イージーリスニングはお好きですか?
イージーリスニング音楽というのは、最近あまりメジャーではない。
かつては、音楽シーンのど真ん中にいた時期もあったのに「今は昔」的な扱いになって久しい。
でも、これって、「ナゼ?」
一つの理由は、イージーリスニングということばの定義が曖昧だということ。
でも、それよりも何よりも音楽シーンそのものがこの数十年で大きく様変わりしてしまったことの方が大きいのかもしれない。
「人はなぜ歌を歌うのか?」
これは、人類にとって大きな命題の一つだが、人間にとって音楽というのは、一体どういう存在でどんな役割を果たしてきたのかが、きっとこのイージーリスニングということばの意味と本質に関係しているような気がしてならない。
映画音楽、タンゴ、シャンソン、ロシア民謡、ポップス、歌謡曲など、今はそれほど省みられない音楽の種類をほとんど取り込んできたのがイージーリスニング音楽。
でも、そんな曖昧な音楽って「音楽ジャンル」とは言えないんじゃないの?
音楽が言語の代替品だった時代、人は「音」そのものによって何かを伝えようとした。
で、その「音」が何かを伝えることに成功すると(ことばの誕生とどっちが先なんだろう?)、今度は、その「音」に別の意味を付与しようとした(のかもしれない)。
それが、ドラッグとしての音楽、戦意高揚のための音楽(これはけっこう重要だ=ここから吹奏楽が生まれたのだから)、そして、悲しみを癒すための音楽(お葬式に音楽は絶対に必要~お経だって音楽だ)、神との対話(ありとあらゆる宗教に音楽が不可欠なのを見てもこれは十分理解できる)そして、最後に出てきたのが、単なる「娯楽」としての音楽、つまり、エンタテインメントとしての音楽だ。
17世紀以降、音楽の流れは、ここを中心に動いている。
そして、現在、上記のような様々な(音楽の)目的がすべてゴッチャになって私たちの目の前に存在している
とはいえ(ここが一番重要なポイント)、人類は、(現在)直面するさまざまな不幸、戦争や飢餓、そして病気などから逃れるために、音楽を利用しようとしているような気もしないでもない。
つまり、人間って、根本的に「幸福になりたい動物」なんだろうと思う(きっと、人間以外の動物にはこの感覚はないだろう)。
で、その人を幸福にしてくれる要素として最も大きいものが、(「キャピタリズム」誕生以降)完全に「お金」になってしまったのだけれども、一方で、人間は、「自分を幸せにしてくれるのはお金だけじゃないよ」ということにも気がついている。
というか、そんなこと、古代の人たちだってとっくに気がついていたのだろう。
人類は、その長い歴史の間に数多くの「アート」を作り出し、そこに(人としての)「安らぎ」を求めてきたのかもしれない。
私は、今、新しい形の「イージーリスニングオーケストラ」を復活させようとしている。
これって、(大袈裟に言えば)そんな人類の願望の一つなのでは?とも思っている。
だって、こうしたイージーリスニング音楽を専門に演奏するアンサンブル(この場合、バンド楽器も含むフルオーケストラなのだけれども)を期待する声は決して少なくないからだ。
これまでいろんなところでマーケティングをしてきた。
その結果、(イージーリスニング音楽に対する)ニーズはある、ということはほぼはっきりしている。
イージーリスニングとは、けっしてインストによる「ナツメロ」ではない。
もっと、根源的な、人類の「幸福を願う願望」を満たすものであって欲しいなとも思っている。
まあ、ここには私の個人的願望も多少含まれているんだけど、ね。
#イージーリスニング音楽
#人はなぜ歌を歌のか ?
#人は幸福になりたい
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#人はアートに安らぎを求める