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柄杓で量り売り、牛乳配達の今昔


柄杓で量り売り、大正時代の牛乳配達

創業当時1919年ごろの牛乳配達は、現在のそれとは全く異なっていました。牛乳を一斗缶に入れ、牛乳用の柄杓を使い各家庭の容器(鍋やどんぶり)に量り売りをしていました。また配達手段も自転車やリヤカーを使っていました。牛乳が日本に普及し始めたのは、明治維新のころとされ、弊社においても牛乳配達の形は手探りでした。

戦時中の苦難、再生の日々

その後、1927年に日本で殺菌処理の義務化、牛乳瓶の規格が定められ、乳製品の衛生管理が厳しくなり、弊社もその対応に追われました。そして時は第二次世界大戦へ。配達件数が減り、牛の飼料もままならない状態でした。大切に育てた牛も数頭しか生き残りませんでした。それからは再生の日々。ご近所の方に人参の葉をもらい牛の飼料にするなど、一歩づつ進んでいきました。

全盛期は4,500世帯においしい牛乳を配達

時代は高度経済成長、牛乳の消費量も飛躍的に伸び、伊勢市のお客様の需要にこたえるべく三輪トラックやバイクを導入しました。様々なニーズにお応えできるよう、フルーツ牛乳やヨーグルト、その他乳飲料も開発し、全盛期の1989年には市内で4,500世帯に毎朝配達を行っていました。

宅配用の三輪トラックとバイク
2代目山村鹿雄と宅配用のバイク
トラックにのる子ども
宅配用トラック

スーパーの台頭により迫られた転換、宅配価値の向上へ

順調に推移した宅配事業ですが、1989年をピークに宅配件数が減少し始めました。背景には、スーパーマーケットの台頭があります。伊勢市内にも1970年ごろからスーパーマーケットの開店が相次ぎ、その利便性から宅配件数は右肩下がりとなりました。それを受けて弊社では、新たな機能性乳製品・デザートの開発や宅配条件の緩和(週1回、1本からでも配達可能)、保冷車の導入による鮮度維持など、宅配価値向上に努めました。また、宅配のお客様は高齢者の割合が年々高まってきており、もしもの際の見守りサービスにも注力しています。

配送用トラック


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