・。
リアルイベント志向についても思うところがあって、本当にどのタイトルのライブもキャストのみなさんも本当に素晴らしくて最高だし、キャストの方ありきのキャラクター性なども生まれてきてエモなんですけど、キャラクターはキャラクターであり、キャストはキャストなので、一番近いとこにいてくれる人であっても本人ではなくて、でもそこの同一視を狙っているのか・・・?という売り方も多くなってきてて、いやそれが今のキャラクター消費のトレンドなのはわかるのだけれども、キャスト側の消耗とか、もしくはキャラクター側への配慮が片手落ちになってたりとか、そういうのがあるのは「キャラクター」を軸にしていますというコンテンツとしては、売り方が違うのかなと思ったりする。キャストの人気でキャラクターにもファンがついたから、キャラクターをキャストに寄せるみたいなことや、逆もあってほしくないし、どっちもコンテンツを支える大事な「人間」で人材なので、両方大事にしてほしいなと思う。キャスト主体以外のイベントでオタクを満たす方法ってないのかな・・・難しいか・・・。
たくさんの人を乗せて進むコンテンツという船から、私が落っこちずに楽しめているのは、そこにたくさんの人間の死骸が浮いているからだよな という当たり前のことを考えたのでこんなことを書いた。私はここまでパーティーを楽しんでいるけど、船から落ちたときに船を恨まずにいられるだろうか。そうでありたいな。
ファンはファンでしかなくて、勝手に寄ってきた虫として少しでもコンテンツを賑わす以外にすべきことなどないと思うので、そういう益虫となれるように今後も頑張りたいです。アイマスありがとう。合同ライブで死にたいのでよろしくおねがいします。
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