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Kungsleden Day4


Sälka - Emergency hut

Sälkaでの朝、ごうごうという川の音で目が覚めます。
明らかに川が増水してるな、雨、まだ降ってる。
少し待ってみましたが止む気配もなく、小雨になったタイミングでテントをたたみました。その頃にはフランス人おじさまはもうおらず、少しがっかり。

テントを畳んだ後、キッチンで朝食を取りますが、なかなか雨もやまず、今日はこのままステイしようかなと話しているグループも。
昨日サウナで話していたフィンランド人の女の子達もきて、少しゆっくりしてから進んでみようかななどと話しつつ、もう11時。
今日の予報は夕方のほうが雨がやや強まる予報。少しの晴れ間も見れなさそうと思い、再度少し多めにカロリーを摂取して私も出発することにしました。

窓の外を見ると雷鳥が
雨だと出てくるのは日本と同じですね。


これが完全に失敗。
出発直後はそこまでの雨ではなかったものの、半分を過ぎたくらいでしょうか。雨と風がかなり激しくなり、遮るもののないトレイルで身体に直撃。
防寒もしているものの歩いていないとすぐに冷えてしまうような状態になってきました。
すれ違う人たちも最初の方は段々ひどくなってきたね、頑張ろうと励まし合いますが、少しづつ表情が険しくなっていきます。
私も歩くのが大変になってきてはいるものの、半分は進んでおり引き返すよりも進むほうが早く、ビバークするにも雨風を避ける場所がない。これは結構やばいぞ。その上進む先はトレイル上で一番標高の高い場所(1150m)。

え?ちょっとやばくない?

地図上では次の小屋まであと1時間程、なんとか進もうとするも段々と身体が冷えてきている上やや頻脈気味。行動食も飲み込みづらくなってきました。え?死ぬ?
座り込んで少し休んでは進んでの繰り返しでしたが段々血圧が下がってる感じもあり焦ります。ちょうどその際にすれ違った人に、
「正直もう歩けなさそうで、、あとどの程度かかる?もしくは近くに避難小屋とか見かけなかった?」
と聞くと、
「あと10分も歩けば避難小屋があって、同じように避難している人が火を焚いていたから温かいと思うよ、あと少し頑張れ、僕も頑張る。」と。
あと10分。頑張れるだろうか、というか、頑張るしかない。
「Tack(スウェーデン語でありがとう。)」
声を出して意識を集中して登っていく。ていうかなんでフィンランドじゃなくてスウェーデンで死にそうになってるんだ?おかしくない?
次は女性にすれ違う、もう体感は10分経過していますが小屋は見えてきません。
「避難小屋まであと何分くらいかな?」
「うーーん、登りだとあと10分くらいかな、きついよね。頑張って。」
おいおいまたあと10分かい!!!Tack!!!
標高1150m、晴天なら問題なく登れそうな標高。岩場が多く雨で滑るし小さい滝まで出来てる。天候は本当に大事。なぜ進んだ、自分。でも進んだんだから歩くしかないよ。スウェーデンで救助されるなんて勘弁してくれ!!

何分進んだのかわからない、けれど一山越えたようなあたりで小屋らしきものが見えてきました。本当にあと少し、やっと!と思って小屋の戸を開けると
「Welcom to Germany fam~~~~~!!!!」
全然二人じゃない、明らかに10人以上います。
せっま!!うるさ!!

凄いストームだね、僕たちも歩くの大変で休憩中!狭くてごめんね、君もこれでGermany fam!どこ出身?日本!!!Cool!!日本のどこ?
最初はなんとか答えていたものの、披露しきっている私は座り込んだが最後もう気力0。
「ごめんね、本当に気分悪くて、ちょっと話す余裕ない。」
「わーーーごめんね!ゆっくりして!あっちの椅子空いてるから座って!」
悪い人たちではない、元気すぎるだけ、、、そしてGermany is everywhere…

少し会話から離れて小屋内を見渡すと、私のように顔が死んでいる人が2名。顔色が死んでいる。きっと私もこんな顔しているんだろうな。
座って温まってくると少しづつ安心してきました。
ぼんやりしていると、ドイツ人グループが靴を履き始めます。え?この人たち歩き続けるの?まだ台風並の天気だけど。
行くの?と尋ねると、
「うん、次のとこまでね。頑張るよ!」
その元気さがあればいけるか、、、OK, good luck.


残ったのは私を含めて3人。顔が死んだ2人と私。
私、多分このまま明日までここで休んでいくよ。と伝えると、2人もそうするとのこと。1人は私と同世代そうなフィンランド人の女性(後に全く同じ年齢であることがわかりました。)、もう1人は若そうなスウェーデン人の男性。19歳でした。
軽く自己紹介をして、今夜のために各々のスペースをなんとなく決めて、薪も明るいうちに割っておこうという話になりました。

小屋は避難小屋が1棟、その横に御手洗の小屋、薪小屋があるといった作りで、避難小屋でストーブを焚くのには自分たちで薪小屋で木を割ってもってくるというスタイル。フィンランドも同様の作りが多い印象です。
最初に薪を割ってくれていたのはフィン人の女性だったため、今夜分は私とスウェ人の彼とでやろうということになりました。
ここで薪小屋に行って、私は薪ではなくそのままの木の枝がストックされていることにびっくり。もちろん、斧とハンマーは常備あり。なるほど、自分で割るしかないのか。考えてみれば当たり前なのかもしれませんが、私にとってヨーロッパで避難小屋で過ごすのは初めて。いや、そもそも日本でもない。
準備されている山小屋ではないのだと思い知ります。

「ごめんなさい、薪になってれば火は焚けると思うけど、薪割りの経験がなくて。」
「大丈夫、使い方はわかるから、やってみるよ。」
そう言って、スウェ人の彼が薪を割ってくれました。この後も結局夜間に一回薪を割りに来るのですが、その時もほとんど彼がやってくれました。
薪を割って、小屋に戻って、ストーブに薪をくべていきます。
人口密度が減ったからか、寒くなるのが少し早い。

ストーブを焚きながら、小屋内で濡れた衣類やギアを乾かします。
最悪なことに私とフィン人の子は寝袋も湿っており、お互い夜間までには乾かしたいとストーブの真上にかけていました。それも間違い。私の寝袋、落ちて焼けました。羽毛、燃えるの早かったな、、。

避難小屋に避難して、薪割って火を焚いて、寝袋まで燃えて、Fワードを連発することしかできません。
「え、何?何が起きた?」
「ただ、溶けたんだよ、、エリカの寝袋が、、、」
後ろでフィン人とスウェ人たちが話しているのを尻目に絶望に打ちひしがれていました。でももう焼けたもんは戻ってこない。

気を取り直して夕食を食べ、みんなで早々に寝床につきます。もちろん私は寝袋なし。
そんな私を不憫に思ってくれたスウェ人の子が、ありったけの上着を貸してくれ、窓から遠いスペースで寝てと場所まで準備してくれました。
「僕は寝袋があるから大丈夫、寒かったらまだ予備の上着あるから言ってね。」

そのまま横になりますが、嵐の音は止まず、窓がガタガタと音を立てていました。
「まだ凄いストームだね。」
と小さい声でスウェ人の子に話しかけると、
「うん、朝には止むといいね。明日はどっちに進む予定?」
ぽつりぽつりと会話が続き、これから向かう道のこと、今まで辿った道のこと、なぜ1人でKungsledenを歩くのか、将来のこと、自分たちの国のこと、いろんなことを話しました。
隣ではフィン人の子が寝息をたてて眠っています。
激しい音を立てながら夜が更けていくのを、小さな小屋の中で、私たちは待っていました。





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