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就職活動中、やりたいことがなかった僕は、小さなやりたいことリストを作り始めた

「やりたいことがないって悩む人って、だいたい「やりたいこと」=「夢」=「職業」だって考えてるから、思いつかないんだよ。」

夢とかやりたいことは、職業じゃなくても良いでしょ。」

私、やりたい仕事ができる会社に就職するんじゃなくて、私生活でやりたいことをするために就職するんだよ。」

その言葉を聞いて僕は小さなやりたいことリストを作り始めた。

大学生。就職活動を始めた頃のことだった。
あの頃の僕は、やたらと自己分析に時間を費やしていた。
たぶん、なんだかんだで楽しかったからだと思う。
就活本に載っている質問に回答する形で、自分で自分のことを言葉にしてはっきりと表現することが。表現しようと試みることが。

就活を理由に自分の周囲の人に、自分の長所や短所、どういう人間だと認識しているのかを尋ねるのも面白かった。だいたいは似たり寄ったりで、僕の予想通りだったけど、時々想定外の答えが返ってきたりして、小さな発見が心地よかった。

思えばこうやって自分と向き合ったのは、初めてだった。

少しでも生きやすいように、人の顔色ばかり伺って、他人の気持ちばかり想像して、他人にどう思われるかばかり考えていた。「自分の想定する他人の目を通して自分を見る」みたいな回りくどいことをしていた。
もちろん他人の為を思ってではなく、自分のために、だ。

そうすると、自分のことがよく分からなくなる。

家族や友人がいいと言っていたものなのか、テレビや本がいいと言っていたものなのか、世間がいいと言っていたものなのか、自分がいいと思ったものなのか。

僕自身は僕のことをどう思っていて、僕はどういう人間なのか。なにが好きでなにが嫌いで、なにをやりたいんだろう。なにになりたいんだろう。

ひとつひとつ疑いながら、自分自身について慎重に確認作業を行なっていった。


就活中に気づいたことがある。

「夢」というものはいつからか、「自分のやりたいこと」といったぼんやりふわふわとしたものから、「将来就きたい具体的な職業名」というガッチリお堅いものへと変わっていた。
たぶん中学生の頃からだろうか。

だから、悩んだ。小学生の頃まではなにも深いことなど考えずに、毎年ころころ変わるような将来の夢を描けていたのに。


そんな中、就活の何かの集まりで、後ろの席の人が言っていたことがスッと耳に入ってきた。

「やりたいことがないって悩む人って、だいたい「やりたいこと」=「夢」=「職業」だって考えてるから、思いつかないんだよ。
就きたい職業なんて、社会経験がバイトぐらいしかない大学生が、確固たる意思を持って決められるわけないでじゃん。
夢とかやりたいことは、職業じゃなくても良いでしょ。
私の夢は、毎日本読んで、アニメ見て、週末は友達と遊んだり、旅行行ったり、自由にやりたいことやって暮らすこと。
そのために、安定した企業で、福利厚生がしっかりしてて、残業少なめの事務系に就きたい。
私、やりたい仕事ができる会社に就職するんじゃなくて、私生活でやりたいことをするために就職するんだよ。
そうやって働いてみて、なんか違うなって思ったら別の仕事を探してもいいし、やりたいことが見つかったら、それを追ってもいいし。
仕事じゃなくてもさ、とりあえず、やりたいこととか好きなことは大事だよね。」

それを聞いて、僕はやりたいことリストを、スケジュール帳に書き留め始めた。
最初は何も難しいことは考えず、とにかく思いつくままに。

ちなみに僕のやりたいことリストはこんな感じ
・山登り
・読書
・カメラ(写真撮影)
・一日中ネカフェで過ごす
・一日中映画鑑賞
・パラグライダー
・スカイダイビング
・シュノーケリング
・しまなみ海道サイクリング
・高級旅館でごろごろ過ごす
・野生のクジラを見る
・オーロラを見る
・ウユニ塩湖
・カミーノでサンティアゴ巡礼
・熊野古道巡礼
・エベレスト街道
その他めちゃくちゃいっぱいあった。


翌年度の4月に買い替えたスケジュール帳では、リストを4つに分類した。
「やりたいこと」
「行きたいとこ」
「読みたい本」
「欲しい物」だ。
達成できたら横棒で消していく。
できなかったことや、もう一度やりたいことは、また翌年度の新しいスケジュール帳に書き移した。

今はアプリで管理している。「ToDo」というノートに色合いのよく似たシンプルなアイコンのアプリ。
リストも増えた。特に、「好き」関係のリスト。「好きなこと」「好きな作家」「好きな映画」「好きな本」とかいった具合に。

僕に僕が分からなくならないように。自分のことって、自分でもよく分からなくないものだから。

SNSでしあわせそうな誰かを見たときに反射的に羨ましい妬ましいって思ってしまうような精神状態の時は、これを見返す。
「そうだ、僕が好きなのはこういうのだ。僕がやりたいのは、こういうことだ。あれは違う。しあわせそうなのが羨ましいだけだから、あれを真似するのは、違う。」

なんだか、何もやる気が出なくて無気力な日は、その中から簡単に達成できるものを叶えてあげる。
だいたいは自分への「ご褒美」や「激励」と称して本を買い与えている。

生きる理由だとか、生きてる意味だとか、そういう事を考えて気持ちが塞ぐ日も、やりたいことリストを眺める。「やりたいことリスト」って呼んでたけど、これはもはや「自分の取扱説明書」だな。
生きる理由も、意味も、全部そこに詰まってる。
月に何度も眺めて、それを達成した時のことを想像して嬉しくなったりする。「好き」は僕を救ってくれる。


追記

あの頃の就活中の僕に何かアドバイスをひとつ送れるのなら、
「仕事に関しては、『やりたいこと』よりも、『絶対にやりたくないこと』を重視しろ」と言いたい。

「若いうちの苦労は買ってでもしろ」なんて言われるけど、わざわざ買いに行く必要ないと思う。買わなくても苦労って押し付けられるから。
「苦労を乗り越える」という体験は持ってるに越したことはないけど、ものによってはただただ自分が削られるだけで、何も身にならないものもある。
HPは消耗するのにレベルは上がらないし、経験値もほんの1ミリくらいしか上がらないような、めちゃくちゃ非効率的な苦労。社会や会社にとって、都合の良い苦労。


これは自分の勝手なイメージの話なんだけど、

目の前に壁があったとしたら、頑丈な体を持つわけでもないのに、闇雲にひたすら体当たりし続けるのが、苦労。

何か道具を使って壁を乗り越えたり、壁に沿って走っていって壁の向こうへ行く道を探したり、穴を掘って壁の向こう側に行ったり、道具を使って壁の破壊を試みるのが、工夫や努力というイメージを僕は持っている。

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