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フォークソングってなんだよ。どういうわけだか、私の根っこの一つだよ。
4月9日って、「フォークソングの日」なんですって。
由来は、語呂合わせ。
今年21歳で、邦ロックとEDMをこよなく愛する私は、正直に言うと、フォークソングを聴くことはめったにありません。
それでも、年齢の割には詳しい方だと思います。
というのも、父がフォークソングを好んでよく聴いていたのです。
父が運転する車の中、休日にテレビで再生されていた音楽番組、父が好き勝手に弾き語るピアノの音。
父の周りには、フォークソングがいつも流れていて、私はその中で育ちました。
音楽というのは、音というのは、いつの間にか自分に染み付いていて、気を抜くと自分の一部になってしまうものです。
実家に思いをはせる時、私はフォークソングを思い出します。
正確に言うと、曲は全く思い出せないけれど、「フォークソング」があったことを思い出します。
その程度の感覚ですが、それだって私の一部です。
もしかしたら、いつの間にか消えてしまうくらいには、ぼんやりとした思い入れかもしれないけれど、お父さん、私は確かにお父さんに育てられたよ。
自分の中に、こうしてなんとなくでも大切なことが増えていくのは、少し怖いことです。
いつかなくなるかもしれないことだから。なくなったら、私はその喪失感を抱いていかなければならないから。悲しみを感じることになるから。
でも、やっぱり、それは誰かと生きた証なのです。
たかが日付程度で、父と過ごした時間が急に心にあふれ出してくることが、私は嬉しいのです。
本当に父は私といたんだ、と。
父と過ごす時間は、たとえどれだけ父がこれから長生きしようとも、間違いなく、一分一秒と短くなっているんだと思うと。気付けると。
今のうちに伝えたいことを伝えなきゃって体が動きます。
今月末、GW。
フォークソング、かなり下手くそだけど、ずっと元気に歌い続けててよ。
その言葉を言うために、私は実家に帰ります。