やまねの塒日誌|vol.35|(勝手に)空き家ノスタルジヤ
長い冬がすぎ、雪が解け、
大山のふもとにも春がやってきた。
秋ごろから関わらせてもらっていた空き家の片付けがようやく完了し、いよいよ次の方の手に渡る。
元の所有者さんは関東にお住まいの方で、
年に数回、戻ってこられては生家を自分たちでコツコツ片付けておられた。
車で片道10時間。
そこそこご年齢も重ねられている上、移動だけでも大変なのに。
体力も根気も 必要なことだったと思う。
大山に戻ってこられるたび、その期間中は私も毎日のようにおじゃまして(毎朝のように電話をくれる)
その都度私が好きそうな、レスキューしたそうなものをピックアップしてくださっていたり(嬉しいし、かなりビンゴだった)
ほかにも近所の人も呼んで、個人的に蚤の市のようにしたり。
意外にも、本人たちから
「大変だわ」「しんどいわ」
みたいなことばは、一度も聞かなかった。
色々思うことやご苦労もあったと思うけれど
現状を受け入れ、やることは淡々と進めながらも
ちゃんと楽しみを見つけながら片付けをされていた姿が、すごく印象的だった。
そして、やっと一通り
私ができる範囲のレスキューも終わったころ
「山菜なんかは、興味ある?」と聞かれ、
なんと、子どものころから通ったという山菜のナワバリまでも引き継がせてもらったのでした。
(最後に、表札までくれた)
このことが、無性に寂しくて、嬉しくて。
もう大山でお会いすることはないんだなぁ、という寂しさと、時を超えて同じ空間での経験を共有させてもらえることの嬉しさと。
またなにか、こちらの季節をお伝えできる贈りものでもしたいなぁ、なんてひそかに画策中だ。
本来なら買取りをして、わかりやすい形でお礼がしたかったのですが、所有者さんのご意向で
「お金も、お礼も、いらない!絶対に受け取らない!」と 初めから強く言われていた。
有難い一方、なんだか、私ばかりがオイシイ思いをしているのではないか?盗人をしているのではないか?人のやさしさを搾取していないか?
とても気がかりで。
でも、いつも会うたびに
「ありがとうね、引き取ってもらって、また使ってくれる人がいるだけで充分」としつこいくらいに言ってくださった。
そうそう、そうでした。
このモノたちを引き上げて、終わりではない。
ちゃんと次につなげること、ここまでがレスキュー。
長野県諏訪市にあるリビセンでこのことを学んで、いや当たり前のことなのだけども、目から鱗が落ちたこと…!
自己満足ではいけないのだ。
わたしのしごとは、まだまだこれから。
次の人生に、みんなが心地よく進んでいけますように。
次の場所で、この古道具たちがまた日の目を浴びますように。
次の人の手によって、この家がまた活きますように。
縁もゆかりもない、ひとつひとつのおうちや家族に対してそんなふうに願うのは、重いことなのかもしれない。
あまり感情移入してしまうのもよくない。
だから、人に対して、あまりこんなウェッティーな話はしない。
(してたらごめん)
でも、今のわたしには、そう願わずにはいられない。
そんな未熟者の記録を、ここに残しておきたいと思う。
参考:ReBuilding Center JAPAN(長野県諏訪市)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?