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「何もしない」をする


現代社会は進むスピードがはやくて、それに乗り遅れまいという気持ちから、さまざまな自己啓発やハウツーの情報が流通し、消費されています。

みんなそれぞれに、「より良くなりたい」「より良くしたい」っていう発想から、いろんなことを考えて、選択し、行動をしているんだと思います。

少なくとも、僕の周りには一所懸命に生きている人が集まっていて、それぞれがそれぞれに、必死になって歌ったり、芝居したり、悩んだり、絶望したり、挑戦したりしています。

彼らの行動や、そこからにじみ出る思いをしっかり見ると、やっぱりそこには、「少しでも良くなりたい」「昨日よりも良く変化していたい」という意欲みたいなものがありありと感じられます。


僕もそう思って毎日を過ごしているからわかるんだけど、そういう「少しでも良く」のマインドでいると、「常に何かをし続けること」を選択することが当たり前になっていきます。

でも、ときどき思うのです。

「何かをすること/し続けること」という行動の選択が、常に最良なわけではないよな、と。

ときには、「何もしない」という行動をチョイスすることもベストな瞬間もあるよな、と。

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特に、人と関わる場面では「何もしない」ことがポジティブに働くことが多いです。

人の生きるペースや、さまざまなことに対する経験の蓄積度、そもそもの考え方の傾向の違いや、得意・不得意。そういった違いを、僕たちは一様に持っているものです。

そういう違いを持っている「他人」と何かをするときには、自分のペースだけを考えていたら、物事はうまく進まない。

相手のペースや、「その物事自体がどう進むことがベストなのか」を考えに入れておかないといけないのです。

そんな場面で、「自分がより良くなりたいから」を優先し、「自分で行動すること」を選び続けていると、時折、その選択が意図せずに、相手の存在をないがしろにすることにつながっちゃったりします。

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それ以外の場面でも「何もしないこと」という行動を選択することで、物事が好転していくっていう事例はたくさんあると思うの。

たとえば、やることがいっぱいで、仕事が詰まっているとき。何か行動しなきゃっていう思いに駆られるかもしれないけれど、あえて「何もしない」を選択して、身体と脳みそを休めることがその瞬間のベストになり得ることもある。


「何もしないこと」よりも「何かしていること」の方が優れているっていう価値観は、この際すっきり捨てましょう。

「何もしない」ことだって、立派な行動なんだって、フェアな視点からあらためて受け入れてあげましょう。


「何もしない」を選択することで開ける道もある、って場面。けっこう日常に転がってると思うんだよな。






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