【いそがしいとき日記】その24
日々、「天保十二年のシェイクスピア」の稽古に取り組んでいます。
ダイナミックな場面あり、繊細な瞬間もあり、心臓を握り潰されるような芝居のシーンもありで、とても面白いものが舞台上に立ち上がってきているんじゃないかなと思います。
これまで戯曲自体は何回も上演されていますが、このキャストこのスタッフ、そしてなにより藤田俊太郎さんの演出で上演されるのは今回が初めてなので、初めてなりの乗り越えなければいけない課題はたくさんあります。
でもさー、クリエイションをする上では、その「乗り越えなければいけない課題」を乗り越えていくのが楽しいわけですから、そういう意味では楽しいことだらけの毎日です!疲れるけど!
ありがたいことに、チケットの売れ行きも相当にすごいらしくて、たくさんのお客様に見ていただけるみたいです。本当に嬉しいことです。ぜひぜひご観劇の日を楽しみにしていてください。
けれど反面、開幕のずいぶん前のこのタイミングで、チケットを手に入れるチャンスが公式ではなかなかないわけですから、これには演劇に携わる人間として少しだけ心苦しさも感じます。
幕が開いてからの劇評とか口コミに興味を持ってくださって「観たい!」と思ってくれる人がいるとして。そのときにチケットが手に入らなくて「観られない」というのはすごい機会損失だよなぁ…と思うのです。
といいつつ、僕自身にはそのシステムを変える力はないので、なんともできないのですが・・・。
つまり何を言いたいかというと、
とても面白い作品なので、ひとりでも多くの方に観ていただきたい!!
ということです!笑
もちろん、1回のみならず、何度も劇場に足を運んでくださる方がいることもめちゃめちゃ嬉しいですー!
四季さん以外でも、日本でロングランシステムが実現したらいいのになぁ・・・。
でも、そうすると、「出てる俳優で芝居を観る」っていうことができなくなるかぁ・・・。
なーんてことを、今回も考えています。
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連日頭と身体をたーくさん使っているので、さいきんはずいぶんと早寝の生活をしています。稽古後も(僕には珍しく)真っ直ぐ家に帰って、体調を整えることを主軸にした料理を作っています。
稽古の時間帯に落ち着いて食事を摂ることが難しいため、夜に食生活のバランスを整えるみたいな意識です。
旬の野菜を中心に、身体を冷やさず、胃の負担にならず、味もさっぱりとしたものを食べています。
元々そういう料理が好きだから、作ってても食べてても楽しくって、それもひとつのリフレッシュになっています。稽古の時間に緊張し切っている心や身体をリラックスさせるための。
画一化されたスーパーだと個人的にはちょっと物足りないなと思うのですが、ざっくばらんな、「農家からそのまま来たぞ!」みたいな野菜を扱ってくれてる八百屋で買い物をすると、季節の移り変わりがそれこそ手に取るようにわかります。
ついさいきんまでは芋や人参大根、白菜なんかがとっても新鮮で美味しそうな顔をしていたのですが、数日前にはかき菜なんかの菜花が出てきました。春の気配がします。
忙しい日々のなかで目の前のことだけに没頭していると、いつの間にか季節を通り過ぎてしまうのだけれど、僕としてはやっぱりそれは悲しくて。
どれだけ余裕がなくとも、冬の寒さの緩みや春の訪れを、日々の食事の中でほんのりとでもキャッチしていたいものだなあと思います。
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こんなツイートをしたのですが。
やっぱり、ある分野に没頭して、その道を先に進み続けようとしていると、どうにもこうにもあるタイミングで「できないこと」にどんどん出会うわけです。
いまの僕が抱えている「できないこと」の数は、なかなかすごいものがあります。
しかし冷静に自分の身の回りを見渡してみれば、「できること」の数もそこそこ増えてきているのです。1年前の自分より、半年前の自分より、いまの自分の方が確実に、「できること」が増えています。
「できないこと」に注目すると、自分がどうにも無力なような気がしてずいぶん落ち込むわけですが、それでもその「できなさ」から逃げず、同時に「できること」もあると認めてあげて、その上で自分の心に問いかける。
できないことが多すぎて絶望する気持ちもわかるが、果たしてあなたはその絶望に埋もれて、前に進むことをやめますか?
と。
僕はこれまでたくさんのことから逃げてきた人生を送ってきましたが、何故かお芝居のことだと、「逃げたくねぇなあ」ってなるわけで。
だから、「できないこと」を「できる」に近づけて、「できる」ことにはさらなる磨きをかけて、少しずつでもどんどんと、いい表現者になっていきたいなあと思うわけです。
その日を振り返るときにも、言葉にちょっと前向きな香りを漂わせて、そうやって自分を鼓舞しながら頑張るのです!
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そう思うと、言葉というのは本当に不思議で。
つまり、「言葉」などという実体のないもので、自分の性根を支えることができるわけです。
社会には、その場面、その瞬間にふさわしい言葉というのがあって、たとえば極端な例でいえば、法律に則って争う場では、法律の言葉を使う必要がある。そういう場で、普段使いの言葉を使っても、うまくいくことは少ないのです。
それと同じように、大きなカンパニーで演劇を作るときには、その場にふさわしい言葉の使い方があるなあと思います。
僕自身、自主企画での演劇上演もするし、東京以外の場所での市民ミュージカルに携わったりもするわけですが、やっぱりどの現場を振り返ってみても、その場その場で自分の使う言葉というのは微妙にそのかたちを変えていることに気付きます。
しかし同時に、僕自身は僕自身としての、大切にしている言葉の使い方があります。
それはこういうものである、といま一言で的確に言い表すのが難しいわけですが、言うなれば、「嘘をつかない」「不誠実な言葉を使わない」ということで。
いまも、そういうことを大切にしながら過ごすようにしています。
そういう積み重ねが、自分という存在の根幹を、静かに支えてくれるような気がするからです。
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明日もなかなか早起きです!
がんばりまーす!!!
三連休、お仕事だった皆さんはお疲れ様。
明日からまたお仕事の方、一緒に頑張りましょうねー!
あ、そして、新成人のみなさま。
僕自身30歳になりましたが、「大人になる」というのはどういうことか、一向にわかりません。
けれど、社会のことを勉強し、文化や芸術やさまざまな学問に親しみ、学び続け、「どんな世界に生きたいか。どんな自分で在りたいか。」を考えつづけることこそ、大人になることの一歩なんだろうなあとうっすら思っています。
どうやら、20歳になったからって、自動的に大人にはなれないようです。
ようこそ、「大人」に向けて歩む道のりへ。
誠実に、慎重に考え、ときに大胆に行動し、自分や人を愛する日々は、なかなか楽しいものですよ。たぶん。