じっかんを持って生きる
実感を持つことの大切さ
nosさいころじー なる活動を一人で行っております。
noosologyを基とした上で、心理学的領域に活かしてみようという試み。
難しい理論を難解だ・・・で終わらせず、もっと実感を持って肌に触れるほど近く感じられるように、比喩を持ち出してそれっぽい例を出すこと。
アリストテレスの三段論法のなんちゃってです。
アリスの三段は完全な論ではないですが、考え方としては非常に便利。
ということで、テレスの四段……ではなくてですね。
ノウス&ノスによる、ほんわかだじゃれ論となります。
それで、なんとなく大体が分かるように宇宙は出来ています。
私はここ数日、体調不良で気が抜けた状態です。
文章を書いていて、途中で記憶が脱落します。
理路整然と説明が出来ない。
微妙に独りよがりな表現になってしまう。
昨夜も、急に静かになったと思ったら仮死状態になっていました。
数年ぶりに霊媒しっぱなしの状態が解けて、「あれ、世界はなんて静かなんだろう」と思いました。
霊媒中は、常に頭の中が煩いです。
たまにいますね、そういう人。
コンサータで集中力を上げると脳内が静かになりますが、いつか耐性がついてまた煩さが止まらなくなる。
脳機能の異常もそうですが、霊媒体質の証拠です。
薬なしではまともに生活を送れません。
稀に、狂う人が出てきます。
私は現在、寝たり起きたりの緩やかな生活を送っているので、霊媒を振り払ってなんとか薬に頼らずにいますが、学生など若い人はとてもではありませんがまともに生活が出来ないと思います。
これは治らないです。
死ぬまで付き合っていくしかない。
霊媒なんて出来ても一つも良いことはない、と思ってしまいます。
兎に角、ちょっと分かりにくい文章になってしまうこともあると思いますが、お付き合いの程よろしくお願い申し上げます。
六十干支について
実感を持つための心の原動力。
そのために必要なのは、十干(じっかん)でした。
また駄洒落!?
nosさいころじー は基本的に呑気です。
ゆる〜く、お付き合い頂ければ幸いにございます。
私は十二支が好きでした。
子どもの頃から家族間で十二支の話題が身近でしたし、大人になってからは誰かの年齢を覚えるのに便利なので、頭の中には常に十二支がありました。
年齢を教えて貰っても、すぐに忘れてしまう。
そこで、年を教えて貰ったらすぐに計算して干支を割り出すのです。
そうして名前と干支をセットにして記憶しておけば、何年かして実年齢を忘れても計算すればすぐに分かる、という。
人間の体感時間は、19を折り返し地点として変化するらしいですね。
子どもの頃は時間の経過が途方もなくゆっくり感じたのに、大人になるとどんどん短くなっていく、という。
相対性理論の内の何かだろうと思われますが、例に漏れず自分も20歳を過ぎた辺りから時間の経過が早くなった気がしました。
一年なんてあっという間。
その内、自分の年齢さえも忘れてしまうでしょう。
故に、干支を記憶することは欠かせないのです。
これすら忘れたら、自分の中の何かが終わる気がします。
未だ忘れていないです。
息子は申年で、娘は子年。
自分と夫は内緒です。
贈り物をする時などに、意外と助けられました。
干支についての自論は程々にして、話を進めましょう。
干支を覚えるのは好きで、本などで詳細を調べることもありましたが十干までは覚えきれませんでした。
九星と絡めて考えるのも少し苦手。
今年は、三碧の辰ですが、十干までは…はて?
甲辰でした。
きのえたつです。
九星気学。
干支と十干を組み合わせた六十干支の内、9の星の巡りです。
一白水星
二黒土星
三碧木星
四緑木星
五黄土星
六白金星
七赤金星
八白土星
九紫火星
逆さに、九紫、八白、七赤、六白…と年替わりで数え、一白の後は再び九紫に戻ります。
吉方などを占うのに使われるようですが、私は方角の占いを信じていません。
とは言え、引っ越しの際などは方位に気を付けないと大変なことになる、という実体験から微妙に意識はしています。
鬼門は避けた方が良いのは本当でした。
この辺りは調べだすときりがないので、程々にしておきましょう。
また、旅行の方位などもあまり気にしない方がいいです。
行きたい場所に行く、でOK。
どうしても不安な人は細かく調べたりするようですが、あまりに意識しすぎると今度は何のために旅行に行くの?ということになり、卦に振り回されて逆に凶を呼ぶことになります。
そも、土地というのは吉凶関係なく「呼んでくる」ものです。
その地に赴くことが重要で、イベントなどの発生は無きに等しい。
何も起きないのが普通。
というか、トラブルなく過ごせれば吉です。
土着の神という視点から見ると、その時に根付く風土菌を体内に入れることが重要。
つまり、赴いた地で美味しいものを食べたり水を飲んだりすれば、それで目的は果たせたも同然。
パワースポットのパワーとはそういうものです。
はめを外さない程度に楽しみましょう。
それが、産土神の望みです。
九星は生まれた年が重要で、それにより相性が決まると言われています。
何処にでも売ってますよね。
九星気学の本。
自分の九星の本を購入し、参考程度に読むのが良いかと。
九星の相性は、実はかなり重要でしたけどね。
一白同士は仲が良いとか、九紫は誰とでも仲良くなれるとか、五黄は孤立するとかです。
他はそんなにでもないんですが、上記の星3つは意外と当たります。
十干に話を戻します。
十干とは、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の順に10日で一纏めとする考え方でした。
10日を一旬と呼び、三回巡ると大体一ヶ月が終わる、という。
上旬、中旬、下旬、の考え方ですね。
結構、大雑把ですね。
それが陰陽五行、十二支の巡りと組み合わせられて六十干支となったようです。
干支(えと)は、兄弟(えと)の関係性に見立てて考えるようですね。
兄が陽、弟は陰。
ここに五行の要素が組み合わせられる模様。
木 火 土 水 金
ここまで来ると、雁字搦めになってしまうので私は好かないです。
また、兄弟で陰陽とする考えも賛同しきれません。
全ての兄弟姉妹が陰陽で分けられる訳ではないので。
甲 きのえ
乙 きのと
丙 ひのえ
丁 ひのと
戊 つちのえ
己 つちのと
庚 かのえ
辛 かのと
壬 みずのえ
癸 みずのと
覚えられますか?
私は無理です。
五行の要素が入った途端、急に脱力します。
鬼滅の刃にも鬼殺隊の階級として十干が出てきたようですが、何がなんだか分からずボーッと見ていました。
癸から始まります、と言われても
「へえ?たまちゃん?」
と、それだけでした。
今まで全く覚える気がなかったのですが、書き出してみると案外単純ですね。
これが当たるとは思えない。
西洋占星術と同じく、何もかもがカッチリと決められているのですね。
丸暗記さえ出来れば、誰でも占えるでしょう。
さて、この十干は一体何のご利益があるのか?
と思われますよね。
細かいことを追っていけば、もっといろいろ有ります。
しかし、今記事ではそれらの詳細は遠慮させて頂きますね。
これ以上の知識を商売道具にしている方もいらっしゃいます。
十干の知識はネットで調べれば簡単に出てきますし、カレンダーにも書いてある。
無料情報の領域はここまで、という。
テンソルの領域
さて、ここから nosさいころじー による分析に入ります。
ここに、八卦を持ってきます。
十干は、天干(てんかん)とも呼ばれています。
そして、八卦の天は、乾 ☰ 。
十二支の最後のトリの残り2つですね。
何故、最後のトリ、という言葉があるのか。
「トリ」は興行の一番最後に出る芸人のことで、主任ともいわれます。
一日の興行収入から寄席側の取り分を除いた残りを興行の最後に出る芸人が総取りし、各出演者の格に従って分配するという風習によります。
紅白などでは、最後の大トリ、などの言葉が使われております。
現代はそのような意味で解釈されていますが、実の由来は十二支からです。
日本では元々、数を勘定するのに甲乙丙丁戊己庚辛壬癸が使われていたのです。
これは恐らく、中国から伝わったもの。
一二三四五六七八九十です。単純にね。
十一以降は無く、一旬、二旬、と数を勘定していたのだと思われます。
それから百年単位の時を経て、今度は十二支の考え方が伝わりました。
そうして、当てはめた結果。
最後のトリという言葉が生まれました。
十二支の10番目、酉年と掛けているのですね。
そこから、読み方を変えて。
甲子 こうし
乙丑 おつちゅう
丙寅 へいいん
丁卯 ていぼう
戊辰 ぼしん
己巳 きし
庚午 こうご
辛未 しんみ
壬申 じんしん
癸酉 きゆう
となり
戌 じゅつ
亥 がい
が余ります。
この2つを乾 天 と見ます。
☰ 乾
これは、全ての充足、全てが揃った状態を現す。
そして乾を下地として、今度は十干を回転させる。
そうすることで、さらなる次元の先、霊界の奥地へと進むことが出来ます。
これは、テンソルの考え方になります。
従来の六十干支は、ベクトル。つまり平面の考え方。
テンソルは立体です。
六十干支を土台として、更に次元を上げて単位を積み上げていく、という。
次元というのは単純な高さ・標高の違いですので、甲乙付け難いなどという言葉みたく優劣はありません。
そもそも、甲乙とは1と2、どっちがいいかな?
という意味で、元々優劣は存在しませんが。
成績表に甲乙丙丁が使われたことで、甲の方が上であると誤解が広まったのでしょう。
さて、この乾を下地として考える天干ですが、一体何を割り出せるでしょう?
答えは、守護霊でした☆
守護霊なんていねーーーーーよ!!
と散々啖呵切ってきましたが、霊界側の準備が整っていなかっただけのようです。
これは予言だったのですね。
現在、守護霊の仕事をしているのは豊受大神だけです。
小さな加護を、人知れずこっそりと落とし続けていました。
カルナレイキの大光明。
レイキは、加護・ヒーリング全般を言うのですね。
「早く言ってよ」
「だって、知らなかったんだもん!」
等と、少しだけ揉めました。
無意識から、あらゆる事象がスタートするようです。
幽界・霊界の魂はみんな呑気なので、自分のしていることがどういうことなのか、あまり分からないらしいです。
「何してんですか!」
「現世で戦争を起こしちゃった!」
なんてフザケたことも余裕であるらしいです。
おーーい!!(# ゚Д゚)
このような無法地帯をなんとかするために、艮の大建直しが行われたようです。
当然ですよね。
大改革でしたね。
そのためには、現界プレアデスの回転がどうしても必要だったと。
はあ…。
現世の生活、辛いですよね。
霊界側がしっかりしていなかったばかりに霊界おろしが碌でもないことになって、現界に苦が大量発生したのです。
神々と呼ばれた存在は、肩書を剥奪されて当然でしょう。
十干を以て生きる
さて、テンソル天干ですが、どのように扱うのかな?
まだカタチが出来ていないらしいです。
ただ、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸にはそれぞれ意識の方向性が定められており、全ての人間は10の力をそれぞれ発揮出来るらしい…とのこと。
甲
光の戦士。
意志力が強い。
乙
音の使者。
頭が回る。
丙
改革者。
レボリューションを起こす。
丁
一刀両断。
空間を斬る。
戊
ヒーラー。
癒し系。
己
進化の力。
エボリューションを起こす。
庚
光の魔術師。
デコレーションをする。
辛
影の功労者。
守護を呼ぶ。
壬
中心の力。
魅力が高い。
癸
愛の翼。
慈悲の心。
なんか厨二臭い気がしますが、こういった方向性の推進力になるようです。
自分は何番目なんだろう?
という占いは、その人の真魂を鑑定しないと分からないです。
ここで必要になるのが、コールド・リーディング(Cold reading)
「事前の準備なし=コールド」「相手の心を読む=リーディング」という意味で、雑談をし、様子を伺いながらその方の為人(ひととなり)を判断する鑑定法。
私はコールドリーディングしか出来ません。
肩書とか、性別、年齢から判断するのは、あまりあてにならない。
つまり、鑑定とは話を伺う方の心の核のカタチを読み取ることを言うのですが、一切の先入観や偏見などを取り除くという絶対的な前提が必要となる。
そうすると、「えっち!」などと言う人が出てきますので、私はあまり本腰を入れて占い業を行えないのです。
やっぱり失礼ですので。
そも、コールドリーディングは詐欺師が多用するため、あまり良い印象はありません。
霊視など、確かに過去生などを見せて貰うことは可能ですけど、基本的に依頼者の魂から教えて貰うのです。
当然ながら、心を開いてくれた方しか教えてくれません。
ムリヤリ暴くような真似は祟られます。
嫌でしょ?
個人情報ですものね。
アカシックレコードに行って、これまで食べたパンの枚数の記録を確認し、それを伝えることも可能。
ちな、私はこれまでの人生で3876個のパンを食べたそうです。(2024.3.21現在)
でも、こんなの仲の良い人しか教えてくれないでしょ?
関係性が壊れますよね。
「いやらしい」と。
だから、無理なんですよ。
霊視鑑定は。
わりと仲良くなった人の情報は、なんとなく視えることもあります。
しかし、それを言い触れて回ったりしません。
勝手に個人情報を漏らすようなことは、人道から外れているため。
其の為、全ての霊視の結果は何度も何度も訊ねて許可を頂いてから書くようにしています。
全てが全てですよ。
ここで言えることは、
何らかの10の方向性の力を持っている筈だから、人生頑張ろう!
だけです。
なかなかそれを実感するに至れません。
十干のちから。
それは、己の行動から現れます。
行動は読めません。
先読み出来ちゃう☆なんて言っている人は、思い込みが激しいだけです。
大抵、間違っていますよね。
結構数、他者の行動を読みたがっている人はおりますけれど。
コールド・リーディングを行うには、人間観察を続けてパターンを覚えるしかないです。
そして、煽ったり、からかったり、あてっ子ゲームで一喜一憂するような子供っぽい感情を完全に捨て去る必要がある。
性にも動じず、全てを超越し、冷静な判断をくだす落ち着きも必要。
更にはnosさいころじー の考え方を完全に網羅し、肩慣らしに小アルカナねこの漫画の核質を見抜けるくらい洞察力がないと不可能。
殆どの人間は、完全なコールドリーディングを行うことは出来ない、と判断するのが自然な流れかと。
少しでも心理学の概要や理論に実感を持てるようになれば、自分の中の十干の力を実感出来るようになるでしょう。
ほんわかだじゃれ論、大好きです。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。