なんでOCPなのだろう??
「こどもは作業や子どもの「することdoing」を通して、発達が進み、スキル、課題や活動が習得されるため、作業は発達のるつぼであると考えられる」(OCP p28より)
OCPを学びながら、そもそもなぜ作業中心であることが良いのだろうと考える。
作業療法士の仕事の成果は、人々が日常生活に参加できること(活動の領域や社会参加領域の変化)とWFOT(2012)で定義されている。
2012年以降、この定義は更新されていないようなので、今も作業療法が求められる成果は変わらない
仕事の成果は、誰かに喜んでもらえるから仕事としての価値がある
子どもと作業中心の実践という考え方が出てきた背景としては、病院や療育施設などの通所のアプローチでは満足のいく成果がでなかったからではないだろうか
そういえば、行為機能に対する感覚統合療法の結果、参加領域に変化が出たというような研究はあまり目にしたことがないかもしれない。
(多分、リサーチ不足なので、誰かご存知の方がいたら教えて欲しい)
最近、アプローチとしては、CO-OPのように認知にアプローチする方法や、ABAのように行動にアプローチする方法がエビデンスレベルが高い。
これらは、生活文脈の中での考え方や行動にアプローチをするかつ、マニュアルがあるため、効果が安定しやすく、じかに参加領域に効果が出ることでも有用性は高いと思う。
OCPでもコーチングに関する記述が多くあるが、そもそもとして、参加領域に変化を出すために、直接アプローチをすることが世界のスタンダードになっているのかもしれない。
ICIDHのように能力を底上げして、参加領域まで変化を出すのではなく
直接参加領域へアプローチすることは、短時間で、成果がでやすいように思う。
また、生活の中での願いや課題は、複雑すぎて、文脈から離れた場所では取り扱いきれないという側面もおそらくある
こどもの「することdoing」に着目しているのは、こども自身の発達は文脈の中だからこそ、最大限に起きるからということなのかもしれない