やまおくのOT

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最近の記事

なんでOCPなのだろう??

「こどもは作業や子どもの「することdoing」を通して、発達が進み、スキル、課題や活動が習得されるため、作業は発達のるつぼであると考えられる」(OCP p28より) OCPを学びながら、そもそもなぜ作業中心であることが良いのだろうと考える。 作業療法士の仕事の成果は、人々が日常生活に参加できること(活動の領域や社会参加領域の変化)とWFOT(2012)で定義されている。 2012年以降、この定義は更新されていないようなので、今も作業療法が求められる成果は変わらない 仕

    • 【OCP part3】 つながりについて

      つながりの意味について、改めて大きな発見をした。 以前は教室から飛び出し1人で過ごしていた子が、 気がつけば先生と笑い合いながら授業へ参加している というようなことがある こどもとのつながりを作るためによく使う工夫は CARE(Child-Adult Relationship Enhancement)プログラムだ。 CARE(Child-Adult Relationship Enhancement)はこどもとの信頼関係を築くためのプログラムで、以下の頭文字をとっている。

      • 【OCP part2】目標が達成されたあとはどうなるの・・・? 

        「子どもと作業中心の実践」に、 トップダウンとも、ボトムアップとも異なるアプローチが記載されている。 「Making Connections」アプローチと呼ばれるそれは、 こどもと家族の人生という旅路の中に作業療法があると捉えていて、 作業療法と出会う前から、こどもと家族の旅路は始まっており 作業療法が終わってからも、こどもと家族の旅路は続いていく ただ、作業療法の終了は西洋の「退院」とは異なり 必要な時期と必要でない時期があるだけで、一度ともに歩いた旅路は静かに続い

        • 子どもと作業中心の作業療法 part1

          「OCCUPATION-CENTERD PRACTICE with CHILDREN」という本がある。 子どもと作業中心の実践を解いた翻訳書であり、はるばるオーストラリアからやってきた。 日本国内では目にしたことがない内容が目白押しで、どの章にも心がおどる。 書名に「実践」を掲げている通り、臨床での実践を目的としているわけだが、 重要なことが一つある。 「そもそもオーストラリアで生まれたモデルが、そのまま日本に適応できるのだろうか?」 ここでは、日本とオーストラリアの

          物語と作業療法 part7

          良い時と良くない時の差はいったいなにか? ある本を読んで、ふと気がつく 「足りないのは物語だった」と 科学的に説明すればするほどに個性は薄れ、一般性や普遍性を持った何かになってしまう。 正しいかもしれないが、子ども自身やお母さん・先生からは遠ざかってしまう。 生活者として感じている言葉にならない実感や現実から離れて行ってしまうのだと思う。 物語とは言葉の連なりで、人々が持っている言葉は、同じ言葉でも人によって違う みんなそれぞれ違う物語を生きていて、違う世界を感じてい

          物語と作業療法 part7

          物語と作業療法 part6

          エビデンスに基づいて考えるのは、とても大切なことだ それは根拠があり、確実な効果へと繋げてくれるかもしれない しかし、科学性の限界は個別性には手が届かないことだった。 地域を巡りながら、保護者やの先生と子どもについて話すことがよくある。 上手くいっている時はいい 場が盛り上がり、会話は広がり、子どものことを暖かく話し合えている ただ、良くないと感じる時がある。 正しいことを話しているつもりなのだが、話すほどに空回り お母さんも先生もなんだか浮かない顔をしている。 話し

          物語と作業療法 part6

          物語と作業療法 part4

          私と師匠OTとの違いは 科学的説明か、物語的説明にあったのだと思う。 科学的に説明によって、一般的・普遍的なものは一定の理解は得られるが、それは対象となっている子どもの話とは異なる。「個」の話ではないがゆえに、理解はされるが、物足りなさが残るということである。 では、師匠OTはどのように話しているのか? 物語というのは、「個」に対する話である。 物語は世界であり、世界は言葉で作られ、言葉はその人だけが経験し持ち得ているものである。 つまり、物語を伝える時、一番重要になってく

          物語と作業療法 part4

          物語と作業療法 part3

          では、その物語というのをどう生かしていくのか? 私と師匠OTの差はなんなのかということについて、考察をしていこう。 この本の中に、物語の作用がある。 それは「物語は現実に一つのまとまりを与え、了解可能なものにしてくれる」 ということである。 作業療法の要素として、よく言われるのは サイエンス&アート 量的研究と質的研究の融合である。 物語的説明・解釈の対極として 科学的説明・解釈がある。 科学的説明・解釈とは 「こういう条件のもとでは、こういう結果が生じる」 という

          物語と作業療法 part3

          物語と作業療法 part2

          さて、物語の定義の続きから書いていこう。 この本の中では物語について次のように定義される。 「物語とは語りの連なりであり、語りは言葉の連なりである」 つまり、物語というひとまとまりに対し、 語りは物語の一片であり 言葉は語りを構成するものである。 ということだ。 そして、社会構成主義においては 世界が言葉を作るのではなく、 言葉が先にあり、その言葉が指し示す形で世界が経験されると言うことである。 これは実になるほど!と驚いた。 私たちはあたかも 世界を言葉で表現している

          物語と作業療法 part2

          物語と作業療法 part1

          作業療法の歴史について紐解いていこうと思い本を開いたが、気づけばとなりに置いていた本に読み入ってしまった。 私には新人の頃から尊敬する師匠とも呼べる先輩のOTがいる。 その人が話し始めると、先生も保護者も引き込まれ「たしかに」「本当にそうなんですよ」あるいは「そういうことだったんですね」と納得感と安心感、そして子どもへの愛情が深くなるような雰囲気が生まれる。それからだったら「こうしてみよう」という風に話が広がり、繋がっていく。 対して、私が話してみるとなんだか上手くない。

          物語と作業療法 part1

          作業療法の歴史について

          今日も今日とて、走り切った1日だった。 途絶えずにノートを綴るためにこれから書いていく内容をまとめておこうと思う ひとつは歴史について 作業療法が生まれ、今までにつながる歴史の中で、作業療法の本質が見つけられるかもしれない。 まずは紐解いていこう ひとつは臨床について 理論と実践を繋げるために、生の臨床を紐解いていこうと思う。 臨床では何が起こっているのか? 見えているもの、見えていないものを明らかにしていこうと思う。 簡潔にだが今日はここまで だんだんと本腰を入れて

          作業療法の歴史について

          作業療法って、一体全体何をするのだろうか?

          今年8年目になった作業療法士であり、齢30を今度迎える私は、ある日からわからなくなった。 「作業療法とは一体何をするのだろうか?」 私はいわゆる発達領域に属する作業療法士である。 毎日、いろんな子ども、家族、保育士、先生、時には大人のクライアントにも出会う。 一時は迷いがなかった。 クライアント中心と叫ばれ、クライアントと共に目標を決め、目標の達成に向けて、評価・解釈を組み、プログラムを進めていく。 実にシンプルで、一直線で、わかりやすかった。 病院や事業所の中であればそ

          作業療法って、一体全体何をするのだろうか?