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やまねの塒日誌|vol.31|空き家で市をひらく意味
今回の "やまねの塒の時の市vol.2" をきっかけに
古民家・旧原田邸には、いろいろな意味で風が通ったと思う。
旧原田邸は空き家といっても、
秋まで人が暮らしていて、普段も管理者が手入れをしている、半空き家だ。
だからとても良い状態でつないでおられると思う。
そんなふうに眠っている半空き家は、町内にもかなりある。
多くは、元家主のお子さんが定期的に県内外から帰ってこられて、管理されている。
簡単に聴こえるけれど、ご自身の生活もある中で、それってとてもすごいことだということが、私自身のことに置き換えてみると分かる。
「ゆくゆくは帰ってきて暮らすかも」とはぼんやりと考えていたとしても、そうでなかったとしても、
具体的な目標がないままひたすら維持管理し続けるというのは
たとえそれが自分の生家であっても、かなり骨の折れる話だと思うのだ。
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話が逸れてしまった。
家が人の目にさらされることは、手入れのモチベーションになる。
我が家の場合も、友人たちが日常的にボードゲームをしに遊びにきてくれるので
できるだけ普段から整えるようにている。
そういうことがなければ、お世話になっている知人曰く
「人間は基本的にナマケモノ」なので、やはりきっかけは必要なのだ。
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時の市に顔を出してくれた、町内のとあるおじいちゃんは
「大山町って、こんなに若者がいるんだね。」とおっしゃっていた。
これは数というよりも
「(地域でなにか楽しいことをしている)若者が」
という意味なのかもしれない。
私はひねくれているので、地域おこし協力隊でありながら
安易に「地域」とか「地域おこし」とか「活気」といった
言葉を使いたくないのだけれど
普段は静かな集落の日常の中に、お祭りほど大々的ではなくとも
ちょっとした刺激が生まれるのは、ちょうどいいのかもしれない。
その場を大きくひらくか、小さくひらくか、調整が利くこと。
それは、どこか公共の場所ではなく、民家でイベントをひらくことのメリットかもしれない。
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出店していたハンドメイドの服屋に、初のオーダーが入ったそうだ。
「友人へのお祝いにしたい」とのこと。
ありとあらゆるものがスマホ1台、指先一本で購入できるこの時代に
モノを対面で販売することは、あまり先進的ではないのかもしれない。
でも、こうして直接ヒトやモノを見て、会話をしてその人の想いや人となりを知った上で手に入れたものは、きっとこの先も大切にされることだろう。
作り手にとっても、自信になるはず。
この時の市が、これから自分で商いをしていきたい彼女にとって
ひとつのステップになったとすれば、それは大変喜ばしいことだ。
そんなふうに時の市は、それぞれが想いおもいに小さな実験ができる場でありたい。