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頭の中のハリガネムシに争いたい
気が散る。
最近めっぽう集中するということができなくなってしまった。
スマホのせいだろう。
没頭できる力は私が獲得した最高のギフトなのに。
勉強し始める、ああこれ調べよう、で、スマホ触ったら一旦SNS見てしばらく自分に関係のないストーリーを咀嚼して、はっ!と気がついた頃にはなにを調べようとしていたのか忘れている。
まるであれだ、ハリガネムシに寄生されているカマキリみたいだ。ついつい水辺におびき寄せられ溺れてしまうカマキリ。
日に何度も、情報の海におびき寄せられる。
カマキリに寄生するハリガネムシの目的は水の中で繁殖することだけれど、私に寄生するインターネットの誘惑は情報に溺れた私をどうしようというのだろう。
なにかにコントロールされたような一連の行動に嫌悪感を抱く。
日々スマホと離れたいな、と思いながら離れられずにいる。金庫に入れて鍵でもかけてやろうか、と思う時すらある。
山に行っている時はよい。
畑を作ったり、火を起こしたり、大抵手がどろんこか煤だらけでスマホ触るどころではない。
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すると視覚だけでない、全ての感覚が繊細に自分の周りの世界を捉えるようになる。
初夏の樹々の葉の擦れる音は乾いた冬場の音とは異なる。鳴いている鳥も季節によって違う。
私が今手に持ってる焚き付けは、湿ってるのか?乾いてんのか?
湿った木を焚き火に焚べてしまったらバチンと跳ねた音がする。においも変わる。
草刈りをしている夫の方からどくだみが香ってきて懐かしい。
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今年よく育ったスナップエンドウ、つるっつるだなぁ。磨いたりしていないのに、勝手に美しいなぁ。
買って食べる時だって十分につるつるだろうに、ついついスルーしてしまっているんだろうな。
おとなの気を散らすスマホはテントの中にしまってあるし、こどもたちの注意を引き続けるのが得意なテレビもない。そんな時はポロリといつも話さないようなことを話してくれる。七輪囲んでマシュマロが焦げないように気をつけながら、ゆっくり話を聞く。
視覚で捉えるばかりの日常からのリハビリ。
それぞれの感覚を呼び起こすことはストレッチに似ている。
いつも使っていない部分を使って帰ってくるのだ、帰宅すると心地よい疲労感を感じられる。
一旦視覚を閉じて、他を開いて。
新しくなった感覚で感じる日常は楽しくて美しい。