ものの見方を育む。ネイチャージャーナリングの可能性
先日、ずっとやってみたかったネイチャージャーナリングに挑戦した。
ネイチャージャーナリングとは、「ネイチャー(自然の)ジャーナリング(日記をつける)」という言葉の通り、身の回りの自然を観察し、気づいたことや考えたことを絵や文字、数字で書(描)く手法のことだ。アメリカやオーストラリアなど海外では盛んに行われているそうだけれど、日本ではまだあまり知られていない。そのネイチャージャーナリングのオンライン1日集中講座に参加してみた。
そもそも私がネイチャージャーナリングを知ったのは1年半ほど前。図書館でたまたま手に取った雑誌の、たまたま開いたページでネイチャージャーナリングの特集が組まれていたのが始まりだった。昔からノートに何かを貼ったり書き込んだり「ノート遊び」が好きだった私は、自然とノート遊びが繋がった新たな”遊び”の登場に興味を引かれた。
何より「いいな」と思ったのは、絵を上手く描くことが目的ではないという点だ。実物そっくりに描く必要もないし、厳密でなくていい。大切なのは、何に気づき、感じ、考えるか。絵や文字を描(書)く過程で自分の内面と対峙する。(だから「ジャーナリング」という名前がついているのかもしれないと、書きながら気づいた)
「ものの見方、『どうやって見るのか』を学ぶ手法」。オンラインスクールの講師を務めた小林絵里子さんはネイチャージャーナリングのことをこう説明されていた。
その言葉が腑に落ちたのは、オンラインスクールで実際に手を動かしてみてからだ。
私がオンラインスクール参加時に題材として持ち寄ったのは、ナナカマドの赤い実。ネイチャージャーナリングでは、観察時に3つの問いかけ、①気づいたことは?②不思議に思ったことは?③似ているものは?をするという。たとえばこんな具合だ。
これはほんの一部。ほかにも絵を描いたり、実の直径や枝の長さなどスケールを測ったり。言葉と絵、数字の3つの言語で表していく。
今回私がこの赤い実を題材としたのは、道端に落ちていたのを見つけて「絵に描きやすそうだな」と思ったから。そんな普段は意識することのない木の実がネイチャージャーナリングに挑戦したことで、たくさんの「なぜ?」を秘めていること、考えれば考えるほど面白さが増してくることに気づいた。
視点を近づけたり、遠ざけたり。色や形に注目したり、手触りを確かめたり。具体と抽象を行き来することで、気づきや面白さと出会う。今までとは違う、新しい景色が見える。小林さんが仰っていた「ものの見方を学ぶ」とは、おそらくこういうことだ。
さらに、思うに「ものの見方」の「もの」とは自然以外でもいい。ニュースになっていた話題、本で読んだこと、誰かのお話などでもいい。身の回りで出合う人や物事に対してしっかりと見つめ、考えること。どこからか流れてくる情報を鵜呑みにせず、「本当に?」と立ち止まること。ネイチャージャーナリングは、そういう「自分の頭で考えること」の練習帳のような役割も担っているのかもしれない。
始めはノートを自分好みに仕上げていくことや、自然との新しい触れ合い方に引かれて興味を持ったネイチャージャーナリング。もちろん、そういう楽しさもある。でも今回、オンライン講座に参加してネイチャージャーナリングの更なる可能性を知り、ますます「いいな」と思った。
本当はただ「ネイチャージャーナリング楽しかった!」ということを伝えたかっただけなのに、つい熱が入って、スケールの大きな小難しい話になってしまったような気がする…。
自然の色のお話や、ネイチャージャーナリングを私自身がこれからどう活用していきたいかについてもここに書き残しておきたいけれど、それはまたおいおい。
とにもかくにも、ネイチャージャーナリングの面白さや可能性を実感できて本当に良かった。小林さん、ありがとうございました!