なぜ山が恋しいのか
#みんなでつくる秋アルバム
山に行きたい
山に入りたい
山に抱かれたい
普段街中にいると、狂ったように山に行きたくてしょうがなくなる。
隙あらば、山に行こうと車の中にはスパイク長靴、ヤッケ、ナタ、グローブ始め、山に必要な物を常に常備してある。
週末は常に山。
9歳の息子には、「またやまー?(*_*)」とうんざりされる。
でも山に行く。
どうしてこんなにも入りたくなるのだろう。
わたしが言う”山に入る”とは、登山ではない。
林道とか旧道とか、そこに車を停め、さらに道なき道を歩く。
一歩入ると、そこはもうすでに人間の領域ではない。
全く別世界だ。
木の葉を揺らす風の音
大地から溢れる土の香り
どこからともなく聞こえてくる、鳥が木を突く音
沢を流れる水の音
挙げ出すとキリがない情報量。
でもこれは脳で処理しなければならない情報とは違い、皮膚の表面、毛一本一本、毛穴一つ一つで無限に吸収できる宇宙の情報。
そんな気がする。
そんな山の中にいると、もちろんたくさんの命を目の当たりにする。
虫や動植物はもちろん、キノコや粘菌類、菌糸体などマイクロな世界。
それがわたしの好奇心を無限に掻き立てる。
菌類は本当に不思議な存在。
土に菌糸が張り巡らされ、条件が合えば突如、子実体であるキノコが現れる。
木の葉からキノコが現れる!!
もうそれだけで気持ちが沸き立ってしまう。
条件、状態、環境。
たくさんのいろんな要素が噛み合わさって目の前に現れる命。
一歩山に足を踏み入れると、意図や目的を超えた命の流れを感じることができる。
そこに身を置くと、日常の喧騒から解き放たれ、自分もちっぽけな命の一つでしかないんだと思わされる。でもそれが心地良い。
ちっぽけな命なんだから、もっと気楽に命を全うしても良いんじゃないか。
と、毎回自分に問いかけ、勝手に、「そーだよー それでいいんだよー」と山の全ての命に同意を得た気になってまた人間界に戻る。
それが、わたしの山に入りたくてしょうがない理由なんではないかと思う。