トポフィリアの胎動と5G・6G

<トポフィリアの胎動と5G・6G>

トポフィリアという言葉があります。ギリシア語のトポス (場所) とフィリア (愛情)との合成語であって、「場所愛」と訳すのが一般的だそうです。

その「場所愛」とは何を指しているのでしょうか。

人間にはそれぞれ自分の生れ育った土地があります。そして人間はその生まれ育った土地に対してある愛着を持つものである、と想定されます。その土地に対して愛着を持っているというのは、次のようなものを考えると考えやすいでしょう。

いわゆる「盆」や「正月」をお考え下さい。それら盆や正月など特別の期間になると、その特別な期間は自分の故郷で過ごしたいと願ったりしませんか。あるいは年齢を重ねてそれ相応の年代になりますと、死ぬべき土地に生れ故郷を選んだりしませんか。

そんな自分の生まれ育った土地に対する愛情 「場所愛」が、皆さんの中にもあるのではないでしょうか。

さて、昨今よく取り上げられている、遠隔診療の話題があります。中山間地や辺境の島々、そんなところにも高度な医療を届けたい。高速・大容量・低遅延な通信回線を使って、いままでは都会に依拠していた高度な医療を遠隔の果てにも届けたい。そんな話題が昨今マスコミなどを通してよく聞くようになりました。5Gのキラーコンテンツなどとも呼ばれています。

そんな遠隔医療を受けるのは、主に中山間地や辺境の島々に住む高齢者です。そんな高齢者の享受する遠隔医療を血の通ったものにするにはどうしたらよいでしょうか。

そこで前述したトポフィリア、すなわち場所愛というものに再びクローズアップしていきます。場所愛を考慮する、すなわちトポフィリアを考慮するということにフォーカスしていきます。

中山間地や辺境の島々に住まう高齢者のトポフィリア、場所愛には大変深いものがあります。自分の生まれ育った土地に対する愛情です。その土地の若者でさえトポフィリアは深いでしょうから、高齢者であればなおさらだと思います。

今までその高齢者は地元で生きてきました。地元の医療機関に身を寄せて、頼って、信頼関係を築いて生きてきました。何故突然現れた見ず知らずの遠隔の地の医療を、通信回線などを通して受けなければならないのでしょう。戸惑いは隠せないでしょう。どうしてこんな形で医療を受けなければならないのかと、特に最初は疑問に思うのは無理からぬことだと思います。

そんな違和感を解決するのが中山間地や辺境の島々に住まう人々のその土地に対するトポフィリアへの理解だと思われます。中山間地や辺境の島々に対する通信回線を通した遠隔医療が根付くかどうかは、中山間地や辺境の島々に住まう人々、特に高齢者が持っているその土地に対する深いトポフィリアを理解することが重要だと思われます。

そのためには、その土地の医療従事者や医療体制と都市部の医療従事者と医療体制とのコンビネーションや地元の医療享受者とのトポフィリアを織り交ぜたコミュニケーションが重要視されてくると思います。単純な5Gという通信回線とその機能ばかりに目が行っては元も子もないでしょう。地元や都市との間の医療体制のコンビネーションや地元の医療享受者とのトポフィリアを織り交ぜたコミュニケーションを築き上げていくこと、そのために5G・6Gのような次世代の回線を利用するのです。

遠隔医療は単なる通信回線を通した医療の提供にすぎません。そこにトポフィリアを織り交ぜてこそ血の通った医療になるというものでしょう。トポフィリアを無視せず、逆にトポフィリアと深く結びついていって欲しいのです。ただ単に都市の高機能な医療従事者や医療機器を通信回線経由で持ち込むのではないのです。その土地に存在するトポフィリアを甘味したうえで遠隔医療は進められるべきであるのです。

場所愛を考慮する、すなわちトポフィリアを考慮するということは、遠隔医療というサービスの享受者とそのサービスの提供者との間に、心情的な信頼関係を構築することに資することになります。その土地に対する深いトポフィリアを理解してこそ、その土地に住んでいる高齢者との信頼関係が築けるというものです。その土地に対する表面的な知識ではない、深い愛着を持ってこそ、その土地の高齢者を理解する第一歩だと思われ、それを礎にして通信回線を通した遠隔医療が血の通った医療として通ずることができるというものです。

さて、話の矛先を少し変えてみましょうか。

現在コロナ禍であり、先の見えない世の中の景色が続いています。コロナ以前は、都市の近代化と銘打って都市への一極集中が招かれてばかりいました。中山間地や辺境の島々から人と文化を吸収してばかりいたのは言うも容易い事実でしょう。

しかし、コロナ禍はそれを変えてしまいました。コロナ禍で近代化された都市が閉鎖され移動に制約がもたらされたのです。都市が閉じられたのです。この一年で何が起こったでしょうか。都心の人口が減り始めました。都市部のオフィスの売却や縮小が相次ぎました。都市部の飲食店が苦境に立たされました。都市が機能を止めてしまったのです。

そしてテレワークというゲームチェンジャーが現れました。仕事がテレワーク化を開始してしまったのです。そのテレワークによって都心一極集中から近隣の都市へ人々が離脱を促されている現状があります。地方への移住者の増大傾向が明らかに表出化している現状があります。都心ではなく、その近隣の都市で人々が蠢き始めているのです。

集積し始めた近隣都市の人々の間では、近隣または近所の再発見によって、活発な交流が生まれ始めています。その交流がいつしかその土地における経済活動を活発化させることになっています。近隣都市における経済活動の活発化はその土地に住む人々をますます増大させていきます。そして文化が盛んになってきます。そんな動きが日本各地に勃興していくことになります。

そしてそれらが折り重なっていくと、トポフィリアが都心部の近隣都市各地に生まれるようになってきます。近隣都市の土地に対する愛着です。都心部の近隣の都市の中にトポフィリアの感覚が胎動するようになるのです。今は未だ小さなものかもしれません。でもそのうちに大きくなってきます。そう、胎動するようになるのです。近隣都市各地にトポフィリアが芽生えた都市がたくさん出てくることになります。トポフィリアが芽生えた近隣都市では経済活動が再活性化しています。

医療はどうなるのでしょうか。近隣都市各地では、経済や文化の再活性化によって、医療も勃興することになってきます。医療が提供されて受け継がれるようになっていきます。人々の生活が医療を必要としているから当然と言えば当然の結果とも言えます。

そんな都市間では人々の移動が行われないまま、各地の医療を他の地域に提供するニーズも芽生えてきます。遠隔医療のニーズです。

その時考慮すべきは、やはりその土地のトポフィリアです。土地に対する場所愛です。そのトポフィリアの感覚を伝えるのが大切です。場所愛を考慮する、すなわちトポフィリアを考慮するということは、遠隔医療というサービスの享受者とそのサービスの提供者との間に、心情的な信頼関係を構築することに資することになります。

その一役を担うのが5G・6Gなどの最先端の通信回線であって欲しいです。単なる遠隔医療のみを伝えるのではなく、トポフィリア、場所愛を互いに理解し合うという意味での伝達を行って欲しい限りです。

このようにトポフィリアを考慮するということは、こと遠隔医療の普及のためには重要なことだと思われます。近隣都市間のみの話ではありません。中山間地や辺境の島々との間にも通じる事項であることは今まで説明してきたとおりです。

トポフィリアを考慮することによって、遠隔医療が「全人的・具体的」サービスへと再構築されて、全国へと波及していくのではないでしょうか。トポフィリアがそのような遠隔医療の発展の端緒となり得ることに繋がってくることに期待しつつ、5G・6Gもそれに役立つことを期待しつつ、一旦ここで筆をおきます。

以上


おちゃ11