デレ 7th大阪day1を見て考えたこと:いないアイドルの髪の匂いを知っているオタク
アイドルマスターシンデレラガールズの7thライブ「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 7thLIVE TOUR Special 3chord♪ 」の3公演の最後、Glowing Rock!の1日目に行ってきました。
いやーーーーーーもう本当に最高の大優勝でしたね……都合上day2は参加できずに飛行機に乗って沖縄帰って、翌日すぐ出勤でしたが、仕事しながらも気持ちはまだ完全に大阪にありました。ライブってすごい……すごいな……
名古屋参戦のときは的場梨沙さんのサプボや結城晴さんの「I can hear my voice…」実装やDJKOOさんの生DJなどの衝撃で完全に記憶と情緒がぶっ壊れてしまってライブの話を書くタイミングを逃したので、今回は忘れないうちに、考えたことをいろいろ記録しておきます。
生演奏がめちゃくちゃ良かった
とにかくかっこよかった 何? すっっご
デレマスの一番の魅力は楽曲の力だと常々思っている人間なので、開幕ガルフロの演奏の破壊力でもう感情になって毛穴が全開になってしまった。演奏全部良かったのはそうなんだけど、特にPaletteのピアノとかもうめちゃ好きだったのでやってくれたうれしさにバンド隊見るオペラグラス地蔵をしたい気持ちとピンチェの爆裂キュートダンスを見てサイリウム振り狂いたい気持ちでバグって静止した後、もはや最高だったということしか本当に覚えていない 自分がどうしたのかとか何もわからん でもとにかく良かった……
アレンジ曲大好き人間なので一番震えるほど感動したのはしっとりパートだったのですが、あれは曲としても優勝ですけどそれ以上にU149のオタクとして脳がチカチカするくらいの衝撃を受けたので後述します。
生演奏があることによって「あ、アイドルたちのことを考えて曲をつくって演奏して収録している人って実在するんだ…」という至極当たり前の事をちゃんと実感できたのが一番うれしかったかもしれない。
そもそもライブはすごい
ライブ、すごい。すごくないですか? 何がすごいって「キャラクター」という実在しない人たちの輪郭をなぞるためだけにあんなにたくさん人間が集まって、お金や情熱や技術を注いでるのを体感できちゃうのがすごい。どこにもいない「アイドル」にこれだけの人間がリアルタイムで感情を左右されて狂ってるっていうことだもんな、ライブって。本当にわけがわからないすごさがある。神事じゃん。
声優さんも含めたあの場にいる全員の中に、同じキャラでもみんなちょっとずつ違う「自分が担当している(大好きな)アイドル」がいて、生みの親である運営が「一番みんなの中にあるアイドルの像に近くなれる演者」だと選んだのがその声優さんだ、ということなんだなというのが今回やっと分かった感じ。
要するに声優さんは巫女。私達は神様(アイドル)を感じるために集まり、巫女が神様を降ろしているのをみて、各々勝手に泣いたりわめいたりしている。巫女は巫女として幸せでいてほしいけど(声優さんたちがキャラを演じてくださることはすごいし最高だからです)私達は自分たちの中の「アイドル」を彼女たちに投影しているだけなんだよな、というの、今まであんまりよく分かってなかったかも。
というのも、この神事において巫女は勿論一番すげーのだけど、参加しているP達も各々アイドルを「降ろす(実在せしめる)」ために色々工夫していて。
無駄に本格的な名刺交換なんかもそうだけど、実在アイドルの文化とはまた違った方向性で(「私のアイドルを知ってほしい より実在の精度を上げたい」という熱量が多分そうさせるのだと思う)、髪を染めて参加する人、入れ墨を彫っちゃった人、衣装を作ってくる人、グッズを作って配る人、服装にキャラの要素を取り入れる人…と、それぞれの担当への愛を表明していてすごい。
こういう尋常じゃない愛を撒き散らかしているオタクたちは『好きなキャラクターをアピールして他のオタクと交流したい!』という欲望だけじゃなくて、オタク達自身も巫女のようであろうとして、そういうことをしているように思うのね。前回名古屋に参加してその渦中に飛び込んで体感してみてそれをすごく実感しまして。
だから、声優さんも運営も含めたあの場にいた全員が実はほとんど平等で、唯一本当の主役は存在しないアイドルなんだ!という考えをちゃんと(?)持った上で今回はライブ見れました。
だから今までとまた違った良さがあって始終感動しきりだった。
アイマスのライブで私が一番楽しみにしているのは、実はアンコールパート前のお知らせのコーナー。
もちろんうれしいお知らせがあるから!というのもあるけど、あそこでたくさんの人たちがドキドキしながら発表に聞き入って、大騒ぎして泣いたり喜んだりするっていう様子を感じられるのが何より好き。
私も前回の名古屋でSpin-off!の発表を聞いて自分でもびっくりするくらいしゃくり上げて号泣してしまったんだけど、お知らせパートではそういうデッケー感情が同時多発するのがすごく気持ちいい。こういうのもすごく神事っぽいというか、ハレの日の楽しさ、リミッターの解放って感じだよね……多分家でひとりでお知らせを見ていてもああはなれない。
なんかそういう「幻覚を幻覚として信じることを許された気持ちよさ」みたいなものを味わえたライブだった。オタクとして狂い切るの楽し〜〜!!!
非実在のアイドルを愛でること
私個人のアイドル観の話になるけれど、非実在のアイドルを愛でることと実在のアイドルを愛でることは、似ているようで結構大きい違いがある気がしている。
特にシンデレラガールズがそうなんですが、実体というか「本当のその子」っていうのが実はどこにも存在しないというところがめちゃくちゃ好きなんですよ私は。正解がどこにもない。
橘ありす役の佐藤亜美菜さんが確かU149のラジオ中に「U149のドラマCD内のありすは、色々成長してきたありすじゃなくて、プロデューサーさんと出会ったばかりのありすだから(演技の)調整が大変だった」というようなことを仰っていたかと思う(うろ覚え)のだけど、それとか、あと一ノ瀬志希の性格がモバとステでバラバラだというオタクの間でよく言われている話とか、声がついたことによる担降りとか、あとは特定人気カプの地雷カプイベ開催による冷戦とか、まあそれで辛い思いをしているオタクもいるし残酷だぜとは思うんだけど、そういうことが起きるのってその分1人のキャラクターが与えてくれる解釈や可能性が豊かである証拠だと思うんですよね。
シンデレラに限らず、今、キャラクター消費の商売全体で「消費されるために生まれたキャラクターを、消費し切れないように後出しで多角的に表現していく」みたいな、2次創作を先に公式がやっちゃう感じの流れが主流になってる気がしていて、これすごい欲望の果て!って感じがして好きなんだよな……キャラクターという枠組みをしゃぶり尽くそうとしている。
その流れの中のかなりうまい方法の一つにこのシンデレラガールズの「どこにも正解のない世界」(多元宇宙的というか平行世界というか)があるんじゃないかと思っていて、刀剣とか艦これの「うちの本丸」「うちの鎮守府」的なものとも近いけど、そっちよりもシンデレラのやり方はもうちょい物語的な消費という感じで、この塩梅が私はすごく好き……。
この感覚、突き詰めていくと「じゃあ私が好きなのはキャラクターではなくてその周辺にある要素でしかないのでは…?」という気持ちにもなるんだけど、その好き要素を複合的に持ち得るのはそのキャラクターだけなので、それはそのキャラクターを好きってことでいいよね。いいですよ。わーい!😃
in factがほんとによかった
そこを踏まえたうえで、今回歌われた橘ありすのソロ「in fact」がとんでもなく良かったのでその話をします。
今回、生演奏ならではということで、カホーンとピアノとアコギでボサノバ風?にアレンジされて演奏されたんだけれども、その演奏に合わせた佐藤亜美菜さんの歌い方がもうね!!?!?!?!?これは橘ありすという物語にとってマジでとんでもない事件だったでしょと思っている。
私はさっき言った通り平行世界とサザエさん的ループで展開しているシンデレラガールズの世界をめちゃくちゃ愛していて、それは本当なんですけど、でももちろんそこをクールに見つめられない「担当をどうしようもなく人間として愛している自分」も自分の中にはいて、その部分でずっとアイドルに『本当の未来』がないことを嘆いてきたんですよ。私の担当は結城晴ちゃんなんだけれども、彼女はサッカー選手になりたいという夢と、アイドル活動を楽しめるようになってきたころに持つようになった「アイドル界でもファンタジスタになる」という夢の2つを持っているんだけど、それが今後どうなっていくのかって、私たちには想像することはいくらでもできても本当にそれを観測することってできないわけじゃないですか…………!!!?!?!?!?こんな残酷なことあるかよ!?!?!?!?!なあ!?!?!?!?!?私は定期的にこういうことを言い出しては狂っている。
んだけど、だけど、今回の「infact」ってその「絶対に見ることができないはずの未来の提示」だったと思いませんか?!!?!??!!
歌いだしの「本当の私を 誰も知らない」の歌い方の時点で、本来の「in fact」ならそこに「誰にもわかってもらえない」という諦めや、でもわかってほしいというすがるような気持ち、甘え方を知らない子供としてのありすがにじんでいたけど、今回の歌い方は、それは「過去にそうだった」というニュアンスで、そして「今も若干その節はあるけれど、そこに絶望はなくて、そういうものだなくらいの距離感で理解するだけの下地がある」みたいな、成長した「橘ありす」だったじゃないですか????「あなただけ特別なのはなぜ」の問いかけも、元のバージョンだとそこに不安や戸惑いの成分が多かったのに、今回のありすはその不安を受け止めるだけの余裕を持っていたというか、つまり『シンデレラガールズにおけるすべての世界線の先にいるありす』で、「下の名前で呼ばないでください」と、プロデューサーに心を閉ざしている頃のありすでは絶対なくて!!!!!!
シンデレラのアイドルたちが「成長」を消費されるために生まれたキャラクターたちである以上、彼女たちは成長し切ってしまうことは絶対にできないし、プロデューサーに出会う前の彼女たちは、永遠に<過去>ではなく<現在>にピン止めされ続けているんですけど、そこのタブーを破ってまで「プロデューサーと過ごしてきた日々に、ありすは確かに救われたんだよ」って伝えてくれるような歌い方をしてくれたってことに気づいてもう脳みその裏側に火が付いたんかくらいの衝撃をうけて、気づいたらびっくりするくらい泣いてた……いや、私がそう解釈したというだけではあるんだけど、でもそういう受け取り方をできるような表現をしてくれたことがとんでもなくすごいことだと思うし嬉しくて……U149の世界線を愛している人間としてめちゃくちゃ感動してしまった……。ありす……そして佐藤亜美菜さん……ありがとう……ちなみにこの下書きを帰りの飛行機の中で手帳に書きなぐっていたのですけど、書きながらマジで泣いてしまって自分でもびっくりした。限界オタク。
こういう「プロデューサーと過ごしたはずの日々」が無に帰すからこその喜びと、それでも確かにそこにあったということがわかるときの喜びが混在しているのが、私がシンデレラガールズの好きなところのひとつなのかもしんない。
村上巴の話
そういうやべえ体験をさせてくれたアイドルは今回もうひとりいて、村上巴さんなんですけど、実は、私一回村上巴さんの担降りをしたことがあります。担降りっていうとなんかあれなんだけど「アッどうやら私が彼女に投影していた人間性はどうやら私の妄想でしかなかったようだぞ?」と気づいて申し訳ね~と思って「大好き~!」というのをしばらくやめた時期があって。よくあるパターンなんですが、それは声がついたのがきっかけでした。
いや、村上巴って表現するのめちゃくちゃ難しい女だと思うんですよ!!!幼すぎても大人すぎても違うというか。多分、村上巴というキャラクターが生み出された時の最初の「ウリ(個性)」って「ちびっこが任侠っていうギャップ」と「強気な女って照れさすとえっちよな」という部分だったのかなと思っているんですが、そこを肉付けしていく中で「ヤのつく家業で培われた確固たる信念や大人っぽさ・どっしりした度胸の強さ」と「強気だけどかわいい衣装に照れちゃう背伸びしたちびっこな巴チャン」との間にうまい落としどころを見つけるのって結構難しくなっていったのかなと思っていて。
だからどっちかの部分だけを好きなファンなんかもいて、私は完全に前者全振りの好きを持ってたのね。だけど実際花井さんの演技はおそらくちゃんとその間をやろうとしてくださっていて、かわいい部分と大人な部分がちゃんと配合されていたのだけど、私は「かわいい巴チャン」の成分のことを今までちゃんと見てきていなかったので『どええ??!!!誰!?!?!?』と勝手にびっくりしてしまって、そこでちょっと距離を置くことになってしまって。ま、それでもかっこいい部分が前面に出るようなイベントやカードのセリフにはキャッキャいっていたので、私はかなり軽薄なオタクなんですけど。
でも今回、フォーリンシーサイドの新曲の発表で嬉しさと驚きと感謝で同行の川島Pと並んで爆泣きしながら「なるほど!!?!!!!!!フォーリンシーサイドを経るための巴さんなら、あのかわいい巴さんでも違和感がないぞ!!!!!」と自分の中での解釈がすごくうまくつながって、そのあとからはめちゃくちゃ純粋な気持ちで村上巴の女として大はしゃぎすることができてしまった。我ながらちょれ~~~~~~!でもそうなので……川島瑞樹とかいう最高にかっこいいイイ女とユニットを組んだ村上巴、絶対最強だし、ユニット活動の中で自分自身の幼さと向き合う姿勢を見せてくれるってことだとお歌を聞いて解釈したのですが、その過程には「かわいい巴チャン」は必要不可欠だと考えれば、花井さんがやっぱり(あたりまえだけど)正解で、私はただの一人で先走っちゃった愚かなオタクだっただけってことじゃ~~~ん!!!!!すみませんでした!!!!好きです…ってなっちゃった。いや、女の道は星の道をビリバチにかっこいいエレキ背負って歌った時点でもう完全に好きで抱いてくれ…と思って「お嬢~~~~!!!!」と汚い声で叫んでいたではあるんだけど、フォーリンシーサイドで完墜ちさせてもらったきもちでした。ありがとうございます。イベントたのしみだね!!!
俺たちはアイドルの髪の匂いをなぜか知っている
アイドルたちは実在しないのはどうしようもなく事実で、しかもシンデレラガールズについてはフィクションの世界においてもその存在や性格に明確な正解すらない。
だからあの場に集まった全員が「本当の彼女たち」のことなんてぜったい全然わかっていないんだけど、ほとんど全員がたぶん彼女たちの髪の匂いや、しぐさのくせや、好きそうなもの、どうしようもなく愛しいところを知っている。すごく不思議で面白いことだなと思う。
私が好きな音楽グループに「さよならポニーテール」というグループがいて、今回のライブに向かう飛行機でその「さよポニ」の総合ディレクターが書いた本「奇妙なペンフレンド」を読んでいたんだけど、デレマスとさよならポニーテールは「いないのにいる」をやっているところがすごく似ているんだなと思った。
あと、ちょうどもう一冊持ってきていた本も、同人書籍の「アイドル目撃情報」という本で、その本も「フィクションに出てくるアイドルたちを、日常生活で目撃したテイの話を集めた本」で、そこもすごい親和性!って思った。
オマージュやリスペクト、連想、妄想、思い出とフィクションの混線の先に、いない存在の匂いを見出す行為の気持ちよさは、たぶん祈りとかそういうのに似ていて、私はたぶんそれが好きなんだな……ということに気づけたライブでした。
楽しかったです!